読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

新三河物語(上) 宮城谷昌光 新潮文庫

2011-04-24 18:41:34 | 読んだ
「三河物語」は大久保彦左衛門忠教が著したものである。

「大久保彦左衛門を知っているか?」
と、周囲の若い人たち(30代を含む)に聞いたら知らないという。
そういえば、近頃「一心太助」のドラマもないし、徳川家光を主人公とした時代劇もないので、知らない人も多いだろう。

大久保彦左衛門といえば「天下のご意見番」としてドラマでは有名であるが、歴史上では「三河物語」という貴重な歴史資料となる記録を著している。

その三河物語を土台にしていると思われる「新三河物語」が三河出身の宮城谷昌光に寄って描かれると聞けば、読まずにはいられない。
文庫は上・中・下の3巻になっている。

徳川四天王には酒井、本多、榊原、井伊となっているが、なぜ大久保一族のうち、例えば大久保忠世とか大久保忠隣が入っていないのかとおもうほど大久保氏は徳川に尽くした。
尽くしたけれども、幕府成立後に失脚をしてしまう。
たぶんこの失脚によって大久保一族はその勲功が喧伝されなくなったのだろう。

私は、山岡荘八の「徳川家康」の大ファンで、従って戦国期のなかでは徳川家康が大好きである。その「徳川家康」では、大久保氏について詳しくは描かれていなかったので、今回は非常に楽しみである。

さて、上巻は「桶狭間の戦い」から幕が開く。
桶狭間の戦いが終わった後、家康(このころは松平元康)は今川の呪縛から逃れ、三河の岡崎で自立する。

そして、家康は大きな試練に揉まれる。
それは領内における一向一揆である。
一揆といっても家臣も一揆側に加わる。
宗教戦争であるから、非常にややこしい戦であり、いわば領内における消耗戦である。

家臣団も一揆側と家康(領主)側に、親子兄弟、親族がそれぞれの思惑で別れている。
その中にあって「大久保一族」は一族挙げて家康につき、大活躍をする。

家康というか徳川家にとっては大きな試練であったが、試練を乗り越えたことによりその後着実に大きくなっていったといえる。

身内同士の戦いで目に見えて得るものがなかったのだが、なんというか訓練が実践で行われたというかんじである。
しかも、その後の徳川家の中核となる人たちは、このとき家康をはじめとして「若い」のである。この人たちにとっては大きな教訓ともなっただろうし、経験をつむことが出来たし、自分達のなかでの実力もよくわかったと思う。

その若い人たちの中にあって、大久保一族(大久保党)の総帥、大久保忠俊(常源)の存在は重く頼りがいがある。
こういう年寄りになりたいと思う。

後年、家康の謀臣となる本多正信がこの一揆のときは一揆側の参謀格としている。
正信は「戦わずして勝つ、或いは勝つべくして勝つ」という戦略を基本とする。

これは正しいと思う。
しかし、そのことを味方にも悟られてはならないのである。
つまり戦は「戦わずして勝つ、或いは勝つべくして勝つ」べきなのであるが、形としては「戦をした人たちの力で勝った」ことにしなければならないのである。
決して、大きな戦略で勝ったことを第一の手柄にしてはならない、と思う。

さて、この本多正信は後年大久保党にとっては大きな存在となる。
このあたりも含めて中・下巻を読んでいきたい。

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