尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

4度目の緊急宣言を考えるー憲法と歴史認識がなぜ大切なのか

2021年07月19日 22時03分20秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 東京都に12日から4回目の緊急事態宣言が出されている。じゃあ、どれだけ緊迫しているかと思うかもしれないが、実はもう多くの人は気にしていない感じがする。テレワークは少なくなったのか、電車も混んでいる。むしろ宣言前より混んでるかもしれない。都民の多くも「慣れた」というより、「緊急事態と感じていない」のではないか。今回に関しては、病床の逼迫度など「緊急事態宣言」の水準に達してなかった。しかし、明らかに感染者は増加していたから、今後さらに大幅に増加する可能性はある。しかし、年末にはもっと多かったことを覚えている。

 要するに「こういうレベルになると緊急事態宣言を出す」という判断基準が時々によって違うのである。そして出すたびに「これを最後にする」と言って、次にまた出しても「変異株」が現れたからだとする。まあ、今回は実は記者会見を見てないので何を言ったか知らないんだけど。今まで見た感じで言えば、言質を取られないような一般論を繰り返すし、責任をもって取り組み感じを受けないことが多かった。今回はなんでも、挙手してる人を当てずにしてない人を当てたとか。ホントかどうか知らないけど。

 このような菅内閣に対して各マスコミの世論調査で支持率が下がり続けている。直近の調査では3割を切るか、ギリギリ3割程度まで下がった。それも当然かと思うが、では就任当初の「ご祝儀相場」はなんだったのだろうか。安倍政権復活以後、8年にわたって毎日記者会見をしていた菅官房長官だったが、首相になると「この人誰?」という人が結構したのでビックリした。「たたき上げ」などと言って持ち上げる人まであった。しかし、菅氏の記者会見を少しでも覚えていたら、「こういう人だ」というのは容易に予想出来たはずだと思う。
(今までの3回の緊急事態宣言)
 もう今までの3回の緊急事態宣言の詳しいことも忘れている。比較している画像があったので上に載せておきたい。2回目は「飲食店を中心にしたピンポイント」と言って、3回目は「ゴールデンウィークを中心に短期」と言ってた。だが、いずれも解除する時期には感染者数が増加に転じていた。その結果、3回目、4回目の緊急事態がすぐに必要になったわけである。僕はそれを「同じような間違いを何故繰り返すんだろう」と思ったし、「整合性なきコロナ対策の末に」という記事も書いた。だけど、今ちょっと考えを変えている。

 僕は1月に「急がば回れー菅首相は「学術会議」と「桜を見る会」を解決せよ」を書いた。コロナ対策で国民の信用を得るためには、まずコロナ以前に「学術会議問題」と「桜を見る会問題」にきちんと向き合って解決しないといけないと論じた。特に「学術会議問題」は専門家の声は自分に都合のいいときしか聞かないと宣言したようなものだった。そういうことを説明なく強権的に進める政権が、科学的な整合性を持ったウイルス対策を進められるはずもなかったのである。今になってみれば、そういうことだと思う。

 さらにさかのぼって考えてみれば、安倍政権の目玉政策は「整合性」などないようなものだった。特に「集団的自衛権の一部解禁」を行った2015年の安保法制。現在では(日米安保条約のある)アメリカ軍だけでなく、オーストラリア軍やイギリス軍の警護まで「自衛隊」が担当している。もはやそういうニュースも大きく報道されない。慣らされてしまって、ニュース価値がないのである。しかし、いくら何でも「集団的自衛権」が憲法上認められるとは思えない。このとんでもない「(憲法に対する)整合性なき政策」を考えてみれば、コロナ対策で何回も緊急事態宣言を出すなんて驚くような物じゃなかった。

 何度も同じような間違いを繰り返すというのも、自民党議員が「歴史認識」や「性的マイノリティ」問題などで「暴言」を繰り返していることを思い出せば全然ビックリすることではない。そこら辺から考え直さない限り、日本人は同じような総理大臣ばかり持つことになる。結局日本国民がそういう内閣を作り出しているんだということを自覚しないといけない。それこそがパンデミックから学ぶべきことだ。
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