尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「スタッズ・ターケル自伝」を読む

2016年11月22日 20時40分53秒 | 〃 (さまざまな本)
 「スタッズ・ターケル自伝」(原書房、2010、3400円)という本を読んだ。440頁を超える重い本で、ずいぶん時間がかかってしまった。スタッズ・ターケル(1912~2008)といっても、すぐに思い浮かぶ人は少ないだろう。アメリカ現代史の「オーラル・ヒストリー」(口述の歴史)をいっぱい書いたことで知られる人。この本を読むと、それだけでなく実に様々な活動に関わってきたことが判る。

 6年前に出た本だけど、トランプが大統領に選ばれるような時代にまず読むべき本だと思って、読み始めた。最近アメリカ文学をいろいろ読んでいるので、その流れで現代アメリカをもっと知りたいと思ったのである。その期待に十分に応えてくれる本で、考えさせられるし、勇気を与えられる。高くて厚いけど、多くの人に一読を薦める本。金原瑞人、築地誠子、野沢佳織共訳で、文章はすごく読みやすい。注がいっぱい付いていて、全部きちんと読むと大変。でもアメリカの大衆文化に詳しくなれる。

 ターケルは本名はルイス・ターケル。ニューヨーク生まれだけど、ホテルを経営する両親とともにシカゴに移り、ずっとシカゴで活動した。シカゴ大学で法律を学ぶが、大恐慌時代だから就職が難しい。親の仕事のホテルを手伝ったり、ニューディール時代の失業者救済組織で働いたりした。その後、演劇に関わり、ラジオでディスクジョッキーをする。ある舞台に立つとき、ルイス名の役者が3人いて、区別のために「スタッズ」を名乗り始める。ディスクジョッキーとしては、ジャズやクラシック、フォークソングなどをジャンルを問わず流す番組を始めて、ものすごく受けた。そういう聞き方は当時はなかったのである。

 だけど、ずっと左派として活動していたから、第二次大戦後には「非米活動委員会」から目を付けられる。番組がなくなり、すごく困った時代が続くが、いろんな幸運も続いて、人々をインタビューした本が売れるようになったのである。いろんな仕事の人をインタビューした「仕事」や第二次大戦の記憶「よい戦争」、皆が忘れかけていた「大恐慌」、あるいは「アメリカの分裂」、「人種問題」など多くの本をまとめた。これらは80年代に日本でも翻訳され大きな影響を与えた。日本でも同種の本が出されたと思う。でも、時間が経って今はあまり新刊としては残ってない。(他にも「ジャズの巨人たち」という本もある。)

 思い出に残る多くの有名、無名の人々の姿。結婚相手のアイダは、すぐれたソーシャルワーカーで、誰にも親しまれた。アイダが言い出して、ワシントン大行進に参加する列車に参加したのである。ターケルはFBIに就職しようとしたこともあるが、不採用になった。そのFBIは後にターケルを監視する。ラジオ番組でビリー・ホリデイを掛けたから。信じがたいバカバカしさだけど、そんな時代だったのである。

 有名なジャズ歌手のマヘリア・ジャクソンがラジオに登場し、司会のターケルが番組後に食事に誘うと、有名な店だけど彼女は行きたがらない。店で(人種問題で)トラブルが起きるのが心配なのである。そんな時代に、中心部にありながら人種を問わず受け入れていたのが、「リックの店」。この名前と主人が「カサブランカ」のモデルになったという話。ガムで有名なリグレーが店の敷地を持っていて、地価が下がると文句を言ってくる。でもリックは突っぱねた。

 実に感動的なエピソードがいっぱい出てくる。「アメリカ民衆列伝」みたいな本だけど、中でもこんな人。ペギー・テリーというアーカンソー州出身の女性である。父親がKKK(クー・クラックス・クラン)に属していたので、小さいころから黒人に偏見を持っていた。アラバマ州モントゴメリーに住んでいた時、キング牧師が指導するバス・ボイコット運動が起きた。そして、キングが刑務所から出てきたとき、白人多数にリンチされるところを目撃した。これが転機になったのである。無抵抗のキングに殴りかかる白人を見て、「白人は卑怯なことをしない」という信念が崩れたのである。

 やがてペギーは人種平等会議に入って、自分も刑務所に何度か入る活動家になった。そしてターケルは1968年に、ある会合でペギーがスピーチするのを聞いた。聴衆はほとんどがアフリカ系である。「白人女のわたしが、なんでわざわざ黒んぼなんかといっしょに刑務所に入ったんだって聞かれたから、こう答えてやったわ。『あそこに入ったからこそ、教育もろくに受けていない貧乏白人が、ノーベル賞受賞者と握手できたんだよ』ってね。」もちろんノーベル賞受賞者というのはキング牧師である。

 ターケルはほとんど一世紀近くを生きて、最後に依頼されて自伝を書いた。(原著出版は2006年。)記憶違いもあって、それは訳者が判ったところは注を付けている。全部は書けなくて、以前に書いたものを抜粋した箇所もある。一世紀近くの間には多くのことがあり、ターケルは大恐慌を、大戦を、「赤狩り」を生き延びてきた。だから、アメリカ人は「国民的健忘症」に掛かっていると言う。さらに「認知症」だとまで非難している。大恐慌の時代に、祖父たちが「大きな政府」で生き延びたというのに、金持ちになった孫の世代は「小さな政府」がいいと言う。歴史を忘れたのだと言う。

 これは全く今の日本人にも言えることだろう。戦争の時代、貧困の時代を忘れただけでなく、つい数年前のことも忘れてしまう。パソコンどころか、車の運転も生涯しなかったほど機械が苦手なターケルが、ただ二つ何とか使いこなせたのがタイプライターとテープレコーダー。だから残せた20世紀の貴重な証言で、歴史について、人間について、アメリカについて、学ぶことの多い本だった。
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