尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

教員免許更新制、改善策と対案は?

2016年09月02日 21時42分31秒 |  〃 (教員免許更新制)
 昨日で終わるはずが、こうして長くなっていく。書いているうちに、「改善策」と「対案」を書きたくなってきた。書いても実現しないので、いつもは他の話題に移るわけである。だが、この問題に関しては、誰かに責められているわけではないけど、僕が対案を書いておいてもいいだろう。前にすでに書いてることもあるかとは思うが。

 「最低ランクの改善策」は、「手続きミスをなくす」ことである。問題がない教員は事実上引き続き更新される仕組みになっているのに、単に手続き忘れだけで失職する。そもそも引き続き教員でありたいと思っている人に、「免許更新手続き」は面倒なだけである。だから、問題がなければ「自動更新」でいいではないか。つまり、大学等で受講した講習に合格した場合、大学が教委に一括して連絡して、自動的に更新すればいいではないか

 受講生に一人一人連絡するより、都道府県教委は47しかないのだから(講習はどこで受けても可という制度になっている)、まとめて結果をそっちに送ればいいではないか。問題があった場合だけ、本人にも通知すればいい。こうするだけで、ずいぶん面倒くささという感覚が変わると思う。言い換えれば、「受講すること」は教員本人の責任になるが、免許を更新することに関しては、所属長(校長等)と教育委員会の責任にする。制度の本質からすれば、その方が合理的である。

 では「最高ランクの対案」は何か。そこまでするんだったら、この制度もやむを得ないというほどのものはあるか。僕が考えつくのは、教員すべてに「サバティカル(研究休暇)を認める」ということではないかと思う。免許が10年期限なんだったら、「11年目」は「一年間、授業もクラスも部活も一切担当しない」ということである。その一年は大学教員にある「研究休暇」と同じようなものになる。

 もちろん有給である。籍だけはそれまでの勤務校にあるが、一年間は大学等の聴講生になるとか、英語の教員なら外国に長期滞在するなど、それぞれの教員が自由に研修する。その研修報告をもって、あらたに10年の教員免許が更新される。もちろん、こんな制度は実現しない。10年に一度、各教員が学校を1年間抜けるということは、要するに全国すべての校種で、教員定数を1割増加させるのと同じである。そんな制度を財務省が容認するはずがない。

 教員にとって、「研修」は権利であり義務である。教師がいったん採用されたのちも「キャリアアップ」の努力を続けていくのは当然だ。だけど、多くの教師が現場で一番悩んでいることは何だろうか。「教科教育」だろうか。そういう人もいるだろうが、ホントは「生活指導」と「学級経営」だと思う。「学校の不祥事」として報道されるのも、大体それらをめぐってのものである。だけど、教員免許は「教科」に関して与えられている。だから、「教員免許」の制度をあれこれ変えることで学校が良くなるという発想そのものがピント外れだったわけである。

 今、授業のあり方も大きく変わろうとしている。させられている。それも事実だろう。社会の大きな変化の中で、今までと同じような授業を続けていくだけではダメなのも確かだ。では、「免許更新講習」は役に立つのだろうか。多くは座学である「講習」を、10年目ごとに一斉に教員を集めて講義する。これは驚くほど、「従来の授業と同じやり方」ではないか。こんなことをしていいのか。「アクティブ・ラーニング」を進めろと言われている教員が、それでいいのか。

 本来はそこでこそ、「自主研修」で行うべきことではないのか。だから、大学等での講習もあってもいいけど、同時に「自主研修」の成果をもって更新を認定するということが絶対に必要である。英語の教師だったら、外国旅行で実際に英語に触れることが「研修」であってもいいではないか。歴史の教師が、史跡や遺跡等を訪れ、「歴史の現場」に触れる。また実物資料などを収集する。それらを授業で活用することで、生徒の意欲・関心も目に見えて活性化していく。そういうことを「研修論文」にまとめ、一定のレベルに達していれば、それで「免許更新」でいいはずだ。

 昔は、夏休みといえば、全国で行われれる教育研究会に参加する教員がいっぱいいた。今はあまりにも夏休みが立て込み過ぎて、それも不可能になりつつある。官製の研究会もたくさんあるけど、教員組合も関わる「民間教育運動」の研究会もいっぱいある。そういうのに参加することが今は難しい。いや、もちろん年休を取ればどこへ行くのも自由だが、昔は「研修」などで参加できた時代も長かった。政治集会ではないのであって、実際に授業をめぐって議論を交わしているのだから、「研修」でいいではないかと思うが。でも、恐らくはそういう民間の教育運動に参加しにくくするというのも、更新制の目的なんだろう。だから、「自主研修」がそのまま「更新講習」の代替になるというのは、今の政権においては難しいのかもしれない。

 もう一つは、更新制を免除されている「特権教員」の問題である。これは明らかにおかしい。管理職の場合と主幹教諭、指導教諭などの場合は事情が異なる。主幹は教務主任、生活指導主任などに任命されることが原則である。そういう主任の研修は受けるわけだから、「最新の教育事情」などは確かに講習は不要だろう。でも、学校で免許の教科の授業を担当していることは、他の教員とは変わりない。だから、教科教育の免許に関しては、更新講習を受けずに更新されてはおかしい
 
 管理職の問題は、僕はまた別の制度がいると思う。確かに、もう授業をしないんだし、管理職として様々な研修を受けているわけだから、現状の更新講習は受けなくてもいいというリクツは成り立つ。でも、明らかに「学校経営のプロ」としては不適任と思える人がいるのは何故だろう。むろん、管理職も人間だから、いろいろと不祥事を起こす人がたまにいる。それを完全になくすことは誰にもできない。だけど、そういうことを言っているのではなく、要するに「学校経営能力」の問題なのである。

 考えてみれば、学校管理職に必要な資格がない。校長なんて、誰でもいい。「民間人校長」が時々現場ともめるのも、突然何にも知らずに現場に入っていくからである。僕は本来「学校経営」という免許があってもいいのではないかと思う。現代の複雑な教育事情の社会では、管理職専門の免許があった方がいいのではないか。民間人や学校事務、養護教諭なども、教職大学院大学などの通信教育で取れるようにすればいい。教員に関しては、教職経験10年程度で「管理職免許」取得が可能とし、その免許を10年期限とすればいい。そうなると、管理職免許を持つ人も10年ごとに、更新が必要になる。それこそ「講習」などいらない。経験をもとに論文をまとめて提出すればいい。そういう制度が管理職にも必要ではないだろうか。
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2 コメント

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尾形さんが言われていること、正しいと思います。 (Unknown)
2017-12-05 00:01:24
最近、教職員免許更新制度の被害を受け、失職した先生方が多いように思います。そういう意味でも、この法律の存在意義について見直すことが大切ですね。私は、法律とは人を守るためにあると考えています。失職された先生は、ミスがあっただけです。ミスは誰にでもあるのです。犯罪ではないのです。救済される法律があってもいいし、ないなら作らなければならないと思います。教師は生徒に、ミスをしてはいけないとは教えないわけですから。
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なかなか実現しないです (ogata)
2017-12-05 23:12:39
 教員免許更新制度は全く改善の方向性がないですね。自分で第一次政権時代の導入した制度だから、安倍政権の続く限り、廃止はもとより改善の可能性もないというのが、冷静に考えた時の現状認識になるでしょう。

 何度も書いてますが、夏休みなどに研修することは当然いいわけです。自主研修は大いにしないといけない。いろんな勉強会もあるし。それでいいと思うけど。授業のあり方など大きく変わりつつあり、このままでは教員の疲弊がどうしようもない段階に行くのではないかと心配しています。
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