尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

独立プロ映画『村八分』と戦後民主主義

2024年02月24日 22時03分52秒 |  〃  (旧作日本映画)
 シネマヴェーラ渋谷でやってる「日本の映画音楽Ⅱ 伊福部昭・木下忠司」という特集で、古い日本映画を少し見ている。特に映画音楽というより、二度と見られなそうな珍しい映画が結構多いのである。僕の場合、映画史的に重要な作品や巨匠の代表作なんかは大体見終わっていて、好きな映画をまた見ることもあるけど、それよりは「昔の日本」を発見する目的が大きい。

 ロケされていると、昔の風景が意図せず映し込まれていて発見が多い。また、ストーリーやテーマを今になって見直すと、時代の変化(パラダイム変換)を発見することもある。最近見た『遠い一本の道』で、「左翼労働組合」の「闘争」が性別役割を前提にした「主婦が内職しないで済む賃金」を獲得目標にしていたと驚いたのはその一例である。

 今回記録しておきたいのは、1953年に作られた『村八分』という映画で、現代史に関心がある人にはある程度知られている1952年の「静岡県上野村村八分事件」を映画化したものである。近代映画協会製作、北星配給という「独立プロ」作品。日本では50年代を中心に大手映画会社で作れない社会的テーマに果敢にチャレンジする独立プロ作品が多数作られた。貧困や差別と闘う「民主主義映画」は、世界映画史上でも重要な作品群として「発見」する必要がある。(上映は終了したが、DVDが出ている。)

 1952年に行われた参院選補欠選挙が今や開票の時を迎えている。朝陽新聞社の支局前では各候補の得票状況を時々刻々と書き換えている。多数の人々が支局前に集まって開票状況を見つめている。この風景が今ではもはや珍しい。「翌日開票」で昼間開票しているのである。その時、支局に届いた手紙に気付いた人がいる。読んでみると、自分の村では「投票券」を有力者が集めて回って「不正選挙」が行われているという投書だった。差出人は「野田村」の高橋満江という女子高生である。野田村の担当は吉原通信局で、連絡を受けた本多記者(山村聡)が早速自転車で現地に出掛ける。

 村人は堅く口を閉ざしているが、投書をした女子高生を高校に訪ねて不正の様子を詳しく取材する。直接知っているわけではなかったが、母親のところに有力者が当日村を出ている父親の分の投票権を集めに来たという。母親はおかしいと思って断ったが、実は2年前の参院選の時も同じようなことがあった。取材の様子が知れ渡り皆心配するが、村長や県議など有力者は何も言うなと命じる。やがて大きく報道されると、警察が動き出し罰金刑になる者も出て来て村は大揺れになった。元はといえば原因は高橋満江だとして、村人は高橋家と付き合わないように取り決める。満江は孤立して教師に相談するが…。
(香山先生=乙羽信子は家庭訪問する)
 主人公の高橋満江を演じたのは、これがデビューの中原早苗(1935~2012)。その後日活に入社して多くの青春映画に出た。大体は石原裕次郎をめぐって主演女優(浅丘ルリ子や芦川いづみなど)と争う敵役だった。結局は敗れるわけだが、明るい持ち味で演じていた。64年にフリーとなって東映映画によく出るようになり、65年に深作欣二監督と結婚した。東映では大体悪い方の親分の情婦みたいな役が多い。貴重な脇役で、僕は中原早苗が出ているのを見ると嬉しくなる。
(中原早苗)
 新藤兼人脚本、宮島義勇撮影、伊福部昭音楽という豪華なスタッフ。今回は伊福部昭特集で選ばれているが、特に代表作というわけでもないだろう。『ゴジラ』のテーマで知られている作曲家で、荘重な音楽を付けている。監督の今泉善珠(いまいずみ・よしたま、1914~1970)を知らなかったので、1976年キネマ旬報社刊の『日本映画監督全集』を見たら載っていた。戦前は記録映画を作っていたが、戦後に新藤兼人監督『原爆の子』の助監督を務めて、この作品で劇映画の監督に昇進した。しかし、次作『燃える上海』以後は東映教育映画部で児童向け教育映画を主に作ったという。不遇な子どもたちを温かい目で描く作品が多く、『青年の虹』が文部省特選になったという。ところで、この本には監督の住所と電話番号が明記されているのには驚いた。
(大きく報道された)
 展開がストレートで、映画の完成度的には佳作レベルだろう。作られた1953年は日本映画史上最高の豊作年で、小津の『東京物語』が2位、溝口の『雨月物語』が3位。世界映画史に残る両作品を押えたのは今井正の『にごりえ』で、今井作品は『ひめゆりの塔』も7位に入った。他にも『煙突の見える場所』(五所平之助)や『日本の悲劇』(木下恵介)など傑作揃いで、『村八分』には一点も入っていない。僕もそれはやむを得ない結果だろうと思う。社会史的価値で残る作品なのである。

 事件が起きたのは静岡県上野村で、1959年に富士宮市と合併して消滅した。日蓮正宗の本山、大石寺(たいせきじ)のあるところである。映画でも富士山が真っ正面に見えているから、付近でロケしている。まだ馬で畑を耕しているのが驚き。前近代から続く共同体が生きているような村である。補欠選挙は1950年当選の平岡市三の死去に伴って行われた。占領が終了し公職追放が解けた石黒忠篤元農相が立候補して当選した。「農政の神様」と言われた人で、近衛内閣で農相を務めていた。

 朝陽新聞は朝日新聞で、高橋満江の実名は石川皐月である。実は2年前の参院選でも不正があり、おかしいと思った石川は当時在学していた上野中学新聞に替え玉投票を告発する文章を投稿した。それが掲載された後に村で批判され、中学は配布した新聞を全部回収して焼却処分にしたという。その後、富士宮高校に進学していた石川は今度は朝日新聞に投書したのである。「村八分」事件も大きく報道され、法務局や日弁連人権擁護委員会も調査に訪れる。映画では馬を貸してくれないから高橋家では人力で耕作するしかない。満江と妹も学校を休んで働くことになる。しかし、高橋家には全国から応援の手紙が寄せられる。
(石川皐月のその後)
 そして高校では「臨時生徒大会」が開催される。驚くのはその時に教員は職員室で仕事しているのである。大会は生徒だけで運営されており、皆が挙手して整然と議論している。今じゃ教員なしで生徒大会が出来る高校などあるのだろうか。最低でも生活指導部の生徒会担当教員は出席するんじゃないだろうか。それはともかく、ここでは村の秩序を乱す行為はおかしいという意見を述べる生徒もいるのだ。しかし、最終的には「正しいこと」を主張した者が迫害されることはおかしいという結論になり、皆で高橋家を支援しようと自転車で駆けつけるところで終わりとなる。

 石川皐月は当時「不正をみても黙っているのが村を愛する道でしょうか」と述べていた。母親が投票券を渡さなかったのも、戦後になって女性が投票出来るようになった選挙権の大切さを実感していたからだろう。「昭和」が遅れていたというのではなく、戦争で得た民主主義を守るために闘った人がいて、その上に現在があるのである。後に石川皐月は1953年に『村八分の記―少女と真実』を理論社から刊行した。そして「婦人民主クラブ」事務局長(加瀬皐月名義)として活動し続けた。今も存命である。

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