1.悲しくてやりきれない/ザ・フォーク・クルセダーズ 1968年
’68年といえば昭和43年。昭和43年といえば12歳。12歳といえば小学6年生。
そんなに昔の歌だったのね。
でも、当時リアルタイムでこの歌に感動をしてはいなかったはず。この歌の前の「帰ってきたヨッパライ」のほうが強烈でインパクトがあったが、そのメッセージ性とか音楽性についてどうのこうのという年齢ではなかったので、単に「おもしろい」と思っただけである。私の中では「黒猫のタンゴ」と同等の扱いだった、ような気がする。
さてこの「悲しくてやりきれない」は、当初そういう扱いをしたにもかかわらず、思春期・青年期には非常に感動した歌になるのである。そして、その時期によって受け取り方が変わってくるのである。
さすが「サトウ・ハチロー」の作詞である。そして加藤和彦も詞に負けないメロディーなのである。
この歌の出だし
♪胸にしみる 空のかがやき 今日も遠くながめ 涙を流す♪
という部分から引き込まれ、2番の
♪今日も夢はもつれ わびしくゆれる♪
の部分で最高潮に達してしまう。
なにしろ「夢がもつれる」のである。そうでしょう?思春期や青年期って?
そして今や「舌も手も足ももつれる」ようになっても夢はもつれているのである。
ああ・・・♪このもえたぎる苦しさは あしたもつづくのか♪
2.旅人よ/加山雄三とザ・ランチャーズ 1966年
加山雄三は、小学中学年であるので「かっこいいなあ」とは思ったものの、そう大きな思い入れはない。20歳くらいだったか、土曜日オールナイトで「若大将シリーズ」の映画がはやった。
この「旅人よ」はいい曲だと思うのだが、やっぱり「その時」の感動ではないので、ひとつ間が空いた感じなのである。
3.ひとり寝の子守唄/加藤登紀子 1969年
この歌を聞いたときもまだ「こども」だったわけで、第1の感想は「寝るときはひとりじゃないか」というものだった。一人以上で寝るってどういうことなのか、そして一人で寝ることがさびしくわびしいものだということを知るのは、もっともっと後のことになるのである。(ってが!!)
4.風/はしだのりひことシューベルツ 1969年
この歌はなんとなくわかるような気がした。しかし、まだまだ「別れ」ということの深刻さを感じられるわけではなく、誰かと別れてもそれは物理的なものであって、心理的な別れ、ということをしるのは、もっと後のことなのである。
それでも、この歌のメロディーが「きれい」なので、なんとなく秋の風に吹かれて口ずさんでいたりしたのだ。
シューベルツは端田宣彦がフォーククルセイダースのあとに作ったグループで、2番を歌っている井上さんがウッドベースを弾いていてかっこよかった、というか美形だった。その後、井上さんが亡くなりシューベルツは解散。端田はクライマックスを結成「花嫁」のヒット、そして杉田二郎はジローズを結成し「戦争を知らない子供たち」をヒットさせるのである。それは私が高校生のころになる。
5.小さな日記/フォー・セインツ 1968年
この歌もちょっと離れた感じで聞いた。こんな切ない恋の歌なんてよくわからないじゃないですか12歳って。
中学に入り、3年生が卒業するにあたって「予餞会」というのが開かれ、そのときよく知っている3年生の女のヒトがこの歌をアカペラで歌った。
というのが唯一の思い出かナ。
6.遠い世界に/五つの赤い風船 1969年
いい歌ですよねえ。リアルタイムで聞いてはいないのですが、高校時代から以降よく歌いました。この歌と「戦争を知らない子供たち」「さらば青春」はみんなで歌う歌のベスト3ですね。
そんでもって、この歌をギターを弾いて歌うとき、西岡たかしの真似をして、先に歌詞をペラペラというんですねえ。これがやりたくやりたくて練習しました。
「遠い世界に」 ♪とおーい、世界に♪
「たびにでようか」♪たびにー でようか♪
「それとも赤い」 ♪それともー あかいー♪
「風船に乗って」 ♪ふうせんにー のぉぉって♪
みたいな。
でも、歌っていてときどき「何様のつもりなんだろう俺は」と思ったりもしたのでした。つまり歌いたいだけで、なにかをアジったり引っ張ろうとしているのではないのに「これが日本だ 私の国だ」なんてなんだかなあ、と思ったりもしたのである。
’68年といえば昭和43年。昭和43年といえば12歳。12歳といえば小学6年生。
そんなに昔の歌だったのね。
でも、当時リアルタイムでこの歌に感動をしてはいなかったはず。この歌の前の「帰ってきたヨッパライ」のほうが強烈でインパクトがあったが、そのメッセージ性とか音楽性についてどうのこうのという年齢ではなかったので、単に「おもしろい」と思っただけである。私の中では「黒猫のタンゴ」と同等の扱いだった、ような気がする。
さてこの「悲しくてやりきれない」は、当初そういう扱いをしたにもかかわらず、思春期・青年期には非常に感動した歌になるのである。そして、その時期によって受け取り方が変わってくるのである。
さすが「サトウ・ハチロー」の作詞である。そして加藤和彦も詞に負けないメロディーなのである。
この歌の出だし
♪胸にしみる 空のかがやき 今日も遠くながめ 涙を流す♪
という部分から引き込まれ、2番の
♪今日も夢はもつれ わびしくゆれる♪
の部分で最高潮に達してしまう。
なにしろ「夢がもつれる」のである。そうでしょう?思春期や青年期って?
そして今や「舌も手も足ももつれる」ようになっても夢はもつれているのである。
ああ・・・♪このもえたぎる苦しさは あしたもつづくのか♪
2.旅人よ/加山雄三とザ・ランチャーズ 1966年
加山雄三は、小学中学年であるので「かっこいいなあ」とは思ったものの、そう大きな思い入れはない。20歳くらいだったか、土曜日オールナイトで「若大将シリーズ」の映画がはやった。
この「旅人よ」はいい曲だと思うのだが、やっぱり「その時」の感動ではないので、ひとつ間が空いた感じなのである。
3.ひとり寝の子守唄/加藤登紀子 1969年
この歌を聞いたときもまだ「こども」だったわけで、第1の感想は「寝るときはひとりじゃないか」というものだった。一人以上で寝るってどういうことなのか、そして一人で寝ることがさびしくわびしいものだということを知るのは、もっともっと後のことになるのである。(ってが!!)
4.風/はしだのりひことシューベルツ 1969年
この歌はなんとなくわかるような気がした。しかし、まだまだ「別れ」ということの深刻さを感じられるわけではなく、誰かと別れてもそれは物理的なものであって、心理的な別れ、ということをしるのは、もっと後のことなのである。
それでも、この歌のメロディーが「きれい」なので、なんとなく秋の風に吹かれて口ずさんでいたりしたのだ。
シューベルツは端田宣彦がフォーククルセイダースのあとに作ったグループで、2番を歌っている井上さんがウッドベースを弾いていてかっこよかった、というか美形だった。その後、井上さんが亡くなりシューベルツは解散。端田はクライマックスを結成「花嫁」のヒット、そして杉田二郎はジローズを結成し「戦争を知らない子供たち」をヒットさせるのである。それは私が高校生のころになる。
5.小さな日記/フォー・セインツ 1968年
この歌もちょっと離れた感じで聞いた。こんな切ない恋の歌なんてよくわからないじゃないですか12歳って。
中学に入り、3年生が卒業するにあたって「予餞会」というのが開かれ、そのときよく知っている3年生の女のヒトがこの歌をアカペラで歌った。
というのが唯一の思い出かナ。
6.遠い世界に/五つの赤い風船 1969年
いい歌ですよねえ。リアルタイムで聞いてはいないのですが、高校時代から以降よく歌いました。この歌と「戦争を知らない子供たち」「さらば青春」はみんなで歌う歌のベスト3ですね。
そんでもって、この歌をギターを弾いて歌うとき、西岡たかしの真似をして、先に歌詞をペラペラというんですねえ。これがやりたくやりたくて練習しました。
「遠い世界に」 ♪とおーい、世界に♪
「たびにでようか」♪たびにー でようか♪
「それとも赤い」 ♪それともー あかいー♪
「風船に乗って」 ♪ふうせんにー のぉぉって♪
みたいな。
でも、歌っていてときどき「何様のつもりなんだろう俺は」と思ったりもしたのでした。つまり歌いたいだけで、なにかをアジったり引っ張ろうとしているのではないのに「これが日本だ 私の国だ」なんてなんだかなあ、と思ったりもしたのである。