尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

古畑鑑定という壁-映画「黒い潮」と下山事件をめぐって③

2013年04月07日 01時19分05秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 映画「黒い潮」をめぐって、「下山事件」を考える話の続き。中村伸郎演じる東大の法医学者が「死後轢断」(れきだん)、つまり「死んでから轢かれた」と鑑定したために、映画の中で「毎朝新聞」速水(山村聰)は自殺説を積極的に打ち出せなかった。この法医学者は古畑種基という人である。
(古畑種基)
 下山事件の古畑鑑定に関しては、慶応大学の中舘久平教授が「生体轢断」(生きたまま轢かれた)と反論した。当時としては珍しく公になった論争だが、その頃は法医学界の大御所・古畑が「東大の権威」を身にまとっていて、官学対私学の争いとみなした人が多かった。下山事件について書かれた中にも、昔のものにはそういうニュアンスが感じられる。

 下山事件については、この法医学的問題がすべてである。他殺がはっきりしていて、犯人は誰だ、起訴されている人は有罪なのかという事件で、よく法医学鑑定が問題になる。一方「自殺」の場合は、多くは「自殺か、事故か」というケースが多く、それは法医学では判断できないことが多い。薬の飲み過ぎで死んだ場合、死因ははっきりしていて、問題はそれが意図的かどうかである。医学的には同じだから状況証拠の積み上げで判断するしかない。(もちろん遺書があってすぐ判る場合もある。)断崖やビルから落ちて死んだ場合は、「自殺か、事故か、他殺か」が問題になる。でも、意図的な殺人で「自殺に見せかける」ケースは、あったにしても数は少ないだろう

 謀殺説を主張する場合、「違う犯人をでっちあげることが犯罪の真の目的」なので、自殺に見せかけて殺す意味がない。法医学者や警察が謀殺を見抜けず、偽装のはずの自殺で決着してしまったら、せっかくの陰謀が意味を持たない。だから「誰が見ても他殺」と判断するように死体を工作する必要がある。わざわざ自殺に見せかけるもはおかしい。特にこの事件の場合、「左翼勢力に罪をなすりつける」のが目的とすれば、「いかにも左翼勢力は非道なことをする」と人に思わせる殺し方をしないと意味がない。(寄ってたかってリンチして殺すとか。)

 「左翼勢力」には下山総裁の血を抜いて殺す必要がないから、逆効果になる。結局、世の中には「自殺に見せかけた殺人」は、非常にまれなのだと思う。普通、自殺工作をしている時間があれば早く逃亡した方がいい。それも法医学的に見抜けない薬物や投身自殺などの場合である。下山事件他殺説のように、「殺しておいて、死体を列車に轢かせる」というのは、絶対に不可能かと言えばやってできないことはないだろうけど、わざわざやる意味があるとは思えない。失神させておいてビルの屋上から突き落とすと言ったやり方の方がずっと簡単ではないか。

 だから普通に考えれば、列車にはねられた場合は「事故か、自殺か」なのである。もちろんホームから突き落とすという殺人もあるが、下山事件とは性格が違う。下山事件について他殺説を主張する本が最近も出ているが、この鑑定問題に触れていないものがほとんどだ。「下山事件は鑑定がすべて」だという本質を考えずに、「下山事件をめぐる怪しい人脈」などと書きたてる本がある。注意が必要だ。下山事件を追求し続けた人物に佐藤一という人がいるが、その人のことは次回に書きたい。佐藤一「下山事件全研究」という大部の本が1976年に出ている。(時事通信社)この本を読めば、常識的には自殺説で納得するはずである。列車に轢かれた事件の鑑定がその後進んできて、今では「生体轢断」を誰も疑わないだろう

 僕の理解するところでは、生きた人間が刃物で刺された場合など、一瞬では死なないので心臓が動き続け多量の出血をして失血死する場合もある。死後に刺した場合は、傷からはもう出血などの「生活反応」がない。下山事件の場合、確かにそういう「生活反応」はなかったから、東大法医学教室は「生体轢断」と鑑定したわけである。しかし多くの轢断死体も同じような反応がほとんどだという。その事例研究が進み、ますますはっきりしてきたという。そうなるのは、列車にぶつかった瞬間に一瞬にしてショック死してしまうため、生活反応がないというのである。これは今の通説ではないかと思う。その後の研究の積み重ねから見ると、当時の古畑鑑定は不十分だったわけである。

 古畑種基(1891~1975)は、日本の血液研究の第一人者で、特にABO型血液型の権威だった。1956年に文化勲章を受賞している。高校生のころ、生物の宿題で「夏休みに理科の岩波新書を読む」というのが出た。そのとき僕は古畑種基「血液型の話」を読んだ。それなりに面白かったんだけど、この本はしばらくすると絶版になった。その本で「血液型鑑定で有罪がはっきりした事件」として挙げられていた「弘前大学教授夫人殺人事件」が、実は冤罪であり再審で無罪判決が出たのである。

 「針の穴」より小さいと言われた再審が開かれたのは、獄中で改心した真犯人が名乗り出たためである。「血液型で有罪」と言うけれど、それは全く間違った鑑定だった。どうしてそうなったのか。強烈な治安意識、戦前以来の権威主義などで、途中で間違いから引き返せず詭弁的な議論で鑑定書を書く体質があったのである。裁判官は科学を持ち出されると反論できず、「鑑定の結果、有罪」とあれば頭から疑わないのである。(実際の事件をみると、鑑定資料自体が警察のねつ造だったり、古畑鑑定と言われるが実は大学院生が実験して検証していなかったものなどがあった。)

 70年代に日本の再審は大きな壁にぶつかっていた。最高裁の「白鳥決定」で再審の門が開かれつつあったが、死刑事件の再審の壁は特に厚かった。それらの事件の多くで古畑鑑定が有力証拠とされた。僕はその頃から冤罪救援運動に関わっていた。日本には冤罪を訴えている「無実の死刑囚」が何人もいる国だったのである。後に再審無罪となる4つの死刑事件の中で、九州で起きた免田事件をのぞき、松山事件(宮城)、財田川事件(香川)、島田事件(静岡)の3事件は、いずれも古畑鑑定が有罪の大きな柱になっていた。だから「古畑鑑定という壁」が再審開始の前に立ちはだかっていたのである。

 ところが下山事件謀殺説を主張する場合は、古畑鑑定の権威に頼らざるを得ない。古畑鑑定を否定したら他殺説が成り立たない。そこで結果として古畑を持ち上げ、東大鑑定の権威化に貢献することによって、「無実の死刑囚」の再審請求を妨害することになる。1981年に公開された熊井啓監督「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」という映画がある。いまどきそんな映画を作る人がいるのかと思ったのだが、「革新勢力」が映画を積極的に支援していた。当時冤罪事件の救援を行っていた団体が集まって、この映画に対する疑問を訴え、上映反対を申し入れたことがあった。僕もその協力者だったので、この映画はその後も見ていない。

 僕が思うに、どうも古畑種基という人が死ぬ(1975年)まで、「古畑鑑定の呪縛」があって、死後にようやく死刑再審が認められたという思いがぬぐえない。ハンセン病問題では、隔離政策を強力に進めた光田健輔という人物がいる。古畑に先立ち、1951年に文化勲章を受賞した。この人物も強烈な治安意識が背景にあり、権威主義的にハンセン病政策を進めて行った。そういう人物が昔はいたものだと思うが、大物になりすぎて権威となって、科学の世界で批判を受け入れない体質が出来上がっていた。下山事件で謀殺を主張したいがために、古畑鑑定を持ち上げるということはあってはならない。
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