読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

第135回芥川賞選評 文芸春秋9月号

2006-10-08 23:50:00 | 読んだ
第135回芥川賞は、伊藤たかみの「八月の路上に捨てる」であった。

芥川賞、というか純文学にはあまり興味がないので、話題になったときぐらいしか読まない。
純文学というのは「ひとりよがり」の読み物、なんて思っているのである。
どちらかといえば文学よりもエンターテイメントな読み物が好きなのである。

で、今回も放っておいたのである。
ところが、週刊朝日の書評のコーナーで齋藤美奈子が「芥川賞の選評がおもしろい」と書いていたのを見た。
というわけで「どうれ」とおもむろに選評だけを読んだのであった。

そして、やっぱり面白かったから紹介することにしたのである。
芥川賞の選者は8名、うち7名出席で選考をした、欠席したのは村上龍だが、選評はちゃんと載っている。
それから、今回の候補作は5つである。(これって5つに決まっているのか?=そんなことも知らないのである)
では、選評を・・・順番は到着順になっているとのこと

「意識の伏流水」高樹のぶ子

<言葉が伏流水のように裏に流れる意識を感じさせるのは才能だろう>
と受賞作をほめている。前後の文章からなんとなくその言わんとしていることがわかるが、これだけではよくわからない、それが芥川賞なのか?レベル高いのね、というカンジがする。
そのほか2作品を取り上げているが、これには<文学としては安易な方法>といっている。

「小説の小ささ、大きさ。」宮本輝

受賞作なし、ということで選考会に臨んだそうである。
受賞作には二人の委員が○で他の委員は全否定をしなかった、としている。
つまり受賞作は△のような小説である、ということらしい。
そして受賞作には<もっと大きな芯が土台として設定できたのではないか>として<不満を感じている>といっている。つまりは<小説の土台が初めから小さい>のだとも言っている。
そして<多くの働く人々が見るもの、感じるもの、味わうもの・・・。それらを超えた何かが小説の芯として沈んでいなければ、その小説になにほどの意味があるのか・・・>として、他の4作品にも同様の不満をもったそうである。
なんだかどういうものがいいのか、具体的にあげてもらいたい、とおもったりして・・・なにせこちとらはそんなこと(小説の芯)なんて考えたこともなかったのだから

「現在と過去」黒井千次

このひとは一応5作品について評している。
受賞作については<紛れもない現代の光景のひとつが捉えられている>としている。
そして<このところ、候補作品のタイトルがやたらに長くなったのは何故なのだろう。>としている。それはテレビ番組のタイトルのせいではないか、つまり具体的に示さないと今は駄目なのではないかとも思うのであるが・・・
これも、現代の光景、だと思う。

「またしても不毛」石原慎太郎

題名でもわかるように、石原知事は候補作に不満である。
<(主題について)普遍的な主題だが、それにしてもその扱いが粗雑というかいかにもありきたりで、現代というかなり歪んだ時代の背景を感じさせない。>としている。つまり現代を描いていないというのである。
<浅く平凡>とか<軽く他愛ない>とか切ってくれている。石原さんは別の作品を推したらしい。
明確な論旨である。ただこの明確さを政治にあらわすのは大変だろうなあ、とべつのところで変な感想をもったのである。

「選評」山田詠美

今回の候補作品に登場するのは<心を病んだ人、物書き志望、あるいは売れない物書き、出版社勤務、がほとんです。私は、やだなー、こんな人々だけで構築されている世界なんてさー、とうんざりしました>としている。
人々の生活があまりにも多様化してきて(というか1億総おたく化なのではないかと私は思っているが)普遍性をどこに求めればよいのかみんなわからなくなってきているのではないか。
だから登場人物が、やだなー、と思う人々が多いのではないだろうか。
とはいえ、今回の選評では一番面白かった。

「他ジャンルからの乱入」池澤夏樹

映画の影響を文学が受けている、として、候補作品は影響を受けているだけで文学になっていないとしている。
つまりは<構造の原理が映画であって文学でない>とか<目前の効果が重視されていて、奥行きがない>ということらしい。なるほどとも思うが、何しろ候補作品を読んでいないのでなんともいえないが・・・ただ、近頃は「映像」をあまりにも意識してなんだか変なカンジになっているものは多い、と思う。
そして最後に
<前回も思ったが、なんでこんなにビョーキの話ばかりなのか?まるで日本全体がビョーキみたい。>といっている。
私は、日本全体はすでにビョーキになっていると思う。だからビョーキの話が多いのである。もしかしたらこれが現代の普遍性になるのか?
ただし、私は現代の普遍性よりも、人や人間社会の面々と続いている普遍性について書かれているほうを好む。

「選評」村上龍

<今回の候補作品はどれもレベルが低く、小説や文学というものを「なぞっている」ような気がした>とのっけから言っている。そして、
<問題は、何を伝えようとしているのかわからないことに尽きる>として、最後には
<「現代における生きにくさ」を描く小説はもううんざりだ>といっている。
きついなあー。とはいえ、骨太の人間の普遍性を扱った小説や読み物が少なくなっているのは「確かに・・」とうなづける。
なんというか「狭い社会」のなかで「俺は、俺は」とヘンに力んで叫んでいる小説が多いのではないか、と・・・


「○ひとつ、△ひとつ」河野多恵子

受賞作について<確実な成長が感じられた>として言葉使いをとりあげて<(たった4文字で)心理や気分の深さを言いえているのには感心する><並みの才能と力量では書けるものではないだろう。>と褒めている。これが「○」らしい。
「△」は島本理生さんの作品だそうである。

というわけで、選評は第1位山田詠美、第2位は村上龍、第3位石原慎太郎の順であった。
それにしてもこれだけ酷評されたら受賞作を読む気がなくなってしまうのではないかと思うのだが・・・
まあ天邪鬼(あまのじゃく)の私は、これで受賞作を読んでみようかと思ってしまったので、それも「あり」か。

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