尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ついに「歴史と向き合う」が消えるー安倍首相の戦没者追悼式辞

2020年08月17日 22時31分05秒 |  〃  (安倍政権論)
 8月15日に行われた政府主催の「全国戦没者追悼式」で、安倍首相の式辞から「歴史と向き合う」という言葉が消えた。東京新聞によると、2019年は「歴史の教訓を深く胸に刻み」という言葉があった。それまでも毎年、「歴史に対して謙虚に向き合い」(2013)、「歴史を直視し、常に謙抑を忘れません」(2015)、「歴史と謙虚に向き合いながら」(2017)といった言葉があった。
(安倍首相式辞の変遷=東京新聞)
 そもそも第一次政権時には「アジア諸国の人々」への「深い反省」が入っていた。そういう言葉は2013年の第二次安倍政権以後、消えてしまった。これも東京新聞のまとめ(上記画像参照)をみると、「加害と反省」「歴史の教訓」がなくなって、「不戦の誓い」だけになった。「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」という言葉はまだ入っている。思えば「歴史の教訓」というなら「敵基地攻撃能力」など持てるはずがない。戦争の惨禍を繰り返さないだけなら、今度は強い方に付いて「勝てる戦争」をすればよいことになる。そういうことなのだろうか。
(式辞を読む安倍首相)
 そもそも僕は「儀式」というものが嫌いだ。国旗国歌などの問題ではない。成人式も出る気はなかったし、どんな式も出ないで済むならその方がいい。(結婚式も嫌だった。卒業式や入学式も嫌だった。)全国戦没者追悼式というものがあって、テレビ中継しているのは知っているが、ちゃんと見たことはない。首相式辞も読んだことがない。紋切型で読むに耐えない。そもそも「全国戦没者追悼式」というものの形式と内容も批判しないといけなだろう。しかし、今はそういうことはちょっと置いて、最近の歴代首相式辞をいくつか見てみたいと思う。

 図書館へ行って新聞のバックナンバーを調べるまでの気持ちはない。インターネットで首相官邸ホームページから見られる程度を調べようという程度。村山内閣以後の資料が掲載されているが、ここでは21世紀に入った小泉純一郎首相以後の式辞を見てみたい。それでも毎年見るのは大変なので、最後の2006年の時を見てみる。8月15日に、小泉首相が靖国神社に参拝した日でもある。以後、全部じゃなくて部分的な引用である。

 「我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表して、深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表します。 」「私達は、過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を風化させることなく次の世代に継承する責任があります。 」「本日、ここに、我が国は、戦争の反省を踏まえ、不戦の誓いを堅持し、平和国家日本の建設を進め、国際社会の一員として、世界の恒久平和の確立に積極的に貢献していくことを誓います。平和を大切にする国家として、世界から信頼されるよう、全力を尽くしてまいります。 」 小泉首相でも、このぐらいのことは当時言っていたのである。

 次に第一次安倍政権は後に回して、民主党政権時代を見てみたい。鳩山首相は2009年9月に就任して翌年6月に辞任したので、実は戦没者式典には出ていない。菅直人(2010,2011)と野田佳彦(2012)の3回となるが、2011年と2012年は東日本大震災からの復興に触れた特別な式辞になっている。そこで2010年の菅直人首相の式辞を見てみたいと思う。
(式辞を読む菅首相)
 「先の大戦では、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多大の損害と苦痛を与えました。深く反省するとともに、犠牲となられた方々とそのご遺族に対し、謹んで哀悼の意を表します。」「戦後、私達国民一人一人が努力し、また、各国・各地域との友好関係に支えられ、幾多の困難を乗り越えながら、平和国家としての途を進んできました。これからも、過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を語り継いでいかなければなりません。」「世界では、今なお武力による紛争が後を絶ちません。本日この式典に当たり、不戦の誓いを新たにし、戦争の惨禍を繰り返すことのないよう、世界の恒久平和の確立に全力を尽くすことを改めて誓います。」

 菅首相式辞は、基本的に小泉純一郎首相とほぼ同じである。むしろ引用箇所以前に、小泉時代よりも詳しく「戦争犠牲者」や「遺族」への慰藉の言葉が次のように述べられている。「最愛の肉親を失われ、決して癒されることのない悲しみを抱えながら、苦難を乗り越えてこられた御遺族の皆様のご労苦に、深く敬意を表します。」これは恐らく民主党政権、つまり日本遺族会の支持しない政権が誕生したことで、遺族への呼びかけが重視されたのではないか。

 しかし、基本的な戦争認識では、自民、民主を超えた「一定の枠組」がこの時点では成り立っていた。第一次安倍政権(2007年)でも、ほぼ同様の言葉が使われていたのである。7月の参院選に敗北した安倍首相には、ホンネを押し通す余力はなかったのだろう。「我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」のように「アジア諸国」への配慮も入っていた。ニュアンス的に「靖国思想」(戦死者の犠牲があって、今日の繁栄がある)が他の首相より強い感じはするが、大きな枠組は同様だった。

 それが大きく変わったのが、第二次安倍政権以後である。まず「アジア諸国」への配慮、事実上の加害反省が消えた。全体的に「ポエム化」が著しく、「美しい言葉」を散りばめながら「何か言ってる感」を出すという「コロナ会見」まで続く安倍語法である。「祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異郷に亡くなられた御霊の御前に、政府を代表し、式辞を申し述べます。」「いとしい我が子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、貴い命を捧げられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません。」

 それでも「私たちは、歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた、国の未来を切り拓いてまいります。世界の恒久平和に、能うる限り貢献し、万人が、心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くしてまいります。」というまとめになっていた。少しずつ変わっていって、今年でついに「歴史に謙虚に向き合う」条項も消えたということになる。

 引用ばかりで読みにくいと思うけど、最後に今年の式辞の焦点部分。「戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この決然たる誓いをこれからも貫いてまいります。我が国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、世界が直面している様々な課題の解決に、これまで以上に役割を果たす決意です。」「積極的平和主義」とは「集団的自衛権一部解禁」に際して安倍首相が掲げた言葉だ。世界の戦争に「自衛隊」が「貢献」するという時の婉曲語法だろう。

 第2次から第4次の安倍政権に道筋の中で、美辞麗句を散りばめた「ポエム」的な施政方針演説が続いた。それに慣れてしまって、少しずつ「内実」が消失していったことに気付きにくい。歴史に向き合わないんだったら、そもそも「戦没者追悼式典」をやる意味はどこにあるのか? 「次の戦死者」を賛美するための準備だろうか。「次の戦死者」を出さないということが、国民誰しもの「自明の前提」だったはずである。これが安倍政権の7年半だった。

 なお、戦没者追悼式における首相式辞は、誰のものであっても本質的な問題がある。それは「追悼式」を行う前提なのかもしれないが、「犠牲者」があって「繁栄」があるという歴史観である。それは「靖国思想」と言われる考え方である。しかし、その発想自体に「いじめ」「体罰」「過労死」「サービス残業」などにつながるものがある。「8月15日」(日本国民に降伏が知らされた日)に式典を行うことから、考え直す必要があるだろう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「百年泥」と「送り火」ー二... | トップ | 「カクテル・パーティー」ー... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

 〃  (安倍政権論)」カテゴリの最新記事