尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

アニー・エルノーを読んでみたー『シンプルな情熱』『嫉妬/事件』

2022年12月04日 22時50分23秒 | 〃 (外国文学)
 アニー・エルノー(Annie Ernaux、1940~)を読んでみた。それは誰だ、知りませんって言ってはダメですよ。今年のノーベル文学賞受賞者だよねと即座に反応して欲しいところだけど、僕も受賞のニュースまで名前を知らなかった。邦訳は6冊あるようで、すべて早川書房から刊行されている。ハヤカワepi文庫に『シンプルな情熱』『嫉妬/事件』の2冊が入っていて、どちらも文学書としては長くない。というか短いから、その気になれば多くの人が読めるだろう。問題はテーマというか、叙述のあり方の方だ。
(アニー・エルノー)
 ノーベル文学賞が選考委員のスキャンダルで揺れたあと、ここ数年の受賞者は男性、女性が交互に受賞している。今年は女性の番だったから、村上春樹初め男性作家の受賞は僕は全く想定していなかった。だけどフランスアニー・エルノーとは予想していなかった。しかし、前からノーベル賞候補の声は高かったらしい。特に近年は非常に力強い文章でシンプルに描かれた女性の人生が多くの支持を得ていたという。明らかにフェミニズム系の作家で、特に『事件』は衝撃的。アメリカ最高裁の妊娠中絶の権利を制限する新判断に対する、ノーベル賞選考委員会の意思表示という意味もあるのかもしれない。

 『シンプルな情熱』(Passion simple、1991、堀茂樹訳)は文庫本で本文100頁ほど、解説が60頁ほどもある。異例に解説が長い本で、日本でほとんど知られていなかったエルノーが詳しく紹介されている。西北部ノルマンディー地方の小都市でカフェ兼食品店を営む両親のもとで生まれて、家族で初めてルーアン大学を卒業した。教員資格を得て、長く教師として働いていた。結婚、出産、離婚を経て、通信教育の教員をしながら子どもを育ててきた。日本の感覚では教師の親が地方の店主でも特に不思議ではないが、フランスの感覚では「低階層から初めて脱出した」ということになるらしい。
(『シンプルな情熱』)
 『シンプルな情熱』は主人公がある「東欧の外交官」と性的な関係を持った記録である。どうして知り合ったか、全く描かれない。そして、すでに別れている。帰国してしまえば終わり。そもそも相手には妻があり、自由に会える関係ではない。「愛を育む」という要素はほぼなくて、ひたすらセックスの関係だけ。だから一種のスキャンダルのように受け取って否定した書評も多かったというが、一方ではここには自分の声が書かれていると感じた多くの女性読者がいたという。

 これは「自伝」的な作品だという。テキスト自体は全くのフィクションと考えても何の問題もない。だがインタビュー等で事実に基づくと認めているらしい。簡潔そのもの文章(日本語訳もキビキビした名文)で、ただ関係に執着する自分の心を正直に綴ってゆく。それは「ミニマリズム」と呼ばれるものを思わせる。人間同士が持続的な性的関係を持つときには、普通もっといろんなエピソードがあるだろう。それらをバッサリと「断捨離」する文章の凄みが読むものに伝わる。主人公は独身だが、相手は妻がいる。また「東欧」という政治的に微妙な関係にある国の外交官が相手だが、そこらの機微は語られない。
(映画『シンプルな情熱』)
 2020年にレバノン出身の女性監督ダニエル・アービッドにより映画化され、日本でも公開された。僕は見てないのでなんとも言えないけど、ホームページを見ると精神科医や前夫など原作には出て来ない人物も出ているらしい。主人公は レティシア・ドッシュという人で、相手の外交官にはセルゲイ・ポルーニンが演じている。ウクライナ出身のダンサーで、ドキュメンタリー映画『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン世界一優雅な野獣』が日本でもヒットした。これは小説の主人公の国籍とは無関係のようだ。
(『嫉妬/事件』)
 『シンプルな情熱』は大した作品だと思ったし、ある程度評価軸を理解出来る。『嫉妬』(L'Occupation、2002、堀茂樹訳)、さらに『事件』(L'Événement、2000、菊地よしみ訳)になると、僕に評価出来るんだろうかと疑問を持った。もちろん翻訳は自在で、文章自体に理解出来ないところはない。だが、ひたすら別れた男の新しい相手を知ることに執着する主人公をどう理解すれば良いのか。そういう「妄執」が人生には存在することは理解出来るし、自己をじっくり観察する精神には感嘆する。だが、どこか納得して読み終われない。
 
 1963年にまだフランスで妊娠中絶が違法だった時代の中絶体験を書き記したのが、『事件』である。これこそ壮絶な作品という以外の言葉がなく、全く僕があれこれ言う気になれない。基本的に作者に起こった事実を書いている。文章も抑制されている。妊娠するんだから相手がいるわけで、作中に出ては来るけど、きっかけなどは語られない。日本でも世界中のどこでも「妊娠」は重大問題だが、それ以上にここでは「中絶手術が違法」という問題が大きくのしかかる。それなら産めばいいじゃないか、それが嫌ならセックスしなけりゃいいんだと言ってしまえば身も蓋もない。そう思う人は読まない方がいい。
(映画『あのこと』)
 解説でフランスの中絶合法化に至る経緯が細かく語られている。1971年に有名な「343人のマニフェスト」が発表された。これは作家シモーヌ・ド・ボーヴォワールが起草したもので、私は違法な中絶手術を受けたと認めたものである。そこには作家マググリット・デュラスフランソワーズ・サガン、女優ジャンヌ・モローカトリーヌ・ドヌーヴなど世界的な著名人が含まれていた。1974年に合法化される経過は解説及びウィキペディアの「ヴェイユ法」を参照。家父長制的な社会システムに対する「女性の権利」の問題だということがよく理解出来る。

 それにしても主人公の体験は壮絶なもので、安易に語ることは許されない。読むべき価値があるかと言えば、文学的にも社会的にも間違いなく傑作だ。これが傑作ではないと考える人は文学が判らない人だろう。イランで、あるいは中国で自由を求めるのと同じような苦悩がフランスでは70年代まで続いた。アメリカでは逆流がある。そういう政治的な問題を抜きにしても、恐ろしくリアルで凄い。いま映画化された『あのこと』が公開中。ヴェネツィア映画祭金獅子賞を受賞している。そのうち見たいと思う。
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