尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「旧国名」(令制国)を知れば日本がわかるー「能登」と「加賀」は別の国

2024年01月25日 23時10分30秒 |  〃 (歴史・地理)
 最近「旧国名」が大事だなと思っている。ミャンマーは「ビルマ」だったとか、ソ連ユーゴスラビアが解体して幾つの国になったのかということではない。それらも関心はあるけれど、ここで扱うのは日本の「旧国名」である。日本には明治になるまで長く続いた「昔の国名」がある。それをちゃんと知っているのは、歴史ファン(特に戦国時代)と鉄道ファンだろう。

 なんで鉄道かというと、駅の名前に昔の国名が付くことが多いのである。同じ駅名を避けるため、後から出来た駅の方が「武蔵小杉」とか「下総中山」など昔の国名を頭に付けるルールなのである。(ちなみに、ただの小杉駅は富山県、中山駅は横浜市にある。自分も今まで知らなかった。)そのルールがいつ決まったのか知らないけど、鉄道マニアは知らず知らずに昔の国名を知っていることが多いと思う。

 日本には「47都道府県」がある。1都1道2府43県である。その位置と名前、県庁所在地は多分学校で習うはずだが、案外知らない人が多い。だからテレビのクイズ番組なんかでは、県の形のシルエットを見て何県か当てるみたいな問題がよく出る。学校の先生でも、鳥取県と島根県がどっちだか判ってない人がいる。それどころか東京の教員なのに、栃木県と群馬県の区別が付かない人もいて驚いたことがある。(もちろん社会科以外の教師である。)

 そういう現状から考えて、日常的にはあまり使わない「旧国名」を全部学校で教えてテストするなんてのはやり過ぎだろう。それは記憶力テストにしかならない。だから、ここで僕が書こうと思うのは、今も旧国名は大事なものであり、「自分で調べてみる」ことに意味があるということだ。それを最近痛感したのは、能登半島地震に伴って、「被災地には(今のところ)行かないで」というメッセージと「石川県に観光に来て」というメッセージがどっちも発信されて、それを「混乱」と思った人がいるらしいからだ。
(加賀と能登)
 現在は行政的には都道府県で把握するから、死亡者数とか倒壊家屋数が発表されると、圧倒的に石川県が被害を受けたということになる。それはもちろん間違いないことだけど、これを旧国名で見てみると今回の地震は「能登国で大きな被害を出した」ということが判る。加賀国(石川県南部)あるいは、越中国(富山県)、越後国(新潟県)でも被害はあるけれど、人的な被害は能登に集中している。一方で、石川県南部(加賀)の金沢市加賀市の宿泊施設はほぼ利用可能である。

 能登地域の和倉温泉(七尾市)は有名な加賀屋があるところだが(能登だけど、加賀屋である)、今は全旅館が休業しているとのことだ。一方、加賀温泉郷と言われる山中温泉山代温泉片山津温泉などはやっていて、被災者の二次避難所になっているところも多い。一般客も受け付けているがキャンセルも多いらしく、このままでは石川県の税収が大幅に落ち込んで復興に使う財源が少なくなる。(特に冬場は日本海の蟹を食べる高級プランが多く、キャンセルの影響は他の季節より大きいだろう。)

 そこで「加賀国」には来てくださいというメッセージになるわけである。この旧国名は大昔に決められたもので、今のような新幹線や高速道路がある時代からすると、細かく分かれすぎている。しかし、人間が足(または船)で移動するしかなかった古代に決められた「国」は、日本の自然地理の特徴を反映している。例えば、「能登」だけではなく、半島地域だけ別の国になっている地域は他にもある。「伊豆」(静岡県)がそうだし、「志摩」(三重県)もそう。千葉県なんか、上総(かずさ)、下総(しもうさ)、安房(あわ)の三つに分かれているぐらいだ。(だから「房総半島」である。)
(日本の旧国名一覧)
 この旧国名は律令制で定められたと言われている。「」は刑法で、「」(りょう)は行政法、及び民法である。従って「令」で決められたわけで、最近の歴史用語では昔の国を「令制国」(りょうせいこく)と言うことが多いらしい。僕も今回調べて知った言葉である。それはともかく、そこではまず「国」の前に全国を「畿内」(首都圏)の5国と「七道」(地方)に分けた。東海道東山道北陸道山陰道山陽道南海道西海道である。

 これを見ると、東海道とか北陸、山陰、山陽など、現在でも使われている用語がある。令制国は遅くとも701年の大宝律令では決まっていたと思われる。全部で68に分かれている。北海道と沖縄(琉球)はまだ支配下になく、入ってない。よく「六十六か国」と呼ばれるが、その場合は壱岐(いき)、対馬(つしま)を国境の島として外すらしい。島が一国になっていることも多く、淡路、佐渡、隠岐はそれだけで一国である。また「前中後」「上中下」が付く国名も多いが、これは畿内から見て近い方が前、上になる。福井県が越前、富山県が越中、新潟県が越後なのは、そういうことである。
(関東地方の旧国名)
 しかし、上記関東地方の旧国名を見ると、千葉県の北部が下総(しもうさ)、中部が上総(かずさ)である。奈良・京都から行く時は(東京からでも同じだが)鉄道も高速道路も房総半島を北から訪れる。都に近い方が「上」だという原則からするとおかしい気がするが、これは古代には相模(さがみ、神奈川県中南部)から船で房総半島に渡っていた名ごりなのである。今の東京地域は低湿地で交通事情が悪く、源頼朝が当初敗れたときに房総半島に船で渡って再起したように海路でつながっていたのである。

 全国を見ていると終わらないがもう少し。関東地方を見ると、「上野」(こうずけ)「下野」(しもつけ)がある。これは知らない限り読めない難読地名の代表格である。一方、群馬県と栃木県を結ぶ鉄道に「両毛線」がある。その地域に住む人、あるいは歴史ファンには周知のことながら、要するにこの地域は「毛野」(けの)という名前だったのである。それを二つに分けて、「上毛野」(かみつけの)「下毛野」(しもつけの)と名付けたわけである。そして「かみつけの」が「こうずけ」と読まれるようになった。ちなみに上野は親王が国司に任じられる慣例があり、臣下としては「介」(すけ=次官)が最高位となる。そこで吉良上野介という人物名になる。

 最後にもう一つ。それは「近江」(おうみ、滋賀県)と「遠江」(とおとうみ、静岡県西部)である。これも難読の極みだろう。滋賀県と言えば「琵琶湖」、つまり日本最大の湖である。湖は淡水の海ということで「淡海」(あわうみ)と呼ばれた。東海道を下れば、もう一つ浜名湖もある。昔は日本2位だった秋田の八郎潟(今は干拓で消滅)や茨城の霞ヶ浦も大きいけど、当時の道筋から外れている。そこで二つの大きな湖を「近い淡海」「遠い淡海」と呼ぶようになり、やがて「海」の字が「」に変わった。「あわうみ」が「おうみ」となり、「とおいあわうみ」が「とおとうみ」と読まれるようになったわけである。

 その他、旧国名には話題がいっぱいあるけれど、そこまで書いていては終わらない。調べてみると、今もよく使う言葉(讃岐うどんなど)があるし、戦国時代、江戸時代の大名を考える時は必須の知識である。観光でもよく使われるし、日本を深く知ろうと思うなら知っていた方が良い知識だ。単なる知識としてじゃなく、地方の特性を理解する方法として有効だろう。

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