尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

差別への感性の鈍さー安倍政権総括③

2020年09月20日 22時20分53秒 |  〃  (安倍政権論)
 安倍前首相が病気で退任すると発表したとき、「可哀想」であるとか同情する声がかなり上がった。僕だって第2次安倍政権発足の後、1年も経たずに病気が再発したとでも言うのなら、主義主張は別にして「悲運の宰相」だと思っただろう。しかし、1回目に書いたように当初の総裁任期規定を超えて「長すぎた」政権だった。それと同時に、首相に同情する以前に「政権に無視された人々」の方を先に思い出してしまうのである。

 一体、首相に同情した人は、辺野古基地に反対する人々原発事故で避難を続ける人々、あるいは赤木雅子さん(赤木俊夫さん未亡人)や伊藤詩織さん…などには同情しないのだろうか。つい、そう思ってしまうのである。安倍首相が安倍晋太郎氏の次男に生まれたのは、本人にとって動かせないことだ。同じように多くの人々が自分ではどうしようもなかった出来事で困っている。国家のリーダーはそれに対してメッセージを発するべきだろう。

 ウィンストン・チャーチルの「第二次世界大戦回想録」にヒトラーに会わなかった話が出ている。戦争が始まるまで、もうチャーチルの政治生命は終わったと思われていた。政治から離れたチャーチルは、本を書いたり絵を描いたりして悠々自適の日々を送っていた。彼は「日曜画家」として有名で、ヨーロッパ各地に写生しに出掛けたのである。ドイツにいたとき、ある人が「せっかくだからヒトラーに会ってみないか」と言ってきた。チャーチルは「会うのはいいけど、ユダヤ人迫害はおかしいと言うよ」と話したら、この話は立ち消えになったという。

 ユダヤ人の子どもがユダヤ人の親から生まれたのは、本人の責任ではない。それがイギリスの保守の健全さであって、ナチスドイツは友人になれない存在だったのだ。それに対して、日本の「保守」は「差別に鈍感」であることが多い。「反差別運動」が「革新」政党と結ぶことが多かった事情もあるかもしれない。それにしても20世紀の自民党有力者たちはもう少し「雅量」というか「懐の大きさ」を持っていたと思う。それは「沖縄への向かい合い方」に典型的だ。小渕恵三元首相野中広務元幹事長などが代表的である。

 じゃあ政策内容が今と違ったかというと、そうまでは言えない。大田昌秀元沖縄県知事が基地問題に関して「米軍用地の代行手続き拒否」を表明したとき、村山政権は裁判所に訴えて無効判決を得た。そして橋本政権で「駐留軍用地特措法」を改正して知事の抵抗を不可能にした。それでも今から見ると当時の政治家は安倍政権とは対応が違っていたとよく言われる。安倍首相や菅官房長官は選挙に当選した翁長知事に長いこと会おうとしなかった。面会要請を無視して、沖縄振興予算を減額して締め付けた。
(安倍政権での沖縄関係予算の推移)
 例えば「相模原市障害者施設襲撃事件」でも、安倍政権は何のメッセージも発しなかったことが思い起こさせられる。菅官房長官は現場を訪れて献花したけれど、事件そのものに内閣としてのメッセージがなかった。もちろん事件そのものは単なる刑事事件とも言える。だが襲撃犯は国会などに手紙を送り、障害者差別の犯行であることを明確にしていた。事件対応は捜査当局や裁判の仕事だが、反差別のメッセージは政治の問題だ。

 それを言うなら自民党所属の杉田水脈(みお)衆議院議員が「LGBT支援の度が過ぎる」と雑誌に発表した時も何の反応もなかった。何でも「生産性がない」という理由だったと思うが、どこをどう見れば「度が過ぎる」になるのだろうか。好きで性的なマイノリティに生まれるわけではないのに、政治家が率先して差別して回っている。杉田議員は2012年に「日本維新の会」(旧)から当選したが、2014年は「次世代の党」から出て落選していた。
(杉田論文)
 「陰謀論」的な極端な意見などを産経新聞に書いていた杉田を自民党にスカウトしたのは、安倍首相自身だと言われている。安倍氏が絶賛し、櫻井よしこや萩生田光一とともに誘ったのだという。2017年総選挙では「比例中国ブロック」から出馬したので、安倍首相が誘ったのは事実なんだろう。中国地方は安倍、石破、岸田などがいるので、小選挙区はほとんど自民党が勝つ。その時は広島6区以外はすべて自民だったので、比例単独最上位だった杉田は悠々と当選した。経緯を見れば、安倍首相には杉田発言を「たしなめる」責任があったと思う。

 政権初期には「朝鮮高級学校への無償化排除」を法制化した。誤解している人もいるようだが、「高校無償化」は「私立大学への補助金」とは違う。学校への補助ではなく、高校生を持つ家庭への「学びの支援」だったはずだ。もし朝鮮学校に問題があるとするならば、家庭への直接支援にすればいいだけだ。生まれによって差を設けるから「官製ヘイト」などと言われたりする。これら様々なケースを見てきて、安倍首相には「差別への感性の鈍さ」を感じてしまう。

 恐らく生育歴から来るところもあるのだろう。祖父である岸首相が安保反対運動で退陣したことなどを見聞きして育ち、自分の方が被害者だと思って育ったのかもしれない。小学校ら大学まで同じ系列の私立学校だったから、学校にマイノリティはいなかったのではないか。(性的マイノリティや発達障害の人はいたかもしれないが、時代的に問題意識に上らなかった。)小説や映画などで自ら知ろうとしない限り、恵まれた家庭に生まれた人はなかなか「差別」に気付かない。身近に接してないから、自分は差別した事などないと思い込んで生きている。
(「コロナ差別」への啓発)
 日本社会に「差別」が横行している事実、むしろ自分たちが差別をまき散らしている事実に気付かないから、「新型コロナウイルス対策」に反差別メッセージが出て来ない。単なる感染症であるのに、掛かったら差別扱いされる病のようになってしまった。それどころか、感染者だけでなく医療従事者まで避けられている。どうしてこんな馬鹿げた社会になったのか。安倍政権が長い間、差別に向き合わないまま、むしろ「差別」に加担し続けたことの帰結としか思えない。安倍政権の最大の問題点だったのじゃないだろうか。
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