読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

落語戦後史 吉川潮 新潮新書

2010-02-08 23:23:10 | 読んだ
落語会には「落語協会」と「芸術協会」という二つのおおきな会があることは知っていた。
また、落語協会は三遊亭円生が一門を引き連れて分派しその後円楽が後をついで今は「円楽一門会」、更には立川談志が「立川流」として分派した。
従って、現在東京の落語界には4つの団体がある。

ということは知っていたし、噺家の名前や顔も一般に比して知っているほうだし、噺だって知っているものは多い。

つまり、私は落語ファンである。ただし「熱烈な」という文字は入らない。

若い頃東京に出張に行くと、夜はナイターか寄席だった。
2週間の研修のときは1日ずっと浅草演芸場に居たこともある。

というようなことから、落語については興味がある。

著者の吉川潮は立川談志を中学生のとき寄席で見て聴いてファンになり、以来ずっとファンであるということなので、この本も立川談志にかかわることが多くそして詳しく書いているし、見ようによっては偏向しているということもある。

しかし、これまで落語界の一連の歴史というものを読んだことがなかったので、非常に興味深くそして面白く読んだのである。

落語界の歴史、特に分派していったり、内部で争いごとがあったりするのを読むと、いずれの世界(社会:組織)にもこういうことがあるんだなあ、と今更ながらに思うのである。

「シャレ」ということが落語界であるように、なんだかちゃらんぽらんでとっぴでそれでいて文化的であって、という人たちでさえ、いざ組織となると「しゃれ」ではすまないことがあるようだ。

この争いごとに関していえば「仁義なき戦い」と同じようである。

また組織が分派していっても、落語家は落語家というような流れもあり、この辺はプロレス界を思い浮かばされる。

つまりは、落語家といえどもやっぱり人間である。ということか。
それでも彼らは特異な人間である。

現在のお笑いというものはどちらかといえば「刹那的」である。

オチがすでにわかっている古典落語は、その物語性を軸としてギャグをまぶし、心にうったえることが大きな特徴である。
忘れ去られるようであって心に残る、それを求めて多くの落語家たちが世間へ向けて「噺」を放っている。

なんだか、すごく落語が聞きたい気分である。
だから読書はやめられない。

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