尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『紫式部と藤原道長』(倉本一宏著)を読む

2023年12月01日 21時55分01秒 |  〃 (歴史・地理)
 コーマック・マッカーシー『平原の町』が残っているけど、飽きてきたので歴史系新書を先に読んだ。2023年の大河ドラマは徳川家康だったので、新書本を何冊かここでも紹介した。2024年は紫式部なので、本屋に行くともう関連本が並んでいる。歴史学者には特需景気となるが、中でも一番置いてあるのが倉本一宏氏(国際日本文化研究センター教授)の本である。9月に講談社現代新書から出た『紫式部と藤原道長』をまず読んでみた。大河ドラマでは吉高由里子が紫式部、柄本佑が藤原道長である。

 日本で教育を受けた人なら、藤原道長紫式部の名前は皆が知っているだろう。だけど歴史ファンには戦国時代や幕末が人気で、平安時代の貴族社会は今ひとつイメージ出来ない人が多いと思う。僕は一応通史レベルではある程度読んでいるから、史料的な問題にも付いてはいける。だが案外知らないこと、うっかり気付かなかったことがずいぶんあった。この本ではのっけから「紫式部は実在した」と出て来て驚く。紫式部は藤原実資(さねすけ)の日記『小右記』(しょうゆうき)という確実な史料に出て来るのである。一方、清少納言は確実な史料には出て来なくて、その意味では実在が証明出来ないのだという。
(倉本一宏氏)
 平安時代には女性の文学者が活躍したが、当時の女性の正式な名前は伝わっていない。古代日本には『日本書紀』に始まる六国史と総称される国家の正式な歴史書があった。でも平安時代中頃になると、もう作られなくなってしまった。じゃあ、その時代のことはどうして研究するのかと言えば、当時の貴族の日記が残っているのである。例えば藤原道長の日記『御堂関白記』(みどうかんぱくき)はなんと自筆本が遺されていて、世界記憶遺産に登録されている。しかし、そういう男性貴族の日記では官位を持つ有力者の消息は伝わるが、女性は誰それの母とか娘としか出て来ないのである。

 「紫式部」は『小右記』に「藤原為時の女(むすめ)」として出て来る。そこで実在は判明するが、生没年ともに不明である。当時の宮中では「藤式部」と呼ばれていたらしい。藤原道長になると、966年出生、1028年没と判っている。ただもともとは出世するとは思われていなかった。父藤原兼家の五男だったからである。しかし兄の道隆、道兼が早く亡くなるなど「幸運」が続いて出世した。しかし、より若いために娘も幼い。当時は藤原氏が天皇に娘を嫁がせて、その間に生まれた男児が皇位を継ぐ、つまり藤原氏当主が天皇の祖父であることで、幼少の天皇に代わって摂政となり権限を振るった。
(御堂関白記)
 紫式部や清少納言が活躍したのは、一条天皇(980~1011、在位986~1011)の時代である。ちなみに一条天皇は円融天皇と藤原兼家の娘詮子の間の子で、つまり道長の甥になる。皇后は藤原道隆の娘定子(977~1000)で、二人の間には3人の子があった。一方、道長の娘彰子(988~1074)は定子より11歳年少で、入内したのも999年である。数え年12歳で、まだまだ子どもを産める年じゃない。天皇は定子を寵愛していたが、1000年に次女を産んだときに亡くなってしまった。悲しみにくれる天皇は彰子のもとを訪れる気にならない。(なお、定子=ていし、彰子=しょうしと音読みするのが普通である。)

 今までなんとなく清少納言のいた「定子サロン」と紫式部のいた「彰子サロン」が併存して、競い合っていたと思い込んでいた。そうじゃなく、時間差があったのだ。新書の帯に「『源氏物語』がなければ、道長の栄華もなかった!」とあるのは、どういうことか。彰子のもとへ天皇が訪れるための「お土産」が紫式部の物語だったのである。一条天皇も『源氏物語』を楽しみにしていたらしい。今書かれている最中の、つまり連続ドラマ放送中なので、次の展開を知りたいのである。そうやって彰子サロンに通ううちに次第になじんでいったわけである。それでもなかなか子どもは出来ず、最初の皇子誕生は1008年、彰子19歳のことだった。
(2024年大河ドラマ『光る君へ』)
 一方、紫式部の方でも、道長なくして『源氏物語』が完成しない事情があった。それは当時は紙が超貴重品だったからである。それを道長が国家に集まった紙を紫式部に回していたらしい。紫式部は国家プロジェクトとして、物語完成を目指したのである。しかし、道長自筆の『御堂関白記』は伝来したが、紫式部自筆の『源氏物語』は存在しない。多くの人に書写されて伝わるが、やはり「物語」は軽視されていた。応仁の乱の時、九条家は貴重品を疎開させた。そこに『御堂関白記』はあったが、『源氏物語』は入っていなかった。そして、九条家の屋敷は乱で焼けてしまった。この本は史料的に確実なことしか書かれていない。まさに「歴史学」の本。それだけに案外手強くて、史料も豊富。世界文学史に輝く『源氏物語』の歴史的背景がよく理解できる。
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