尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

原武史『戦後政治と温泉』を読むー戦後初期の首相は温泉で決定を下した

2024年03月21日 22時06分25秒 | 〃 (さまざまな本)
 政治学者の原武史著『戦後政治と温泉』(2024、中央公論新社)を読んだ。今まで原氏の本はずいぶん読んでいるが、これは提唱する「空間政治学」の概念がうまく生きた「傑作」だと思う。学問的著作に「傑作」という表現はおかしいかもしれないが、そう評価したくなる「作品」である。そして、戦後政治史に関して様々なことに気付かされる本だった。裏表紙の帯に「サンフランシスコ講和会議の下準備も“抜き打ち解散”の決定も温泉だった」とある。まさにその通り、戦後初期の重要な政治的決定は、伊豆や箱根の温泉で下された。そのことを余すところなく論証した本である。 
(表紙の写真は吉田茂)
 この本で追求されているのは、戦後政治史のベースを作った吉田茂鳩山一郎の政争に始まって、続く石橋湛山岸信介、そして60年安保後の池田勇人までである。社会党が加わった三党連立内閣が崩壊し、吉田茂の第二次内閣が出発した1949年に始まり、1964年の東京五輪後に池田首相が辞任するまで、おおよそ15年間がこの本で描かれる。その後の佐藤栄作首相になると、軽井沢の別荘を愛用するようになり、「温泉」の持つ役割が低下していった。現代の首相は「広島」「長崎」「終戦記念日」の式典に出席した後で短い休暇を取っている。しかし、この本が対象とする時代では、首相が閣議を欠席して1ヶ月以上も温泉旅館や別荘に滞在していた。昔とは言え、そんなことが許されていたのかという感じ。
(鳩山一郎)
 原武史氏は、鉄道ファンとして関西の私鉄に着目した『「民都」大阪対「帝都」東京――思想としての関西私鉄』や団地に着目した『団地の空間政治学』など興味深い視点から、「空間政治学」を唱えてきた。また多くの公的史料や日記などを活用して、『大正天皇』『昭和天皇』『「昭和天皇実録」を読む』など、天皇を中心とした近現代政治史も書いてきた。この本はそれらのスタイルがうまく合わさり、伊豆や箱根の温泉宿や別荘(今はすでに取り壊されている物が多い)を訪ねつつ、数多くの政治家の日記を使って温泉で「政治」が動いた時代を再現した。原氏の著作には何度か触れてきたが、写真は未掲載だったから載せておきたい。
(原武史氏)
 政治家ごとに行きつけの宿、あるいは別荘は違っていた。吉田茂は三井家の持つ別邸を借り切ることが多かった。鳩山は熱海で療養することもあったが、伊豆長岡にあった野口遵(チッソの創業者)の別荘「水宝閣」を借りた。どちらも今はない。何で戦後に有力政治家が温泉に籠ったのだろうか。理由は幾つか考えられる。当然戦前の彼らは東京に本宅を持っていたが、それは空襲で焼けてしまった。また占領下の東京にいたくもなかっただろう。そして高齢の政治家たちには健康面の不安があった。吉田は大磯に自宅を持っていたが、夏の高温多湿に音を上げて箱根に避暑に行った。鳩山は脳卒中で倒れて、熱海の温泉で療養することが多かった。吉田・鳩山のし烈な政争は政治史に有名だが、その主たる舞台は伊豆や箱根だったのだ。
(箱根宮ノ下、奈良屋旅館)
 鳩山後に首相となった石橋湛山も温泉を利用した。肺炎で倒れて2ヶ月で退陣したが、退院後には伊豆長岡温泉で半年間療養した。その後を継いだ岸信介は、箱根宮ノ下の奈良屋旅館を愛用した。宮ノ下温泉は有名な富士屋ホテルがあるところだが、岸はその近くにあった大きな奈良屋旅館の別邸を主に使った。この旅館は2001年に閉業して解体され、跡地には会員制リゾートホテルが建っているという。岸はそこに外相や外務次官などを呼び、安保改定案を練っていた。しかし、インドのネール首相が来日した際は、富士屋を使っている。洋式ホテルだから国際儀礼に使いやすい。翌日は芦ノ湖に出掛け、堤康次郎(元衆議院議長、西武グループ創業者)の案内で西武系の遊覧船に乗っている。富士屋ホテルは今も健在で、僕も泊まったことがある。
(箱根宮ノ下・富士屋ホテル)
 60年安保で岸首相が退陣した後は池田勇人が首相となった。池田になると、箱根でもちょっと離れた仙石原の別荘が使われた。本人のものではなく知人や親族のものというが、恐らく無料で借りていて、今ならば問題化したかもしれない。この間、首相を辞めた吉田茂は大磯や三井別邸にいて、弟子筋の池田は折に触れて訪問していた。吉田は人を寄せ付けない「ワンマン」で知られ、箱根で面会することはなかった。池田も滞在中の別荘には(小さいここともあり)、人を呼ばなかった。代わりに近くにあった箱根観光ホテル(後に箱根パレスホテルと改称し、2018年閉業)を会議等に使っていた。初の日米貿易経済合同委員会もそこで開催された。「所得倍増政策」もこのホテルで練られたという。
(箱根観光ホテルのパンフレット)
 最終章で原氏は戦後の皇室と温泉という興味深いテーマを提出している。昭和天皇は各地方を訪れているが、宿泊地のほとんどは地元の有名温泉旅館が多かった。そして皇太子夫妻(現・上皇、上皇后)も各地を訪れ、青年たちとの懇談を重ねていたのだという。また社会党出身の村山富市首相が退陣を決めたのも、伊豆長岡の三養荘という旅館だった。それら興味深いエピソードを最後に語って、これら「温泉」での政治はある種「ワーケーション」の先駆ではないかとも指摘している。この本で取り上げられた旅館、別荘の多くは今は取り壊されている。もう歴史の跡を訪ねられないのが残念な思いがする。

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