尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

梁石日、槇文彦、遠藤章、野口武彦、白石かずこ他ー2024年6月の訃報②

2024年07月07日 19時45分37秒 | 追悼
 2024年6月の訃報2回目。日本の作家、学者などを中心に。まず最初に作家の梁石日(ヤン・ソギル)が6月28日に死去、87歳。僕はこの人の本をあるときいっぱい読んでた。80年代にタクシー運転手の体験を軽妙に描く本を何冊か読んで注目した。それが崔洋一監督『月はどっちに出ている』の原作になったわけである。そして『夜を賭けて』(94)、『血と骨』(98)という二つの超大作を発表した。どっちも直木賞候補になったが、深刻な歴史的背景がありつつも骨太なエンタメ作品である。「在日朝鮮人文学」の中に、そういう人が出てきた。読んでて波乱万丈で面白いのである。特に『夜を賭けて』は大阪砲兵工廠跡の鉄くず窃盗団、つまり開高健『日本三文オペラ』、小松左京『日本アパッチ族』と同じ話を描いている。それが実の話だったのかと驚いた。しかし、あまりにも似たような傾向で多作なので、21世紀になったら読まなくなってしまった。
(梁石日)
 建築家の槇文彦が6月6日死去、95歳。まあ建築のことはよく知らないが、「モダニズムを基本にした知的な作品」だそうである。東大で丹下健三に師事し、磯崎新、黒川紀章と三羽ガラスと呼ばれた。60年代から数多くの設計を手掛けているが、代々木の東京都体育館を改築した東京体育館(90)や69年から98年にかけ作られた「代官山ヒルサイドテラス」などが代表作と言われる。プリツカー賞など内外の多くの賞を受賞している。他の作品に京都国立近代美術館、幕張メッセ、テレビ朝日本社、ニューヨーク世界貿易センター跡地のビルなど。僕の身近なところでは足立区北千住にある東京電機大学千住キャンパスがある。
(槇文彦)(代官山ヒルサイドテラス)
 詩人の白石かずこが6月14日死去、93歳。多くの詩人が70年前後に小説を書いて評価された(富岡多恵子や三木卓など)が、白石かずこは一貫して詩とエッセイ、翻訳しか手掛けなかった。そのため実際に読んでる人は少ないと思う。僕も読んでないが、70年代頃には「前衛的女性芸術家」の代表のように思われていた。 『聖なる淫者の季節』(70)でH氏賞、『砂族』(84)で歴程賞、『現れるものたちをして』(96)で高見順賞、読売文学賞、『詩の風景、詩人の肖像』(09)で読売文学賞など、主要な詩の賞を受け長く活躍した。世界各地の詩人祭などのイベントで朗読を行い世界的に評価されている。一時映画監督篠田正浩と結婚していた。三島由紀夫、寺山修司などと交友してきたことでも知られる。
(白石かずこ)
 江戸時代を中心に多くの著作がある文芸評論家、日本文学者の野口武彦が6月9日死去、86歳。東京出身だが長く神戸大学教授を務めた。70年代から『谷崎潤一郎論』(73)で亀井勝一郎賞を受賞するなど文芸評論で活躍したが、専攻は近世文学、近世思想史。『江戸の歴史家』(80)でサントリー学芸賞、『「源氏物語」を江戸から読む』(85)で芸術選奨文部大臣賞、『幕末気分』(09)で読売文学賞など一般向け著作で多くの賞を受けてきた。95年には阪神淡路大震災で被災し、その後『安政江戸地震 災害と政治権力』(97)を書いている。他に『荻生徂徠―江戸のドン・キホーテ』(93)、『忠臣蔵 赤穂事件・史実の肉声』(94)、『江戸は燃えているか』(06)など多数。余りにも多いので、とても全部は読めないけれど、こうしてみると何冊かは読んできた。この人がすごいと思うのは、2010年に脳梗塞を患いながら片手でも執筆を続け10冊以上の本を出したことである。
(野口武彦)
 フランス文学者、女性学者の西川祐子が6月12日死去、86歳。フランスに留学し、パリ大学で文学博士号取得。近代日本文学を女性学の立場から研究した多くの著作がある。『森の家の巫女高群逸枝』(82)、『私語り樋口一葉』(92)、『借家と持ち家の文学史 「私」のうつわの物語』(98)、『古都の占領 生活史からみる京都 1945-1952』(2017)など。共著に西川祐子、上野千鶴子、荻野美穂『フェミニズムの時代を生きて』(2011)など。夫はフランス文学者の西川長夫。
(西川祐子)
 コレステロール低下薬スタチン」の発見者として知られた東京農工大学特別栄誉教授の遠藤章が6月5日死去、90歳。ここ10年以上毎年ノーベル賞候補と騒がれてきたが受賞はならなかった。日本国際賞、米ラスカー賞など数多くの賞を受けている。幼い頃からカビや菌類に関心があり、東北大から三共に入社、アメリカ留学でコレステロールの重要性を認識した。帰国後に6千種もの微生物を調べ、米の青カビから有望物質を発見した。発がん性の問題で困難にぶつかりながら、米メルク社と三共が開発に成功。世界で一日に4千万人が服薬する「奇跡の薬」と呼ばれている。一般的な知名度は高くなかったので、人間ドックで高コレステロールを指摘され「最近いい薬があるので心配ないですよ」と言われたというエピソードがある。
(遠藤章)
坂根厳夫(さかね・いつお)、4月28日死去、94歳。朝日新聞記者を経て、慶応大教授、情報科学芸術大学院大学学長を務めた。芸術と科学の境界領域に関心を寄せ、多くの展覧会を企画した。『遊びの博物誌』『イメージの回廊』など多くの著作がある。僕は70年代頃に朝日新聞でよく坂根記者の記事を読んでいて大きな影響を受けた。
鷹羽狩行(たかは・しゅぎょう)、5月27日死去、93歳。俳人。山口誓子、秋元不死男に師事し、78年に俳句誌『狩』を創刊し主宰した。以後半世紀にわたって俳句界を牽引した。2002年俳人協会会長。2015年に芸術院会員。「摩天楼より新緑がパセリほど」「人の世に花を絶やさず返り花」「秋天の一滴となり鷺下りる」などの秀句がある。
武田国男、9日死去、84歳。93年から武田薬品社長。創業家の三男として生まれ、長男の死後に社長候補となった。成果主義を取り入れるなど脱創業家を進め、日本の製薬会社として初の売上高一兆円越えを達成した。
関淳一、9日没、88歳。2003年~2007年に大阪市長を務めた。医学博士だが大阪市立病院から保健部長を経て、95年から大阪市助役。戦前に20年間大阪市長を務めた関一の孫。
伴英幸、10日死去、72歳。原子力資料情報室共同代表。国の原発事故対応や原子力政策を批判した。
斎藤栄、15日死去、91歳。作家。横浜市に勤務しながら、66年に『殺意の棋譜』で江戸川乱歩賞を受賞した。72年に作家専業となり、多くのベストセラーを書いた。『奥の細道殺人事件』などの他、『タロット日美子』シリーズ、トラベルミステリーの『江戸川警部』シリーズなどで知られる。将棋ファンとして関連の本も多く、第4回大山康晴賞を受賞している。
三島喜美代、19日死去、91歳。美術家。空き缶や新聞、雑誌などを陶で表現した作品で知られる。
川満信一(かわみつ・しんいち)、29日死去、92歳。詩人。元沖縄タイムス取締役。沖縄タイムス文化事業部長などを務めた。雑誌「カオスの貌(かお)」を主宰しながら、独自の立場から『沖縄・根からの問い』『琉球協和社会憲法の潜勢力』などの著書を書いた。
ルース・スタイルズ・ガネット、11日死去、100歳。アメリカの児童文学者で『エルマーのぼうけん』で知られた。

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