★追補④(2.3)
2022年末に「母の病状について」という記事を更新して以来、1ヶ月以上。何も書いてないだけでなく、最近は毎日のように更新して、映画の記事もある。いつの間にか、書いてない間にすべて(葬儀まで)済んでしまったのかと思った方も、中にはいるのかもしれません。しかし、そうではなく、「いつ何が起こってもおかしくない」と言われてから、一ヶ月。最近病状の説明を受けたのですが、容態が安定してしまったようなのです。年齢が年齢(95歳)、病気が病気(大動脈解離)ですよ。ほとんど起こらないようなことじゃないかと思います。
今後は救急病院から別の病院への転院が必要になります。今後も急変も予想され、事前に旅館や演劇公演などを予約することはしばらく難しいと思います。しかし、当日になって決められる近場の映画館などは解禁したわけです。
それにしても、あれだけ野菜を残す人がこんなに強いなんて、やはり肉食の方が強いのか。「ゴミ屋敷」は言い過ぎだけど、膨大な過去のあれこれが残されていて、ゆるゆると整理・片付けをしています。「ゴミ屋敷2世問題」というのも、世にはあります。
★追補③(12.26)
前回書いてから2週間が経過。コロナ禍の面会禁止というのは、本当に身に応える。基本的には映画も見ず、散歩もせず、病院からの電話に自宅で待機している。一月間映画も見てないが、まあ映像は残っているから、いずれ見る機会もあるだろう。40年間夫婦で通っていた「高石ともや年忘れコンサート」もチケットを買っていたが、今年は行かなかった。残念だが、楽しめないのでやむを得ない。昔のフランス映画ジェラール・フィリップ特集の前売り券も買ってしまったのだが、一枚も使えてない。
ひたすら「待っている」という意味で、これはアレだなと思って探し出して読んでみた。ベケットの『ゴドーを待ちながら』(高橋康也訳)である。2013年に白水Uブックスから出たとき買ったまま読んでなかった。舞台でも見てないから今回が初めて。「不条理演劇」の代名詞にして最高傑作と帯に書いてあるが、まさにその通りの傑作だと思った。でも、今の時点ではあまり心に通じては来なかったけど。アメリカではマイアミで「爆笑コメディ」として初演されたが、幕間の後まで残っていたのはテネシー・ウィリアムズ、トルーマン・カポーティと役者の家族だけだったという。そこまで行くと、それも「伝説」である。
(『ゴドーを待ちながら』)
ようやく金曜日に連絡があり、点滴と輸血で少し持っていた容態も次第に衰えてきたようである。片付けを進めていると、いろんな問題、疑問がいっぱい。鍵がやたら出て来るが、どこのものか。寄りによって「貸金庫」なんて持っていて、その鍵が見つからなかったのが、昨日やっと発見した。昨日は弟夫婦に来て貰って、相談&片付けをして疲れてしまった。かくしてクリスマスも正月もない毎日が続いている。
★追補②(12.12)
母が救急車で運ばれて、そのまま入院して2週間経ちました。(コロナによる)面会禁止なので、一体どうなっているかよく判りません。もちろん「容態急変」ならば連絡が来るので、そうではないということでしょう。毎日連絡があるわけではなく、何か連絡(家族の決断)が必要な時だけしか連絡がありません。実際の所、今まで3回しか連絡がありませんでした。しかし、電話がいつあるか判らないから、家を離れられない。というか、離れることもあるけれど、スマホで連絡できるようにしておかないといけない。
だから映画を見に行くことが出来ない。あるいは演劇や落語などにも行けないし、それより行きたい気も今は失せています。ニュースは見ているし、「防衛費」の大幅増、「旧統一協会」をめぐる「救済新法」などもいずれ書きたいと思いながら、今は考えをまとめる(気持ちの)余裕がありません。ワールドカップもまあ見てはいるけれど、真夜中の試合が多いこともあって、ナマで見たのは少ないです。あれこれ書くほどの関心が持てない感じ。日本代表とか、カタールの人権問題とかと関係なく。
母親の年齢が年齢だけに、当然子どもの方も年を取っているわけで、「悲しみに泣き暮れる」というわけではありません。いずれ来るべきこととして、「脳内シミュレーション」済みとも言えます。しかし、最後まで庭仕事などしていたこともあり、突然の「不在」が家の中に影を落としているのは間違いありません。いわゆる「片付けられない」人だったので、家の中が散らかり放題になっているので、それを片付けています。森保監督かよと思うような「メモ魔」で、書きかけのメモ帳がおよそ200冊ぐらいは出て来たのにはビックリ。映画や時事問題を書くことが多かったけれど、それが書けないいま、書きたいことが少なくなってる状態。
★追補①(11.30)
いちいち経過を書き込む気はないけれど、時々簡単に書いてみたいと思います。月曜日(28日)は夕方に急変して救急車を呼んだので、食べる間もないままずっと対応していました。救急車に乗ったのも人生初で、プロの技に感心しました。この日は興奮が残ってしまい、食欲も眠気も飛んでしまい、この記事を12時20分過ぎまで書いていました。まあちょっと危険なことを言われていたのだけど、結局その後の2日は持ちこたえています。でも、面会はコロナで禁止なので会えていません。ところで、昨日は家で頼んでいる「らでぃっしゅぼーや」の食材が来る日でした。母も毎週パンを頼んでいました。最後の最後までパンの方が米飯より好きな人でした。今回も4つ頼んでいて、つまり先週の段階(22日)ではそれを自分で食べる気だったわけです。僕が今日食べることにしましたが、それは「ホワイト・フランス・パン」と「バジルパン」。95歳でそういうのが好きだった。
(4つのパン)
昔からフランス映画が一番好きで、岩波ホールなども良く行ってました。家でも庭仕事を最後までしていていました。日曜日6時のEテレで、ターシャ・テューダーや大原のベニシアさんの番組を見てました。実際に出すと食べないくせに、「ハーブ・ガーデン」などに憧れていました。
母の病状について(2022-11-29 00:22:18)
私事ながら書いておくことにします。僕の母親は11月23日で95歳を迎えましたが、その翌日から体調に異変が起こりました。食べられなくて、ほぼ寝たきり。意識はあって病院には行きたくない、ただの風邪だと言い張っていました。エリザベス女王じゃないけど、同じぐらいの年なんだから、元気なようでもいつ何事が起こっても不思議はありません。そのことは家族も覚悟しています。
医者には連れて行けずに土日になってしまい、救急相談センターに連絡したけど、救急車を呼ぶほどのケースにはまだないと思うという判断でした。まあ、極端に食が細くなっていても、一応起きてきてちょっと食べるし(おかゆの一口、ゼリーの一口ぐらいだけど)、トイレも自力で行けたいたのでそういう判断になると思います。
年齢が年齢だけに、記憶力の薄れなどはあるものの、水曜日までは一緒にご飯を食べて風呂にも自分ではいれていました。今まで介護保険も使わず、(整形外科はあったものの)近年は内科にも掛かっていませんでした。先週までは庭仕事までやっていたので、驚くべき90代。僕には多分真似できない。
ところが今日の夕方5時頃になって、突然心臓が痛いと言い出しました。実は明日訪問診療をお願いしていました。(そういう病院もあるので、医者嫌いだけど救急車を呼ぶほどでもない場合に便利です。)6時半までやってる近所の病院に行こうとして、タクシーを呼んできたのですが、今度は歩けなくなってしまった。そこで救急車を呼ぶことにしました。
救急車内で少し元気になって会話も出来るようになって、救急病院で診察を受けたところ、「大動脈解離」という診断がありました。調べてみると突然起こって予知は難しい難病です。95歳だけに手術も難しく、救急病院からの転院先も見つかりません。結局、その病院でしばらく過ごすことになりました。
多くの人がそうだと思いますが、母親に関してはいろいろな思いがあります。しかし、突然食べられなくなった時から、何かあるような気がしました。そうすると、突然茂吉の歌などが脳裏に浮かんでくるのに自分でも驚いています。「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり」ですね。ということで、今後のブログ更新は停滞します。毎日のように書くことは出来ないと思います。その予告を兼ねて、現在の自分の状況を書き残す次第です。
2022年末に「母の病状について」という記事を更新して以来、1ヶ月以上。何も書いてないだけでなく、最近は毎日のように更新して、映画の記事もある。いつの間にか、書いてない間にすべて(葬儀まで)済んでしまったのかと思った方も、中にはいるのかもしれません。しかし、そうではなく、「いつ何が起こってもおかしくない」と言われてから、一ヶ月。最近病状の説明を受けたのですが、容態が安定してしまったようなのです。年齢が年齢(95歳)、病気が病気(大動脈解離)ですよ。ほとんど起こらないようなことじゃないかと思います。
今後は救急病院から別の病院への転院が必要になります。今後も急変も予想され、事前に旅館や演劇公演などを予約することはしばらく難しいと思います。しかし、当日になって決められる近場の映画館などは解禁したわけです。
それにしても、あれだけ野菜を残す人がこんなに強いなんて、やはり肉食の方が強いのか。「ゴミ屋敷」は言い過ぎだけど、膨大な過去のあれこれが残されていて、ゆるゆると整理・片付けをしています。「ゴミ屋敷2世問題」というのも、世にはあります。
★追補③(12.26)
前回書いてから2週間が経過。コロナ禍の面会禁止というのは、本当に身に応える。基本的には映画も見ず、散歩もせず、病院からの電話に自宅で待機している。一月間映画も見てないが、まあ映像は残っているから、いずれ見る機会もあるだろう。40年間夫婦で通っていた「高石ともや年忘れコンサート」もチケットを買っていたが、今年は行かなかった。残念だが、楽しめないのでやむを得ない。昔のフランス映画ジェラール・フィリップ特集の前売り券も買ってしまったのだが、一枚も使えてない。
ひたすら「待っている」という意味で、これはアレだなと思って探し出して読んでみた。ベケットの『ゴドーを待ちながら』(高橋康也訳)である。2013年に白水Uブックスから出たとき買ったまま読んでなかった。舞台でも見てないから今回が初めて。「不条理演劇」の代名詞にして最高傑作と帯に書いてあるが、まさにその通りの傑作だと思った。でも、今の時点ではあまり心に通じては来なかったけど。アメリカではマイアミで「爆笑コメディ」として初演されたが、幕間の後まで残っていたのはテネシー・ウィリアムズ、トルーマン・カポーティと役者の家族だけだったという。そこまで行くと、それも「伝説」である。
(『ゴドーを待ちながら』)
ようやく金曜日に連絡があり、点滴と輸血で少し持っていた容態も次第に衰えてきたようである。片付けを進めていると、いろんな問題、疑問がいっぱい。鍵がやたら出て来るが、どこのものか。寄りによって「貸金庫」なんて持っていて、その鍵が見つからなかったのが、昨日やっと発見した。昨日は弟夫婦に来て貰って、相談&片付けをして疲れてしまった。かくしてクリスマスも正月もない毎日が続いている。
★追補②(12.12)
母が救急車で運ばれて、そのまま入院して2週間経ちました。(コロナによる)面会禁止なので、一体どうなっているかよく判りません。もちろん「容態急変」ならば連絡が来るので、そうではないということでしょう。毎日連絡があるわけではなく、何か連絡(家族の決断)が必要な時だけしか連絡がありません。実際の所、今まで3回しか連絡がありませんでした。しかし、電話がいつあるか判らないから、家を離れられない。というか、離れることもあるけれど、スマホで連絡できるようにしておかないといけない。
だから映画を見に行くことが出来ない。あるいは演劇や落語などにも行けないし、それより行きたい気も今は失せています。ニュースは見ているし、「防衛費」の大幅増、「旧統一協会」をめぐる「救済新法」などもいずれ書きたいと思いながら、今は考えをまとめる(気持ちの)余裕がありません。ワールドカップもまあ見てはいるけれど、真夜中の試合が多いこともあって、ナマで見たのは少ないです。あれこれ書くほどの関心が持てない感じ。日本代表とか、カタールの人権問題とかと関係なく。
母親の年齢が年齢だけに、当然子どもの方も年を取っているわけで、「悲しみに泣き暮れる」というわけではありません。いずれ来るべきこととして、「脳内シミュレーション」済みとも言えます。しかし、最後まで庭仕事などしていたこともあり、突然の「不在」が家の中に影を落としているのは間違いありません。いわゆる「片付けられない」人だったので、家の中が散らかり放題になっているので、それを片付けています。森保監督かよと思うような「メモ魔」で、書きかけのメモ帳がおよそ200冊ぐらいは出て来たのにはビックリ。映画や時事問題を書くことが多かったけれど、それが書けないいま、書きたいことが少なくなってる状態。
★追補①(11.30)
いちいち経過を書き込む気はないけれど、時々簡単に書いてみたいと思います。月曜日(28日)は夕方に急変して救急車を呼んだので、食べる間もないままずっと対応していました。救急車に乗ったのも人生初で、プロの技に感心しました。この日は興奮が残ってしまい、食欲も眠気も飛んでしまい、この記事を12時20分過ぎまで書いていました。まあちょっと危険なことを言われていたのだけど、結局その後の2日は持ちこたえています。でも、面会はコロナで禁止なので会えていません。ところで、昨日は家で頼んでいる「らでぃっしゅぼーや」の食材が来る日でした。母も毎週パンを頼んでいました。最後の最後までパンの方が米飯より好きな人でした。今回も4つ頼んでいて、つまり先週の段階(22日)ではそれを自分で食べる気だったわけです。僕が今日食べることにしましたが、それは「ホワイト・フランス・パン」と「バジルパン」。95歳でそういうのが好きだった。
(4つのパン)
昔からフランス映画が一番好きで、岩波ホールなども良く行ってました。家でも庭仕事を最後までしていていました。日曜日6時のEテレで、ターシャ・テューダーや大原のベニシアさんの番組を見てました。実際に出すと食べないくせに、「ハーブ・ガーデン」などに憧れていました。
母の病状について(2022-11-29 00:22:18)
私事ながら書いておくことにします。僕の母親は11月23日で95歳を迎えましたが、その翌日から体調に異変が起こりました。食べられなくて、ほぼ寝たきり。意識はあって病院には行きたくない、ただの風邪だと言い張っていました。エリザベス女王じゃないけど、同じぐらいの年なんだから、元気なようでもいつ何事が起こっても不思議はありません。そのことは家族も覚悟しています。
医者には連れて行けずに土日になってしまい、救急相談センターに連絡したけど、救急車を呼ぶほどのケースにはまだないと思うという判断でした。まあ、極端に食が細くなっていても、一応起きてきてちょっと食べるし(おかゆの一口、ゼリーの一口ぐらいだけど)、トイレも自力で行けたいたのでそういう判断になると思います。
年齢が年齢だけに、記憶力の薄れなどはあるものの、水曜日までは一緒にご飯を食べて風呂にも自分ではいれていました。今まで介護保険も使わず、(整形外科はあったものの)近年は内科にも掛かっていませんでした。先週までは庭仕事までやっていたので、驚くべき90代。僕には多分真似できない。
ところが今日の夕方5時頃になって、突然心臓が痛いと言い出しました。実は明日訪問診療をお願いしていました。(そういう病院もあるので、医者嫌いだけど救急車を呼ぶほどでもない場合に便利です。)6時半までやってる近所の病院に行こうとして、タクシーを呼んできたのですが、今度は歩けなくなってしまった。そこで救急車を呼ぶことにしました。
救急車内で少し元気になって会話も出来るようになって、救急病院で診察を受けたところ、「大動脈解離」という診断がありました。調べてみると突然起こって予知は難しい難病です。95歳だけに手術も難しく、救急病院からの転院先も見つかりません。結局、その病院でしばらく過ごすことになりました。
多くの人がそうだと思いますが、母親に関してはいろいろな思いがあります。しかし、突然食べられなくなった時から、何かあるような気がしました。そうすると、突然茂吉の歌などが脳裏に浮かんでくるのに自分でも驚いています。「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり」ですね。ということで、今後のブログ更新は停滞します。毎日のように書くことは出来ないと思います。その予告を兼ねて、現在の自分の状況を書き残す次第です。