尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

藤田敏八監督『十八歳、海へ』(1979)について

2023年08月03日 23時22分54秒 |  〃  (旧作日本映画)
 今日は読んだ本について書く心づもりだったが、最後の方が読み終わってないので次回回し。で、まあ休んでもいんだけど、昨日見た昔の映画について書いておきたい。上野でマティス展を見た後、地下鉄銀座線上野広小路駅まで歩いて京橋まで行った。国立映画アーカイブで藤田敏八監督『十八歳、海へ』という1979年の映画を見るためで、これが3時からだからその前に展覧会に行ったわけ。勘違いされないように最初に書いて置くけど、別にこの映画が傑作だというわけじゃない。むしろガッカリ感が強い。だが、キャストやスタッフのその後、映画の時代背景、原作の中上健次など、映画以外が面白かったのである。

 今回は「逝ける映画人を偲んで 2021-2022」という特集で、追悼対象は製作の結城良煕と脚本の渡辺千明という人である。どちらも知らなかったが、渡辺はこれがデビュー作という。ウィキペディアを見ると、その後の映画脚本は少なく、むしろ日本映画学校で教えたり、小津安二郎の共同脚本家として知られる野田高梧の別荘にあった『蓼科日記』を刊行した業績がある人らしい。この映画は大島渚映画の脚本家だった田村孟と渡辺千明が脚本にクレジットされている。
(主演の3人)
 冒頭は予備校の夏季講習の結果発表で、全員の順位が張り出されている。当時はそんなこともあったか。僕はよく覚えてないけれど、そうだったかもしれない。中学なんかでも成績を張り出すことは普通にあった時代だ。そこで1位になったのが、釧路から来ている有島佳(ありしま・けい)という女子。男どもは「おお、女が1位か」とか言ってる、そんな時代である。ビリになったのが、桑田敦天(くわた・あつお)で、桑田は有島を探して、一緒に出掛けないかという。ビリとトップなら面白いとか言って。桑田を演じているのは永島敏行で、『サード』『遠雷』など70年代後半の日本映画で輝いていた。
(近年の永島敏行)
 で、肝心の有島佳は誰だ? うーん、誰だっけとちょっと考えて、パッと名前を思い出した。森下愛子じゃないか。永島、森下は『サード』のコンビである。その後も東映映画などに出ていたが、むしろ80年代にはテレビで活躍していた。そして、1986年に吉田拓郎の「第三夫人」になっちゃった。いや、イスラム教じゃないんだから、3人目という意味だけど。まあ、今度は添い遂げるみたいだから、傍の者があれこれ言うこともないだろう。ウィキペディアを見ると、拓郎のオールナイトニッポンに呼ばれたとき、森下愛子も警戒して竹田かほりと一緒にやってきたと出ている。竹田かほりは『桃尻娘』の主役で、甲斐バンドの甲斐よしひろと結婚して引退した人。森下は根岸吉太郎監督と噂されていたが、結局吉田拓郎と結婚したと出ていた。
(近年の森下愛子)
 先の二人は鎌倉の海へ行って、男は女にモーションをかけている。そこへバイクがやってきて、バイク集団とのケンカになる。因縁を付けられているのは、同じ予備校生の森本英介。これは小林薫で、状況劇場のメンバーだったが映画に出始めた頃。クレジットに新人とあって、感慨深い。森本はケンカではなく、懐に石を詰め込んで海に入る競争をしようという。そのエピソードが終わって、もう明け方も近い頃、今度は森下愛子が永島敏行に同じように「自殺ごっこ」をしようと持ち掛ける。これが全く判らないのである。そこまでヒリヒリした追いつめられた青春という描写がない。それでいて、この二人は「心中ごっこ」を繰り返すのである。

 そこが伝わらないと、単なる風俗映画になってしまう。そして、実際にこの映画は時代を象徴するような青春映画にはなれなかった。一応キネ旬ベストテン18位になってるけど、あまり面白くない。監督の藤田敏八は70年代前半には忘れがたい青春映画を作っていた。『八月の濡れた砂』(1971)、『赤い鳥逃げた?』(1973)、『赤ちょうちん』『』(1974)などだが、1978年の『帰らざる日々』を最後に、どうもパッとしなくなった。角川映画の『スローなブギにしてくれ』(1981)など、どこが悪いとも言いがたいがズレてる感が強い。これは70年代前半を代表する神代辰巳、深作欣二などにも言えることで、それぞれ作風を変えたり低迷したりした。これは時代の方が変わったからだと思う。とらえどころがない時代が来たのである。
(藤田敏八監督)
 この映画の主人公たちは全く理解出来ない。「自殺」をこれほど遊びのようにとらえても良いのか。永島も森下も健康的な身体をしていて、「心中ごっご」が腑に落ちない。そんなに人生がイヤで、模試で全国トップになれるのか。腑に落ちないと言えば、有島佳の姉、有島悠が小林薫と付き合ってしまう。悠を演じているのが誰か判らなかったが、島村佳江という人だった。『竹山ひとり旅』などに出ていて当時は知っていたかもしれない。調べてみると、この人は藤間紫の息子文彦と結婚して、息子が藤間翔、娘が三代目藤間紫なのである。藤間紫は先代猿之助の二番目の妻だが、いろいろな映画にも出ていた。実に色っぽくて、どうも「好きにならずにいられない」といったタイプなのである。
(島村佳江)
 森本英介はホテルサンルート東京で働いていて、ロケで使われている。ただし、今はサンルート東京というホテルはなくて、どこだったかは判らない。上京した医者の父がこんなところで働くのは辞めろといって、ホテルがクビにしてしまうのもすごい。ワケあり家庭だったようだが、細かい説明はなく、箱根のホテル(小涌園)を取ったから来なさいと父が英介に言う。英介はそれを有島と桑田に譲ってしまう。そこら辺の展開は強引そのもので、映画なら許される「偶然性」を遙かに超えている。まあ、全部書いても仕方ないけど、中上健次の原作はどうなってるんだろう。紀州ものは大体読んでたけど、他の小説は読み落としが多い。この原作も読んでない。中上健次原作の映画は『火まつり』『赫い髪の女』など傑作が多いが、これは中で一番下の失敗作。だけど、自分の若い時代がロケの中に残されてるから懐かしい。
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