尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

霞ヶ浦周辺ドライブー帆引船と旧土浦中学校本館

2013年09月17日 23時58分26秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 9月14日に霞ヶ浦の帆曳船予科練平和記念館、それに旧土浦中学校本館を見てきたので、その記録。旧土浦中学校本館は現土浦一高にあり、毎月第2土曜に内部を公開している。帆曳船は今は漁業には使われず、観光用に7月21日から10月中旬の土日祝に出ている。従って両方を見たいと思えば、3回しか合う日がない。8月でも良かったが、当日の気温予想が38度だというので、これは出掛ける日ではないと思った。来月に悪天候だと両方は無理となるので、前からこの日に行きたいと準備していた。

 旧土浦中学本館というのは、重要文化財に指定されている非常に素晴らしい建物である。公開日は土浦一高のサイトに出ているが、外部を見るだけでも行く価値があると思う。1904年(明治37年)に竣工されたゴシック風の建物で、長いこと外国人設計と思われていたという。昭和49年に棟札が発見され、駒杵勤治(1878~1919)という人の設計と判った。東大で辰野金吾(東京駅や日銀本館を設計した人)について学んだ人で、卒業後すぐに土浦中学や大田中学を手掛けた。(後者は常陸太田市の太田一高に現存し重要文化財。)若くして亡くなったが、素晴らしい人がいたものである。
   
 中は古いまま保存されていて、資料館もある。中学時代や土浦一高になっても、甲子園出場経験があるようだ。テレビ番組のロケなどにも利用され、昔の学校に趣を伝える貴重な遺産。教室には木の机がいっぱい並んでいる。校長室は上の方の写真を撮ってみた。廊下も教室も昔風だけど、最後の写真の宿直室も懐かしい。
    
 そこから亀城公園近くの蔵通りで昼食を取り、霞ヶ浦へ。「帆曳船」(ほびきせん)は1880年に考案されたという。元は上層のシラウオ獲り、さらに中層のワカサギ獲りに使われたそうだが、60年代半ばにはトロール船に代わられたとある。今井正監督「米」(1958)というベストワンになった映画があるが、そこでも印象的に使われている。「霞ヶ浦の風物詩」だから、現在も観光用で出ていて、それを遊覧船で見に行くのである。何だと言ういう感じだし、実際に漁業してるわけではないから、帆曳船にいる人もヒマそうである。でも、まあ「風物詩」として一度は見たいなあと思っていた。
    
 遊覧船に乗って10分くらい行くと帆曳船が2隻見えてくる。風をはらんでなかなか美しい。観光ポスターだと背景に筑波山が見えるけど、その日は霞んでいたし、第一いい構図になるようには船が停まってはくれない。どんどん帆曳船をグルグル回るだけである。まあシャッターを切れる程度のスピードで。大体の人はカメラ持参だから。いくら載せてもキリがないが、2回回ってくれるわけではないので、どんどん撮って行くしかない。それで13時半ころ出発で14時10分頃には戻っているんだから案外早い。あっという間に行って帰るだけ。海ではないので潮風ではない。島や奇岩があるわけではないので、ホントに帆曳船を見るだけの遊覧。
    
 時間があったら、近くの「予科練平和記念館」に行きたいと思っていた。ここは古市憲寿誰も戦争を襲えてくれなかった」の中で高評価を受けている記念館である。僕が行ってなかった中の一つ。建物がキューブを積み重ねたようで面白いが、中は写真が撮れないので、外観だけ。
  
 「予科練」は「海軍飛行予科練習生」の略だけど、僕も詳しいことはよく判らない。当時の少年兵の訓練は、1942年公開の「ハワイ・マレー沖海戦」に描かれている。この記念館では土門拳の写真などを使いながら、当時の日常的な訓練の様子を再現していく。「七つボタン」にちなんだ7つの展示室で、少年兵の手紙なども多用し心情に寄り添っている。戦争の目的とかそういう大状況に問題を広げず、少年兵の心情にあえて限定しているところが、なかなかうまいというか、心揺さぶられるところ。やっぱりこういうのには弱い。確かに大状況を見ていないという問題はあると思うが。

 予科練と言えば、「若鷲の歌」である。「決戦の大空へ」という映画の主題歌で、西條八十作詞、古関裕而作曲。この超一流の作った歌だから、僕の世代でもなんとなく知ってる人が多いと思う。
 「若い血潮の 予科練の 七つボタンは 桜に錨  今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ でかい希望の 雲が湧く」2番以下は略。

 この歌を知ってるから、霞ヶ浦には戦争の思い出がつきまとうが、一方「予科練」は「今日も飛ぶ飛ぶ」だとうっかり僕も思い込んでいた。でも「予科」であり、14~17歳という少年が本物の飛行機を飛ばせるわけがない。自動車の免許だって取れない。グライダー以外では空を飛ぶことはなかったという。でももちろん卒業したら、飛行練習生となり実際に飛行士となって戦死したものも多い。陸軍には同じ時期に「陸軍少年飛行兵」という制度があったという。それはそうだと思ったけど、少年飛行士は「予科練」との印象が圧倒的に強い。霞ヶ浦近辺には飛行機関連の様々な軍事施設があったが、今はどうなのかはよく知らない。阿見町が作った記念館の近くに雄翔館という予科練出身者が作った施設があるが、今回は暑くて疲れてしまい行かなかった。そちらも見て、初めてこの場の理解ができるのではないかとも思ったんだけど。

 霞ヶ浦は車で1時間半程度だから、家から近いけど、案外知らない。琵琶湖や十和田湖なんかの方がよく知ってた。それではいけないかなと今年になって霞ヶ浦近辺に行く機会を作ってる。関東では重文建築が貴重なので、調べていて土浦中学本館を知った。午前中に土浦中学、午後に帆曳船、予科練記念館というのは、バス旅行にあってもいい、なかなかよく出来た日帰り企画だったなと思ったけど、まだ暑い日だった。翌日以後は台風だったので、この日晴れて良かった。土浦はレンコンが日本一で、レンコン入りのツェッペリンカレーという名物がある。ドライブしてると蓮田がいっぱい目についた。
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