尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

赤瀬川原平「個人美術館の愉しみ」

2011年11月01日 00時33分57秒 | 〃 (さまざまな本)
 本がたまってしまったので、どんどん。まずは赤瀬川原平「個人美術館の愉しみ」(光文社新書)。新書と言ってもカラー版で1300円もする。でも、こういうカタログ的な本としては役立つし、美術好き、旅好きな人は見てるだけで元は取れる。「ひととき」という雑誌に連載されたものというが、それは東海道新幹線のグリーン車にあるということで一度も見たことがない。(グリーン車に乗ったことがない。)これを紹介するのは、こういう「個人美術館」に行くのは自分も結構好きなのと、赤瀬川原平について書きたいこともあるけど、もう一つ日本の豊かさみたいなものを感じたからである。ここに言う「個人」というのは、「一人の画家を対象にしている」というのと「一人が集めたコレクションを展示する」というのがある。前者には公立もあるが、後者は私立である。金持ち(大体は大企業の創始者)が絵を買って美術館を作る。国内の画家ばかりなら「富」が日本経済の中を流通するだけだが、ルノワール、ピカソ、アンリ・ルソーなどがあっちこっちにある。有名画家のほとんどが何かしら日本のどこかにある。さすがにレオナルド・ダ・ヴィンチやフェルメールはないけれど。これはすごいことだなあ。日本が営々と経済発展したあがりを、「泰西名画」に惜しみなくつぎ込んで、極東の島国まで持ってきた。僕たちはいながらにして、ヨーロッパまでいかずに「ほんもの」を鑑賞できる。そういう風にお金を使った金持ちがいたことで、僕らの文化的な素養ができた。まだ他のアジア諸国では、ここまでないのではないか。そういうお金の使い方をするお金持ちがいることが、文化の発展だと思う。クラシック音楽では韓国や中国の演奏家の活躍が多くなってきたけど、そして現代美術なら各国で活躍してるだろうけど、美術館では日本がアジアで一番だろう。世界から、特にアジア各国から日本に印象派を、フォーヴィズムを、その他いろいろ見に来る人を増やせるんではないか。

 とかいろいろ思ったんだけど、それはさておき、見てないところが多いなあ。僕が最初に見たのは、倉敷の大原美術館。高校2年の時に、「一人旅」というのをどうしてもしたくなって中国地方へ行った。岡山にある日本第4位の巨大古墳、松江の小泉八雲旧居、山口の秋吉台、広島の原爆資料館、そして倉敷で大原美術館とぐるぐるまわった。大原美術館の周りの風情やエル・グレコの「受胎告知」など今も記憶に残る。大原孫三郎と言えば、歴史研究者には「大原社会問題研究所」を作った人でもある。(今は法政大学が受け継ぎ八王子にある。戦前の社会運動史料の宝庫。)そういう金持ちがいたのだから近代日本もすごいと思う。箱根のポーラ美術館は高いし、どうなんだろうと思ってなかなか行かなかったけど、行ってみたら素晴らしかった。ここを見れば印象派から20世紀美術は大体見渡せるような展示画家のすごさ。それも一点一点がすごい。この本に出てないエミール・ガレのコレクションも見物。ここまですごいと思わなかった。桐生の大川美術館というところは、なかなか見つからなくて車でグルグルしたが、入ったらコレクションは素晴らしかった。などなど、いろいろ旅の思い出と重なっている。旅先で見る絵は旅情を誘う。

 赤瀬川原平と言う人はほとんど読んでいる。昔名古屋でやった「赤瀬川原平展」を見にいったこともある。60年代は前衛のバリバリで、「ハイ・レッド・センター」というパフォーマンス集団を作っていた。また千円札を模写して通貨偽造罪で逮捕・起訴されて裁判で芸術論争をした。「朝日ジャーナル」に連載していた「櫻画報」で「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」というのを作って大問題を引き起こしたのは、少し変えて映画の「マイ・バックページ」にも出ていた。(朝日ジャーナルは朝日の論説週刊誌だったが、ほとんど全共闘シンパのような編集ぶりで、この件をきっかけに朝日上層部から「弾圧」された。)その後、小説を書き尾辻克彦名義で書いた「父が消えた」で芥川賞を獲得。さらに「路上観察」を提唱、何も存在価値のないような変な物件を街に捜し歩く「路上観察」を流行させた。僕は中学で「必修クラブ」というのがあった時に、一回「路上観察クラブ」を作った年がある。それから「老人力」「新解さんの謎」など不思議な発想のベストセラーを連発させてきた。

 昔の「前衛」は今いずこ。年取ってきて食べ物の好みも変わると、それにつれて見たい絵も変わってくる。現代風「転向」と言えなくもないけど、これが「成熟」とも言える。いつまで元気もいいけど、少し好みも枯れてくるのが自然でもある。その赤瀬川原平が何を書くか、何を見るか。その寸評が面白い。もう冒頭の一行目から「原平節」みたいな独特のリズムで引き込まれてしまう。ちょぼちょぼ読んで、読み終わりたくないような感じで少しずつ読んだんだけど、やっぱりいつか終わりが来る。残念だけど、今度はこの本に出ていた美術館を訪ねる愉しみが生まれる。そういう本。(この本に出てない美術館のお勧め。鹿児島の長島美術館、鹿児島県加世田の吉井淳二美術館、北海道岩内の荒井記念美術館、木田金次郎美術館、旭川の中原悌二郎記念彫刻美術館、伊豆の池田21世紀美術館などなど。文学館、歴史館もあるので美術ばかり見てられませんが。)
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