イタリアの映画音楽家、エンニオ・モリコーネ(1928~2020)の生涯を描くドキュメンタリー映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』。157分もある長い長い映画だが、興味深くとても楽しく見られた。作ったのは『ニュー・シネマ・パラダイス』以来、モリコーネの音楽を使い続けたジュゼッペ・トルナトーレ。モリコーネは2020年に亡くなったが、映画では長いインタビューが行われ、音楽を担当した映画が何十本も引用されている。実に贅沢な気分になる映画。
映画ファンじゃなくても、『ニュー・シネマ・パラダイス』や『荒野の用心棒』なんか、どこかで聞いていると思う。いや、聞いてなくても、一度聞けば懐かしい世界に浸ってしまうだろう。彼はもともと医者になりたかったが、楽団のトランペッターをしていた父が音楽学校へ入れたという。トランペットさえ出来れば家族を養っていけると。だけど、音楽院の中でトランペットはマイナーな楽器で、彼は作曲に憧れた。学校には現代イタリアの代表的な作曲家ペトラッシがいて、彼に付いて作曲を学べるようになった。しかし、やがてポップスや映画音楽で成功したモリコーネは師との関係が悪くなってしまう。
(エンニオ・モリコーネ)
当時は音楽に限らず、芸術に「純粋志向」を求めることが多く、様々な前衛的な芸術運動が繰り広げられた。モリコーネもジョン・ケージなどに影響されて、現代音楽を作曲している。実は最後まで現代音楽家として作曲を続けていて、たくさんの作品を残しているという。ただ、それだけで食べることは出来ないから、「歌謡曲」の作曲を頼まれる。その映像がたくさん残っているが、歌手の魅力をどのように見出したか興味深い。そして、1964年のセルジオ・レオーネ監督『荒野の用心棒』を頼まれた。
(『荒野の用心棒』)
レオーネに頼まれた時に驚いたという。実は小学校時代の同級生で、一緒に写った集合写真が出て来る。そして彼は一本の日本映画をモリコーネに見せた。黒澤明監督の『用心棒』である。これをやりたいんだという。この映画で「マカロニ・ウェスタン」が世界的に大ヒットし、クリント・イーストウッドをスターにした。その後、レオーネは世界的巨匠と認められるが、最初はアメリカの西部劇の「まがい物」として低く見られていた。そんな中で、現代音楽も生かしたモリコーネの才能が、映画にどのように大きな貢献をしたか。映像をもとに解説される。
やがて、様々なイタリア映画の名匠から依頼が来るようになる。ジロ・ポンテコルボ監督の『アルジェの戦い』やパゾリーニ、マルコ・ベロッキオ、ベルナルド・ベルトルッチ、エリオ・ペトリなどの新進監督たちである。当時の映像を引用しながら、映像の魅力を引き出す音楽の力が解明されていく。監督よりも映像解析力が高い場合もある。彼の音楽があって、物語が始動していく。特にセルジオ・レオーネがアメリカで作った『ウエスタン』(リバイバル時の題名『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト』の抒情的、かつ壮大、前衛的試みも含まれた傑作を担当した。この映画は最近日本でもリバイバルされ、その音楽の素晴らしさに魅せられて2度見たぐらいである。
(映画『ミッション』)
まあ、あまり細かく書いても仕方ないけど、次第に世界からオファーが来るようになり、テレンス・マリック監督『天国の日々』(1978)で初めてアカデミー賞作曲賞にノミネートされた。そしてローランド・ジョフィ監督『ミッション』(1986、カンヌ映画祭パルムドール受賞)は、本格的なオーケストラを使った作曲でアカデミー賞最有力と言われた。しかし、受賞者はフランス映画『ラウンド・ミッドナイト』のハービー・ハンコックだった。ハンコックは優れたジャズ・ミュージシャンだが、映画ではジャズの名曲の再現シーンが多く、モリコーネは自身の落選に納得できなかった。
(『ニュー・シネマ・パラダイス』)
何度も映画音楽は辞めると言っていたらしいモリコーネだから、最初に新人監督ジュゼッペ・トルナトーレの『ニュー・シネマ・パラダイス』を頼まれた時は、一度断ったという。しかし、製作者から一度シナリオを読んでくれと言われて、読んだら気が変わった。そして映画音楽の傑作が生まれたのである。この映画の音楽はもっと聞いていたいぐらいだが、トルナトーレは自分の映画の引用は控えめ。以後の彼の全作品をモリコーネが手掛けたが、『海の上のピアニスト』しか引用されない。
(アカデミー賞名誉賞受賞)
そしてアカデミー賞は2006年にそれまでの業績に対して、名誉賞を贈った。その後も活躍を続け、タランティーノ監督『ヘイトフル・エイト』(2015)でようやく受賞することになった。これは最高傑作というより、功労賞みたいなものだろう。最後は映画音楽をオーケストラで演奏するコンサートを各地で開催し、「イタリアの誇り」「マエストロ」と呼ばれていた。ある意味、20世紀を代表する音楽は「映画音楽」だったと語られている。そこまでの長い人生を豊富なフィルムをもとに振り返った映画。まあ書くまでもないんだけど、映画ファンには非常に幸せな気分になれる映画。一応紹介しておきたいなと思って書いた次第。
映画ファンじゃなくても、『ニュー・シネマ・パラダイス』や『荒野の用心棒』なんか、どこかで聞いていると思う。いや、聞いてなくても、一度聞けば懐かしい世界に浸ってしまうだろう。彼はもともと医者になりたかったが、楽団のトランペッターをしていた父が音楽学校へ入れたという。トランペットさえ出来れば家族を養っていけると。だけど、音楽院の中でトランペットはマイナーな楽器で、彼は作曲に憧れた。学校には現代イタリアの代表的な作曲家ペトラッシがいて、彼に付いて作曲を学べるようになった。しかし、やがてポップスや映画音楽で成功したモリコーネは師との関係が悪くなってしまう。
(エンニオ・モリコーネ)
当時は音楽に限らず、芸術に「純粋志向」を求めることが多く、様々な前衛的な芸術運動が繰り広げられた。モリコーネもジョン・ケージなどに影響されて、現代音楽を作曲している。実は最後まで現代音楽家として作曲を続けていて、たくさんの作品を残しているという。ただ、それだけで食べることは出来ないから、「歌謡曲」の作曲を頼まれる。その映像がたくさん残っているが、歌手の魅力をどのように見出したか興味深い。そして、1964年のセルジオ・レオーネ監督『荒野の用心棒』を頼まれた。
(『荒野の用心棒』)
レオーネに頼まれた時に驚いたという。実は小学校時代の同級生で、一緒に写った集合写真が出て来る。そして彼は一本の日本映画をモリコーネに見せた。黒澤明監督の『用心棒』である。これをやりたいんだという。この映画で「マカロニ・ウェスタン」が世界的に大ヒットし、クリント・イーストウッドをスターにした。その後、レオーネは世界的巨匠と認められるが、最初はアメリカの西部劇の「まがい物」として低く見られていた。そんな中で、現代音楽も生かしたモリコーネの才能が、映画にどのように大きな貢献をしたか。映像をもとに解説される。
やがて、様々なイタリア映画の名匠から依頼が来るようになる。ジロ・ポンテコルボ監督の『アルジェの戦い』やパゾリーニ、マルコ・ベロッキオ、ベルナルド・ベルトルッチ、エリオ・ペトリなどの新進監督たちである。当時の映像を引用しながら、映像の魅力を引き出す音楽の力が解明されていく。監督よりも映像解析力が高い場合もある。彼の音楽があって、物語が始動していく。特にセルジオ・レオーネがアメリカで作った『ウエスタン』(リバイバル時の題名『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト』の抒情的、かつ壮大、前衛的試みも含まれた傑作を担当した。この映画は最近日本でもリバイバルされ、その音楽の素晴らしさに魅せられて2度見たぐらいである。
(映画『ミッション』)
まあ、あまり細かく書いても仕方ないけど、次第に世界からオファーが来るようになり、テレンス・マリック監督『天国の日々』(1978)で初めてアカデミー賞作曲賞にノミネートされた。そしてローランド・ジョフィ監督『ミッション』(1986、カンヌ映画祭パルムドール受賞)は、本格的なオーケストラを使った作曲でアカデミー賞最有力と言われた。しかし、受賞者はフランス映画『ラウンド・ミッドナイト』のハービー・ハンコックだった。ハンコックは優れたジャズ・ミュージシャンだが、映画ではジャズの名曲の再現シーンが多く、モリコーネは自身の落選に納得できなかった。
(『ニュー・シネマ・パラダイス』)
何度も映画音楽は辞めると言っていたらしいモリコーネだから、最初に新人監督ジュゼッペ・トルナトーレの『ニュー・シネマ・パラダイス』を頼まれた時は、一度断ったという。しかし、製作者から一度シナリオを読んでくれと言われて、読んだら気が変わった。そして映画音楽の傑作が生まれたのである。この映画の音楽はもっと聞いていたいぐらいだが、トルナトーレは自分の映画の引用は控えめ。以後の彼の全作品をモリコーネが手掛けたが、『海の上のピアニスト』しか引用されない。
(アカデミー賞名誉賞受賞)
そしてアカデミー賞は2006年にそれまでの業績に対して、名誉賞を贈った。その後も活躍を続け、タランティーノ監督『ヘイトフル・エイト』(2015)でようやく受賞することになった。これは最高傑作というより、功労賞みたいなものだろう。最後は映画音楽をオーケストラで演奏するコンサートを各地で開催し、「イタリアの誇り」「マエストロ」と呼ばれていた。ある意味、20世紀を代表する音楽は「映画音楽」だったと語られている。そこまでの長い人生を豊富なフィルムをもとに振り返った映画。まあ書くまでもないんだけど、映画ファンには非常に幸せな気分になれる映画。一応紹介しておきたいなと思って書いた次第。