読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

八朔の雪 みをつくし料理帖 高田郁 ハルキ文庫

2017-07-09 16:20:46 | 読んだ
退職記念旅行記の閑話休題。

旅行中にまず読んでいたのがこの物語。


NHKで黒木華主演で放送されているのを見て「じゃあ読んでみようか」と思ったもの。
ドラマはドラマで面白いが、さて原作はどうなのさ?ということ。

私が知らなかっただけなのだが、この物語は多くの人に読まれているとのこと。
では、それはなぜなのか?
ウィキペディアでは、山本周五郎の小説に感激して時代小説家になった、とあった。
山本周五郎に感動して書いたもの、であれば面白いと思う。

本作「八朔の雪」はシリーズ第1巻。
4つの物語が収められている。

狐のご祝儀-ぴりから鰹田麩(かつおでんぶ)
八朔の雪-ひんやり心太(ところてん)
初星-とろとろ茶碗蒸し
夜半の梅-ほっこり酒粕汁

大阪の名の知れた料理屋「天満一兆庵」の主・嘉兵衛と御寮さん・芳が、奉公人の澪をつれて江戸へ下る。
店が火事に遭い、江戸で店を開いている息子・佐兵衛を頼ってきたのだ。
しかし、佐兵衛は行方知れずとなっていた。
嘉兵衛は失意のうちに亡くなり、澪は御寮さんと二人で生きていく。

ここで、この物語を貫く一つの謎・お題がでてくる。
「佐兵衛はなぜ行方不明になったのか、今どこにいるのか」

澪は、源兵衛に見込まれた「舌」の持ち主で、通常女は料理人とはなれないのだが、天満一兆庵で料理人として仕込まれる。
その「腕」と「心根」を神田明神下御台所町の蕎麦屋「つる家」の店主・種市に見込まれて、つる家を手伝い、料理を作り始める。
この物語をつらくぬ「料理帖」は、澪が作る料理、大阪仕込みの料理をいかに江戸の人たちの好みにするのか、そして人の心を打つ料理とはなにか?
ということであろうと思われる。

更に、澪の幼馴染の行方、江戸一番の料理店「登龍楼」との闘い、謎の武士・小松原(澪をみて『見事な下り眉』といった)正体は
などなど、縦糸横糸がうまくかみ合って、一つ一つの物語が語られていく。

また「旭日昇天」とか「雲外蒼天」という言葉、登場人物たちそれぞれが持つ『過去』が、複雑に絡み合うのだが、山本周五郎調ともいう「人情」が、悲惨ともいうべき物語をオブラートにくるんでいるので、さわやかである。

そして、一話ごとに必ず泣かされるところがある。

この本は、主に列車の中で読んでいたのだが、涙をこらえるのに大変だった。
一人きりで読んでいれば涙を隠す必要などないのだが、多くの人のいるところで読むものではないなあ、と思った。

以前の私であれば、このような筋立て(つまり泣かせる)は『あざとい』といって敬遠していたところであるが、近頃は「なんでもオッケー」というか「あざとさ」を許せるようになってきた。

このあたりは、成長なのか老化なのかはわからないけれど・・・
まあいいんでないか。

ということで、第2巻以降も読み進めていこうと思うのだが、ドラマの黒木華は原作とイメージがぴったり重なり、本を読んでいても顔が思い浮かぶのであった。

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馬籠・妻籠 -退職記念旅行その5-

2017-07-09 16:20:28 | 観た、聴いた
名古屋に一泊し、続いて向かうのは「馬籠(まごめ)」「妻籠(つまご)」
中山道の宿場町がそのまま残っているということで、ぜひ行ってみたいところでした。
ある意味、今回の旅でもっとも期待していたところです。

名古屋土産でぜひ欲しかったのが「ういろう」しかも『一口サイズ』。大きいのではなくてという意味。
あまり好きではないという人が私の周りでは多いが、一口サイズだといいと思うのだが。
で、売ってました。駅で。購入!(土産用と自分用)

それから「きしめん」を食べたかったのですが、なかなかチャンスがなかった。
名古屋駅のホームに立ち食いのきしめん屋さんがあったのですが、なにしろ朝九時。さすがに食べられなかった。
その後、多くの人が名古屋できしめんを食べるなら、そこ!ホームの店!
と聞き、残念でした。無理にでも食べていればよかった。

名古屋駅発9時「しなの5号」


9時49分中津川駅に到着。

この旅で思っていたというか感じていたのは、どこに行っても「外人さん」が多い。ということ。
で、馬籠とか妻籠は外人さんはいないでしょう、なんて思っていたら、なんと中津川で一緒に降りた人たちに白人の大きな人たち。
どうもビジネスでいらっしゃったようですが、いたるところで見かけますねえ外人さん。
「インバウンド」できているんじゃないですかねえ。

というわけで、中津川駅で「レンタカー」に乗り込む。
そして、馬籠へ向けて出発。

カーナビに目的地を入れて出発したのですが、なんだか変な道に入ってしまいました。
細い道、急なカーブ、勾配がきつい。
でも、周囲には民家があり、道端にはバス停。
「なんだ、なんだ」といい、「戻ったら?」といわれ、「どうしようか」と思ったら、割と大きな道へ接続。安心。

カーナビが距離優先になっていたらしく、そういう道を走ったようです。

で「馬籠」到着。
あれ?人がいない。







店の多くが、というかほとんどが休みでした。

それにしても、急坂だわ。途中、団体さんとすれ違ったが、この人たちは「下る」だけなんだろうな。
とりあえず、展望広場、まで登る。



ここから「妻籠」まで歩く人がいるらしい。というか、ハイキングコースとのこと。約3時間歩くらしい。
これは一日がかりの日程でないと無理だわ。

軽装の人たちが登っていく。途中で引き返すんだろうか。

天気は曇りで、それほど暑くもなくていいのだが、なんか寂しい。
あじさいの花が丁度いいところだった。





「馬籠脇本陣」の史料館に入館する。
入館者は我々二人のみ。
展示室で史料を見た後、この史料館の目玉「玄武石垣」を拝見。
「玄武」とは「亀」のこと。ちょうど亀の甲羅のような石垣です。



続いては「藤村記念館」



島崎藤村は馬籠宿の旧本陣に生まれた。
とあるので、ここは本陣跡なのだろう。

高校のころ、藤村の詩に「かぶれた」ことがあった。七五調の詩のリズムというか響きが好きでした。

で、この記念館にあった写真では、昔、ここ石畳ではなかったんですね。
今はきれいに石畳の道になっていますが、写真を見ると土の道で、乾けばほこり、雨が降ればぬかるみ、旅人は大変だったでしょう。
そういえば、来る途中「昔の石畳」というところがあった。





丁度昼時。「そば」を食べよう、そして「ごへい餅」も。



おいしくいただきました。



馬籠に別れを告げて、妻籠へ向かいます。
途中、歩いている人たちを見かけましたが、どうも大変そうでした。

妻籠は木曽川の支流「蘭川」沿いの宿場町。
その蘭川のほとりの駐車場に車を止め、いざ、宿場町へ。

発電所がありました。


いよいよ町の中に入りました。
馬籠との違いは、急坂ではないということ。
したがってゆったりとした気分で歩けます。
そして静かです。







ほんとうに静かです。店もあまり開いていないし。





本陣跡


のんびりと歩いていたら、少しあめがぱらついてきました。






妻籠から、木曽川のほうへ向かい国道19号線を中津川に向かう。車を走らせていると、左右は山。
葛城ユキの「木曽は山の中です」を思い出す。
 ♪ 木曽は山の中です 誰もきやしません ♪

そういえば、馬籠は岐阜県で妻籠は長野県。平成の大合併で、馬籠の長野県木曽郡山口村が、岐阜県中津川市と合併したのである。
なんというか「斜面」の違いで、山口村は中津川市との関係が深かったんでしょうね。
そもそも、境界をどこにするかというのは人間の勝手なことであって、境界付近にいるからそれを自覚して生活しているなんてことはあまりなく、何かの時に境界を意識するんだと思うのだが・・・

というわけで、木曽の南玄関口である道の駅「賤母」に立ち寄り、中津川に到着したのは15時。
喫茶店で休憩をしていると雨が降り出した。すぐやんだが、なんだか一区切りがついたよう。

15時49分発しなの17号にのり中津川から松本へ。

つづく
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