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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

石坂公成、流政之、常田富士男、松下康雄等-2018年7月の訃報②

2018年08月09日 22時11分54秒 | 追悼
 国際的な免疫学者である石坂公成(いしざか・きみしげ)が亡くなった。1925~2018.7.6、92歳。この人は世界で初めてアレルギー反応の仕組みを解明した人である。1962年に夫妻で渡米して共に研究を続け、1966年にアレルギーを起こす抗体「免疫グロブリンE」(IgE)の発見を夫婦両名の名で発表した。僕が石坂氏の名前を知っているのは、70年代以後毎年のように「ノーベル医学生理学賞の有力候補」と言われ続けたからだ。ノーベル賞は受賞できなかったけれど、石坂氏乃発見以後、アレルギーの治療法は大きく進み、ぜんそくの死者は大きく減ったという。花粉症や食物アレルギーの簡易検査キットもできた。人類に大きな貢献をした人だと思う。
 (石坂公成氏)
 彫刻家の流政之(ながれ・まさゆき)が死去。7月7日没、95歳。長崎生まれで、戦争中は零戦のパイロットだったという。敗戦後に独学で彫刻を学び、石を使った大きな彫刻で世界的に有名になった。世界的知名度で知られて、僕もそういう人として知った。世界貿易センタービルの前に作った「雲の砦」は、テロでも奇跡的に無傷だったが救助活動の妨げになるとして撤去された。今は北海道立近代美術館に半分の大きさで再現されているという。1975年に帰国し、香川県高松市の工房で政策を続けていた。アメリカや日本各地に多くの彫刻を残している。
  (雲の砦)
 俳優の常田富士男(ときた・ふじお)が、7月18日に死去、81歳。1975年から94年まで「まんが日本昔ばなし」の語り手を務めた。そうか、これで一番知られているのか。僕の大学時代以後だから全然見てない。僕が知ってるのは、独特の風貌で巨匠の映画監督に重用されたことだ。では何が代表作かと言われると、脇役ばかりだから挙げにくい。でも黒澤明「赤ひげ」「」、市川崑「股旅」「細雪」、今村昌平「楢山節考」「うなぎ」などの名作がある。宮崎駿「天空の城ラピュタ」でも声優をした。テレビドラマにもたくさん出ていたから、顔と名前は大体の人が知ってた。

 日本銀行第27代総裁松下康雄が7月20日に死去、92歳。大蔵次官を2年間務めた後、太陽神戸銀行に入り頭取の時に三井銀行と合併して「さくら銀行」を誕生させた。1994年に三重野康の後を受けて日銀総裁に就任。ちょうどバブル崩壊後の金融恐慌(97年の山一證券などの破たん)時の総裁だったが、1998年に大蔵省接待汚職事件で4年で辞任した。松下総裁時代の98年4月に日銀法改正で日銀の独立性が高まった。松下氏と言えば思い出すのは、旧制一高時代の友人として、2002年に小柴正俊さんがノーベル物理学賞を取った時に、上田耕一郎共産党副委員長とともに祝宴の場を設けたという話である。共産党の指導者、日銀のトップ、ノーベル賞学者がともに一高の寮にいた。そういう時代もあったのである。
 (松下康雄氏)
 民主党政権で環境相、復興担当相などを務めた松本龍が死去。7月21日、67歳。社会党から衆議院議員の当選、民主党結党に参加して計7回当選した。「解放の父」松本治一郎が祖父と報じられているが、間違いではないが直系ではない。治一郎は生涯結婚せず運動に全力を注ぎ、甥の英一を養子とした。松本龍はその松本英一元参議院議員の子である。2010年9月に菅直人改造内閣に環境相及び防災担当相として入閣した。「3・11」後に復興担当となり、東北視察時の言動が問題化して7月に辞任した。その印象ばかり強いけれど、一年近く環境相を務め生物多様性条約締約国会議の議長をしたりしている。辞任後に「軽度の躁状態」で入院したので、あの時の不可解な言動も病気の影響があったのかと思う。2012年の選挙で落選し次の選挙に出ず引退。

 7月の訃報で一番驚いたのは、カザフスタンのフィギュアスケート選手、デニス・テンが強盗に殺されたというニュースだ。7月19日、25歳。ソチ五輪で銅メダルを獲得した。金は羽生結弦。競技順はだいぶ早かったけど、後走の選手が続々と失敗しメダル圏内に残った。テン選手と知らずに車からミラーを盗もうとしてもみ合いになり刺したということらしい。そんな悲劇があるのか。

・建築学、住居学の早川和男が死去。日本住宅公団、建設省を経て神戸大学教授となった。「居住学」を唱え「住まいは人権」として多くの本も出している。長年教えていた神戸で1995年に震災が起き、神戸市の行政を失策と批判した。岩波新書「居住福祉」他多くの一般書もあり、反骨の学者として知られた。訃報の扱いが小さすぎると思う。
・元プロ野球選手、監督の穴吹義男が死去。7月31日没、85歳。中央大学から1955年に南海ホークスに入団。その時に各球団の獲得競争が激化し大金が動いたとされる。それが「あなた買います」という小説になり、佐田啓二主演、小林正樹監督で映画化された。1956年の開幕戦で新人としてサヨナラホームランを放った。僕はさすがにこの時代のことは知らない。僕が知っているのは、大阪にあった南海ホークスで監督をしたということだ。(南海は今のソフトバンクの前身。)
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