尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

東京駅散歩と木村荘八展

2013年04月08日 00時37分40秒 | 東京関東散歩
 風が強いけど土日が晴れるのは久しぶり。フィルムセンターで映画を見ようと思い、その前に東京駅周辺の歴史散歩散歩。東京駅は去年秋に全面改装が終り完成時のレンガ建築が甦りました。いつ行っても写真を撮る人でいっぱい。スカイツリーに加え、東京駅と新歌舞伎座が出そろい、連休の混雑が今から心配です。でも、東京駅は何度見ても美しく、確かに面白いと思います。

 家からは地下鉄大手町駅の方が近いので、大手町で降りて地上に出ると、「将門の首塚」がすぐそばにあります。この「首塚」は大手町のビル群の中にあって、「動かすと祟りがある」とされて動かせないという伝説があります。そういう恐ろしいパワースポットかと思っていくと、案外そうでもない場所ですね。いつも花が供えられています。周りにカエルがいるのは「筑波のガマ」なんだろうか。立札を見ると、ここは「酒井雅楽守の上屋敷の中庭」だった場所で、伊達騒動の伊達安芸、原田甲斐の殺害されたところとあります。やはり「暗い歴史」がしみ込んだ場所のようです。
  

 そこから少し歩くと東京駅。その間は日本の資本主義の中枢と言うべき大企業の本社ビルが立ち並んでいます。「丸の内仲通り」などは彫刻が置かれて、オシャレなカフェなんかがあります。少し行くと「日本工業倶楽部」。1920年に完成した歴史的建造物でしたが、2003年に南側を保存したうえで立て直されました。歴史を感じる美しい建物ですが、真ん前に観光バスがずっと停まっていて写真に撮りにくい感じです。

 ここまで来るともう東京駅は目の前。写真を撮る人でいっぱいですが、時間帯と天候によっては、逆光だったり陽光が際立ち過ぎたりして、なかなか難しい写真スポットだと思います。しかも、人や車がひっきりなしに通るし、いい場所にはかならず写真を撮る人、ポーズする人がいるということで、難しい場所ですね。後ろのビルをどういう風に入れるかも結構大変。とりあえずいくつかを。
   

 さて、東京駅は近代史の上で非常に重大な事件が起きた場所です。1921年11月4日、原敬首相が東京駅で19歳の少年に暗殺されました。また浜口雄幸首相が、1930年11月14日、東京駅で狙撃され重症を負い、1931年8月に死亡しました。そういう重大な出来事が起きた場所で、記念のプレートもあるのですが、皆全然気にしていない感じ。知っていればすぐ見つかる場所にあるのですが、知らずに探そうと思えば案外見つけにくいかもしれません。

 まず、原敬首相から。場所は丸の内南口の切符売り場のすぐ左。説明のプレートが壁にあって、足元のタイルに銃撃場所を示す印があります。付近の写真を撮ったけど、プレートを見てる人は誰もいない。原は事実上初の政党内閣を「米騒動」後に組織した人で、「平民宰相」と言われました。ただ「政友会」への我田引水というか、「我田引鉄」(支持基盤に鉄道を持ってくる)とまで言われた利益誘導政治に批判があったことも確かでした。足尾鉱毒事件当時の古河鉱業副社長でもあります。生きていれば、西園寺公望に続く「最後の元老」に指名されたと思われ、長い政治生命があれば日本の歴史は少し変わったかもしれないと思います。
   

 続いて、浜口雄幸首相。こちらは駅の中にあります。南口から入り、新幹線中央乗換口に向かい階段を上る手前にあります。左側の柱にプレートがあり、やはり近くのタイルに印があります。浜口首相はロンドン軍縮会議に対して「統帥権干犯」と反発する右翼青年による狙撃でした。重症ながら生命は取り留めましたが長期入院を余儀なくされ、翌年になって退院した後に無理を押して国会に登院して病状を悪化させました。8月に死去。「統帥権干犯」という言葉が一人歩きし、軍部を批判することができない時代が来てしまったきっかけとなる事件でした。
  

 この日本史を変えた事件の詳細は、詳しく記述されている他のホームページもありますから、ここでは詳述しないことにします。案外、この「遭難現場」は知られていないのではないかと思うので、東京駅を訪れた時は是非探して欲しいと思います。さて、中央郵便局が一部を残して立て直された商業施設「KITTE」(キッテ=切手から)が3月21日に完成しました。ここも今は人がいっぱい。6階に屋上庭園があるそうですが、今日は強風のため閉鎖されていました。
 

 東京駅には他にいろいろ見所があります。丸の内南口、北口の天井もきれいな装飾です。また「東京駅ステーションホテル」もあり、泊らなくても利用できる施設があります。中には小奇麗だけどひどく高いカフェもあれば、地下にはスパもあるようです。日本を代表するクラシックホテルですから一度泊ってみたいと前から思っていますが、まあ東京にいる人間が泊らなくてもいいか。
 
 
 さて東京駅にはもう一つ重要な施設があります。「東京ステーションギャラリー」です。前からあったけどリニューアル・オープン。今は生誕120年記念で「木村荘八展」をやっています。(3月23日から5月19日まで。)僕は昔から好きな画家で、練馬区立美術館で行われた大展覧会にも行ったことがあります。
 木村荘八(きむら・しょうはち、1893~1958)は、大正から昭和の戦後にかけて活躍した洋画家、版画家ですが、随筆でも知られたくさんの著書があります、特に遺稿となった「東京繁昌記」は有名で、岩波文庫にも入っていました。絵の作品としては、永井荷風が朝日新聞に連載した「濹東綺譚」の挿絵で一番知られていると思います。今回も出ていますが、何度見てもとても素晴らしいです。しかし、元々は洋画家をめざしたわけで、油彩の作品がたくさん出ています。初期は風景や自画像も描いているけど、だんだん風俗画が多くなりました。「新宿駅」(1935年)や「牛肉店帳場」(1932年)、「浅草寺の春」(1936年)などは非常に見応えがあります。特に「牛肉店帳場」は歴史的、伝記的にも貴重な作品だと思います。

 というのも、荘八の実父は、明治時代の東京で牛なべ屋チェーン「いろは」を作った木村荘平と言う人物です。この人は「艶福家」(えんぷくか)で知られ、この言葉も死語だと思うけど、要するに愛人(妾)を何人も抱えたことで有名な人で、「いろは」の名の通り47店舗を開き、それそれ違う妾に店をまかせると豪語したというほどの人物なのです。実際に20数店舗はあり、それぞれ違う女性に経営させていたようです。従って、木村荘八には異母兄弟がたくさんいることになります。長女は木村曙のペンネームで作家、4男荘太も作家(「新しき村」に参加したことで有名です。荘五、荘十二も参加しています)、荘八が画家、荘十は1941年に直木賞を受賞した作家、荘十二は映画監督(「あにいもうと」の最初の映画化の監督です)とこの一家からは、父の実業的才能ではなく、文化的才能が輩出しました。非常にとんでもない父親から生まれた近代日本文化史の不思議です。その「いろは」の様子がうかがわれるのが「牛鍋店帳場」です。

 ステーションギャラリーはまずエレベーターで3階まで行き、階段で2階に降ります。そのときレンガの壁を見ることができます。出口を出ると、駅の2階ギャラリーになってるので、駅を上から見られます。周りがすごく混んでるのに、美術館だけすごく空いててもったいないと思いました。
 
 
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