尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

姫野カオルコ「彼女は頭が悪いから」を読む

2021年05月04日 22時45分30秒 | 本 (日本文学)
 姫野カオルコ彼女は頭が悪いから」が文春文庫に入ったから、早速買って読んでみた。2018年7月に出たときは、ずいぶん話題になった本だ。かなり厚いし(文庫本で550ページぐらい)、「嫌な本」に決まってるから文庫で読めばいいやと待っていた。もちろん「嫌な本」だったし、僕には疑問もある。だけど、この読後の嫌な気分はまさに現代日本に根差しているものだから、読んで置くべき本だ。それは本を読んだときの感動とは違う種類のもので、カテゴリーも小説だから一応「日本文学」にしたが、「世の中の出来事」にすべきかもしれない。

 文庫に書かれている紹介。「郊外生まれで公立育ちの女子大生・美咲と、都心生まれで国立大付属から東大に入ったつばさ。育った環境も考え方も異なる二人が出会い、恋におちた結果……東大生5人による強制わいせつ事件となり、被害者の美咲が勘違い女として世間から誹謗中傷される。現代社会に潜む病理を浮き彫りにした傑作。第32回柴田錬三郎賞受賞。」

 さらに帯を見ると、「あんたネタ枠ですから!」「被害者の美咲は東大生の将来をダメにした“勘違い女”なのか? 現代人の内なる差別意識に切り込んだ問題作!」「あんたの大学で、あんたの顔で、あんたのスタイルで……思い上がりっすよ。」と書かれている。これは現実に起こった事件にインスパイアされて書かれた小説だが、ノンフィクションノベルではない。取材によって現実を再現するのではなく、ここで描かれる人物はあくまでも創作である。美咲は神奈川県の進学校・藤尾高校から水谷女子大へ進んだ。そんな学校はない。でも、理解出来る。

 水谷女子大は東京都文京区と横浜市瀬谷区にキャンパスがある。文京キャンパスで開かれた入学式で、ある女性教授が式辞を述べる。文京区にあるお茶の水女子大日本女子大に対し、みんな判っているように水谷女子大は一番偏差値が低い、と。この教授は後で思いがけぬ時に登場するので注意しておく方がいい。美咲は教授が言ったことに納得し、電車内で化粧はしない。水谷女子大でもふとした偶然で出会った近くの横浜教育大(架空)の学生たちと知り合うが、何故か友だちはカップルになるけど美咲は縁遠い。ホント、何故なんだろうって思う。
(姫野カオルコ)
 この小説の特徴は、「神立(かんだつ)美咲」と「竹内つばさ」を高校時代から描いてゆくこと。すれ違ったこともあった。さらに家庭環境を祖父母にさかのぼって描く。他の東大生も、また他大学や高校時代の知り合いも多く出て来る。ミステリー小説のように「登場人物一覧表」が欲しいところだ。大学でも日芸(日大芸術学部)やSFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)、東京女子大などの学生が出て来る。それらの大学の「記号学」、つまり首都圏で偏差値、経済力など、どの程度のレベルとみなされているかの予備知識がないと判りにくい。でもどこの世界にも上下格差は作られているから、ニュアンスで理解可能だろう。

 なんで親以前にさかのぼって描くかと言えば、「東大生」は「製造物」だから、「製造物責任者」を知らないと理解出来ないからだ。それは「格差」と言ってもいいが、もはや「分断」されきっていて、今さら変えられない世界だ。だから有利に生きていくしかなく、無意味なノイズを人生からシャットアウトしなければならない。しかし若い男として性欲は旺盛だから、「東大生目当て」に「自分からパンツを脱ぐ女」を確保したい。それだけなら、彼らは単に「嫌なヤツ」で済んだだろうが、彼らはそれを「組織化」することを考え「星座研究会」なるサークルを立ち上げる。男は東大、女はお茶大と水大。ここら辺が怪しくて気持ち悪い。

 つばさは「横浜教育大付属」から東大に進むが、その時点で「パドルテニス」をやってる。僕は知らなかったが、アメリカ生まれのニュースポーツである。協会のサイトを見ると、「サッカーとフットサル」と同じような感じのテニス版だと出ている。新規の団体だから学校では同好会扱いで、だから近くの藤尾高校の女子がマネージャーになるのが慣例となっている。この女子マネは実名と別に「朝倉」と「」と呼ばれることになっている。(これは漫画「タッチ」から。)

 この辺の描写から見えてくる「ホモソーシャル」な組織の気持ち悪さ。そもそも男には「学力」とともに「運動神経」という評価軸がある。東大はAO入試では入れないから、部活一辺倒ではなく勉強しなくてはいけない。大体勉強がすごく出来る生徒は、スポーツ系じゃないことが多い。しかし、「東大に入って、さらに女にモテる」を達成するためには、「スポーツをしていた」経歴も有利となる。兄が運動音痴なつばさは、そこでパドルテニスという新しくて、ゆるそうなスポーツに目を付ける。そこら辺の事情があからさまに語られる。

 女子の事情はもっとシビアに語られるが、ここでは僕は書かない。直接本書で読んで欲しい。一言で言えば、あからさまに描かれすぎて「イタい」を通り越して、リストカットを繰り返しているような小説。だから面白いかと言えば、どうなんだろうか。確かに一気読みしてしまうが、結果は判り切っている。そして姫野カオルコの小説には多いのだが、説明が多すぎる。説明を少なくして主人公の心情を浮かび上がらせるのではなく、司馬遼太郎の小説のように登場人物が作者の手の中で動いて行くのである。そこにどうしても引っ掛かるのが正直なところ。

 だから何だか「情報小説」を読んだみたいな読後感になる。登場人物はすれ違ったままで、何も変わらない。人物が作家の手を離れて自立してしまうのが優れた小説を読む楽しみだとすれば、この小説は「考える素材」だろう。なんですれ違ったままなのか。ここで出て来る「東大生」の方が「勘違い」人生を送っているのだが、そこを最後まで理解出来ない。「美咲」の方も今後どうなっていくのか描かれない。正直、美咲が「善人」すぎてもどかしい。なんでカレシが出来ないのか、僕には全く理解出来ない。だが、人生は確かにそういうもんだった。なお、「東大生」は一つの記号である。現実の東大卒業生は何人も知ってるが、「勘違い」している方が少ないだろう。
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