尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「安倍4選」と「ポスト安倍」ー2020年の政局

2020年01月02日 23時16分25秒 |  〃  (安倍政権論)
 ちょっと前なら、大晦日に一年のまとめ、元旦には年頭所感かなんか書いてたような気がするけど、どうも最近は気が乗らなくなってしまった。クリスマスも正月もなく、新年早々政局の話。2020年は「ポスト安倍」がはっきりして来る年になるだろう。2017年10月22日に衆議院選挙が行われた。2021年10月に任期満了を迎える。衆参両院で圧倒的な第一党である自由民主党だが、その総裁任期は2021年9月までである。自民党総裁は任期3年、連続3期までなので、安倍総裁は今回で終わりである。

 ということで、史上最長の安倍政権も、長くても2021年秋までのはずだが、「安倍4選」「ポスト安倍は安倍」という声が絶えない。それをどう考えるべきだろうか。「大統領制」の国だと、憲法で大統領の任期を制限していることが多い。アメリカは任期4年、2期まで。韓国は任期5年、1期まで、といった具合に。一方、「議院内閣制」の国では、憲法上は首相任期に制限がないのが普通だ。選挙で選ばれた多数党の党首を国会が首相に指名することが普通。政党は国民が自由に作る結社だから、党首の任期を縛る権限が政府にはない

 だからドイツなど、西ドイツ時代から数えて、アデナウアー、エアハルト、キージンガー、ブラント、シュミット、コール、シュレーダー、メルケルと戦後に8人しかいない。1990年のドイツ統一以後では、たった3人である。日本でも憲法上の制限はないので、自民党が党則を変えれば安倍首相が続投することは可能だ。かつては自民党総裁が「任期2年、2期まで」だった時代がある。その時期の中曽根首相、小泉首相は、それぞれ1986年衆参同一選、2005年の「郵政解散」で大勝したため、特別に「総裁任期の一年延長」が行われた。だから両内閣は約5年続いたわけである。

 そのリクツでで言えば、同じように「安倍首相のもとで解散して大勝利」したならば、選挙で勝った首相を党則通りに辞めさせていいのかという声が出るだろう。しかし、安倍政権は2012年に政権復帰して以来、すでに7年も続いてきた。また選挙するなら、安倍首相は「まだやるのか」「いつまでやるのか」と「安倍4選是非」が選挙の最大争点になってしまう。それをはっきりさせないと「安倍政権の下で憲法改正を実現する」なんて言っても説得力がない。しかし「自分の手で改憲するまで辞めない」なんて言ったら、さすがに「権力の私物化」の世論が湧き上がるだろう。

 いま「安倍4選」とか言っているのは、二階幹事長麻生副首相である。これは「私利」に基づくものと考えられる。1939年生まれの二階幹事長、1940年生まれの麻生副首相は、誰が「ポスト安倍」だろうと、もうお役御免だろう。安倍後継内閣でも麻生財務相兼副首相なんてありえないし、そんなことがあったら支持率激減だ。だからもう、麻生は「永久副総理」でいいということなんだろう。二階幹事長も同様で、ここが権力の絶頂なんだから、「安倍4選」こそ望ましい。

 安倍首相の出身である「細田派」に「麻生派」「二階派」を加えれば、自民党議員の過半になる。だからその気になれば、この3派で安倍、麻生、二階で党則改正、安倍続投を決められる。しかし本当にそこまでするだろうか。本人の意向次第だとは思うが、例えば東京五輪を「花道」にして辞任するとすれば、安倍首相は後継選出に大きな影響力を及ぼせるだろう。中曽根、小泉は「まだ出来るかも」で余力を残して辞めたことで、その後も長く影響力を残せた。佐藤栄作など長くやり過ぎて、国民から飽きられてしまった。常識的に考えれば、無理せずに退くことで「後継内閣に改憲の影響力を残す」方を選ぶと思うが、周りから持ち上げられると「桜を見る会」みたいになってしまうかもしれない。

 2019年末に安倍首相がテレビ番組で「ポスト安倍」候補として4人の名を挙げたという。岸田文夫政調会長茂木敏充外相菅義偉官房長官加藤勝信厚労相の4人である。この顔ぶれは「石破茂元幹事長」を外していることに意味がある。安倍政権の7年間というのは、2012年総裁選で第一回投票で1位だった石破茂を、当初の幹事長から、地方創生担当相、そして閣外へと少しずつ遠ざけてきた歴史とも言える。過去に総裁選に立候補した人では、石原伸晃は失言等でもう望みはない。小池百合子は党を離れて都知事。かつて野党転落時に総裁選に立候補したことがある河野太郎は外相、防衛相を務めているが、安倍首相は名を挙げなかった。
(岸田政調会長)
 岸田は政調会長を務めながら、今ひとつ存在感がなく世論調査でも上位にならない。政策的に安倍首相と肌合いが違う「宏池会」(こうちかい=池田勇人、宮沢喜一系の派閥)を引き継いでいる。しかし自民党では政策より人間関係である。岸田氏と安倍氏は同じ「93年初当選組」で、岸田氏の初入閣は第一次安倍政権だった。第二次以後は長く外相を務め安倍政権を支えてきた。かつての加藤紘一が小渕首相に対抗して総裁選に出馬、2000年の森内閣に対する「加藤の乱」で党内基盤を失ったのを「教訓」にしているのか、ずっと「恭順」を続けてきた。
(茂木外相)(加藤厚労相)
 茂木敏充(もてぎ・としみつ)外相も、同じく93年初当選なんだけど、実は日本新党からだった。しかし、新進党に参加せず、95年に自民党に入党したので案外影響してないと思う。近年閣僚をずっと務めていて、大臣じゃない時期も政調会長などで重用されてきた。日米貿易交渉をまとめ急速に知名度を上げてきたけど、まだ総裁候補とまでは認知されてないだろう。それは加藤勝信厚労相も同様で、政策通だが首相には遠い。加藤六月元農水相の女婿で、2003年初当選。茂木、加藤両氏とも「竹下派」である。これは昔の「竹下登派」の流れだが、小渕派、橋本派、津島派、額賀派と名を変えてきた。額賀元財務相の権威が低下して会長を竹下亘(わたる、竹下元首相の弟)に譲った。茂木は会長代行だが、茂木も加藤も自分の派閥を持ってないことは弱い。
(石破元幹事長)
 石破茂は知名度が高く、世論調査でも支持がある。父は鳥取県知事、自治相を務めた石破二郎だが、1981年に亡くなった。1957年生まれの石破茂は86年に20代で初当選している。しかし宮沢内閣不信任案に同調し、選挙は無所属で戦った。その後離党し、新進党に参加するも再び離党、96年選挙も無所属だった。97年に自民党に復党したが、このように安倍、岸田らが初当選した後しばらくは立場を異にした。どうもこの時代のことが今も自民党幹部の頭には残っている感じだ。自前の派閥は持っているが、メンバーが19人だから、総裁選立候補に必要な20人に達しない。地方票頼りで、かつての小泉旋風の再現になるか。非常に難しいのではないか。
(菅官房長官)
 さて、安倍氏が3番目に挙げた菅氏だが、一時は「令和おじさん」などと呼ばれ、ポスト安倍最有力とまで思われた時期もある。しかし、その時期はもう終わったと見るべきだ。側近の菅原一秀、河井克之両大臣が辞職した段階で終わった。はっきり言って、菅後継を認めない勢力が党内には多いんだろう。しどろもどろの会見を見ても、もうこの人の応援を求める候補も減ることだろう。IR汚職もマイナス。党内の「石破にはしたくない」を優先して、安倍首相の辞任表明、岸田「禅譲」もありうると思うが、いつ衆院選をやるか。そのためには二階幹事長の意向、公明党の意向も大きく関係してくる。僕にはこれ以上判らないけど、大筋としては「ポスト安倍」に向けて動いていく年になるんじゃないかと思う。今回は野党の問題を書いてないけど、まあいずれということで。
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