読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

徳川宗家第十九代が挑む 関ヶ原の戦い四つの謎 徳川家広 文芸春秋2月号

2012-01-26 21:58:49 | 読んだ
特別読物・異色「歴史探偵」デビュー
である。

徳川19代の徳川家広氏が、関ヶ原の謎に挑んだ。

関ヶ原の謎とは何か?

1 「天下分け目の戦い」の不自然

これは、天下分け目の戦いといわれた関ヶ原の戦いがたった1日で終わっている謎である。
日本史史上で、1日で覇者が決定するということはこの関ヶ原しかない、と筆者は言う。

そういわれれば、そうだなあと思う。
これまではあまり気に留めなかったことである。
というのは、関ヶ原は家康にとって「だめ押し」の戦いであって「天下分け目」というのはまあ形のようなものだと・・・私は思っていた。

筆者も、関ヶ原の戦いを「天下分け目」と呼ぶのは誰かが意図的に読んだものだと推理する。

2.なぜ三成は待たなかったか

これも指摘されればそのとおりである。
豊臣秀頼も石田三成も、家康よりずっと若い。家康が死ぬのを待って混乱期に天下分け目の戦を仕掛けたほうが得である。

それなのに、なぜ光成は待たなかったのか。

3.家康の采配の大失敗

関ヶ原の戦いに秀忠が遅参し戦後家康から不興をかったのはよく言われている。
しかし、秀忠の遅参はあらかじめ計算されていたのものではなかったか?
これもよく言われている説である。

西軍の有力武将がすでに東軍に寝返っていることから、秀忠の軍は不要であった、その後に備えたものではなかったのか。

4.戦後の賞罰の出鱈目さ

そして最後が、賞罰である。
これも、勝った側より負けた側に配慮しているような賞罰がある。
具体的にいえば島津への対応である。

以上の謎を突き詰めていくと、アッと驚く結論となる。

島津が家康サイドでなかったか?くらいまではなんとなくそういう匂いもするなあ、とついていけたのだが・・・

この謎解きを、徳川家康の血を引く19代宗家が行うというのが、また面白い。

歴史に興味のある人は、本屋で立ち読みをしていただくといいと思うのだが、ちょっと長いので、何回かに分けて立ち読みをしなければならないのではないだろうか?

これを話題にして誰かと酒を酌み交わしたいのだが、なかなか見つからない、それが悲しい。

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