読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

日本の司法を変えた15大事件 夏樹静子 オール読物連載

2007-06-12 23:55:36 | 読んだ
2007年1月号のオール読物から隔月で連載されている。
平成21年度からスタートする裁判員制度にちなみ、これまでの日本の裁判を振り替えてみようではないか、という、誠に時宜を得た企画でありまして、なんと申しましょうか・・・そんな、田舎の議員さんみたいな前ふりはやめて、本題へ入るのでありまする。

第1回は「大津事件」明治期、ロシアの皇太子に切りつけた警察官の裁判でありまして、つまりは「司法権の独立」のきっかけともなった事件、ということでありました。

ロシアの皇太子に切りつけた、という事件が、司法という方角からみると、このようになるのか、という、面白さがありました。
また、司法権の独立、というものは、明治期の「やるぞ!」とか「日本を作るぞ!」という意識があふれていたところから生まれたものである、ということがわかるのであります。

第2回は「大逆事件」で、幸徳秋水らが天皇の命を狙った、ということから、あれよあれよという間に死刑になってしまうという事件であります。
これなどは、時代の流れとか感覚とかに司法も流されることがわかる例ですなあ。

司法権は独立しているけれど「正義」というのはその時代の感覚によって変わっていくものである、つまり絶対的な正義などありはしない、ということがわかるのであります。

第3回は「昭和の陪審制度」ということで、昭和のはじめ頃には「陪審制度」が日本に存在したという、お恥ずかしながら初耳のことであります。
当時は、ある程度選考があったようで、そういう意味では真っ当な判断がされたこともあるようだが、難しい込み入った事件での判断は難しいということがわかる。

あと12回あるようだが、3回読んでみて、なかなか面白い。
裁判というのは、真実をあらわにすることによって正義の判断をするわけであるが、何が真実なのか、何が正義なのか、ということがよくわからなくなってきている世の中で、うまく機能するのだろうか。

また、いわゆる多民族国家は、陪審員制度(裁判員制度)は考え方の調整機能ということもあるのだろうが、単一民族である日本においても、いよいよ個々の考え方の調整が必要になってきたんだなあ、という感慨も覚えたのであった。


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