尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

小泉悠『ウクライナ戦争』、年末必読の書き下ろし新書

2022年12月17日 22時39分46秒 |  〃  (国際問題)
 2022年も残り少なくなってきたが、今年最大のニュースは間違いなく「ウクライナ戦争」だ。世界のあり方を大きく変えてしまい、その影響は今後も長く続くだろう。年末の日本で起こった「防衛政策の歴史的大転換」もその一つの表れと言える。その問題はいずれじっくり書きたいが、取りあえず「ウクライナ戦争はなぜ起こり、どのように推移してきたのか」を振り返っておくことは大切だ。そのために役立つ本が年末に出された。小泉悠ウクライナ戦争』(ちくま新書)である。
(『ウクライナ戦争』)
 この本の帯には「戦場でいま何が起きているのか?」「核兵器使用の可能性は?」「いつ、どうしたら終わるのか?」「全貌を読み解く待望の書き下ろし」と出ている。早速読んで、とても役に立つ本だった。先の問いを中心に、今までの経過をていねいに追っていく。そのことではっきりと見えてくることがある。僕はこの戦争が起こるまで、小泉悠という人を知らなかったが、2021年5月に出た『現代ロシアの軍事戦略』(ちくま新書)を読んで、ここで紹介した。(「小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』ープーチン政権の危険を暴く」)その後、文春新書から9月に出た『ウクライナ戦争の200日』も読んだので、一年間で3冊も読んでしまった。自分のほとんど知らなかったロシアの軍事思想を細かく研究している人がいるのに驚いた。
(『現代ロシアの軍事戦略』)(『ウクライナ戦争の200日』)
 12月上旬刊行ということで、脱稿は9月だと出ている。だから1年間すべてを書いているわけではないけれど、晩秋からは少し情勢が停滞している感じがある。ロシアのミサイル攻撃は続いているし、ウクライナ側と目されるロシア軍事基地へのドローン攻撃もあった。だが、恐らくは季節的要因(秋以後に湿地が広がり戦車の進軍などが難しいと言われる)や戦備上の要因などで大きな変化はないようだ。それに一番重要なのは、開戦へ至る経緯と直後の問題、およびプーチン大統領が述べる戦争の原因が正しいのかという問題である。それを具体的な資料に基づいて検討している。年末に是非読んでおくべき本だ。
(小泉悠氏)
 2014年の「マイダン革命」(親ロ政権の崩壊)後のクリミア半島併合ドンバス侵攻を、著者は「第一次ウクライナ戦争」と呼ぶ。しかし、本書ではそれは詳しくは触れられない。この本では2021年春の軍事的危機から論じられている。この時点でアメリカでバイデン政権が誕生し、あからさまにロシア寄りだったトランプ大統領が退陣する。ウクライナ国内でも親ロ派政治家が活動し始めて、ゼレンスキー政権には焦燥の色が見え始めた。ゼレンスキーは親欧米派のポロシェンコ大統領のもとで対ロ交渉が進まないことを批判して大統領に当選した。だから当初はプーチン政権と交渉しようとするが、プーチンに相手にされない。

 この開戦前夜に至る分析こそ、他書にはない貴重な部分だと思う。日本では結構「ロシア派」が存在している。もともと「大国主義的価値観」を持つ人々(森喜朗元首相など)、自国の過去の過ちをきちんと清算出来ない人々がロシアの侵略戦争に宥和的なのはある意味当然である。しかし、何故かヴェトナム戦争では小国の抵抗を熱く支援していた人、「左派・リベラル」と呼ばれる層の中にも、「どっちもどっち」とか「すぐに停戦を」とか「侵略責任」をあいまいにする主張がある。そういう人たちはゼレンスキー政権の対応がロシアの侵攻をもたらしたかの主張をするのだが、実際はプーチンの方が着々と侵攻作戦を計画していたことは明らかだ。

 それでも何故「2月24日」だったかは、現時点では判らないとする。遠い将来ロシア側の資料が公開されるまでは確定できないが、プーチンの頭の中で起こったことである。当初は明らかに「電撃作戦」でキーウを陥落させ、ゼレンスキー政権を崩壊させることを考えていた。そのためにウクライナ国内で「内通者」を確保していたという。それらの「スリーパー」は実際には全く役に立たなかった。軍事施設ではない市民の居住地域にもミサイルを撃ち込むロシアに対する怒りが全土で燃えあがる中で、とてもゼレンスキー政権に取って代わるような動きは出来なかっただろう。(小泉氏はそもそも「内通者」グループは、ロシアから金を巻き上げるペーパー・カンパニーだったのではないかと推察している。)

 戦争はロシアの攻勢から、次第に膠着状態に陥り、やがてウクライナ側の反撃も始まった。反撃をもたらしたのは欧米の武器支援が大きい。小型ミサイルの「ジャヴェリン」を抱く聖女が描かれて大ブームになったのは、その典型例である。ただ、それだけではなくロシアの戦争指導の問題も指摘している。プーチンの「マイクロ・マネジメント」がロシア軍を悩ませているのではという指摘もある。つまり、何事もプーチンの決定がないと進まない、プーチンが現場に口を出しすぎるというか、誰もプーチンに反対できないことから「上ばかり気にする」状態になっているという。
(アパートに描かれた「聖ジャヴェリン」)
 今後どうなるかは予測出来ないが、ロシアは「まだ本気を出してないだけ」ということも言える。だが大々的な動員を掛けて大軍を送り込むことは、現在ではヴェトナム戦争のアメリカ軍のように「反戦運動」として跳ね返る可能性もある。核兵器を使用するとか、大規模な都市空爆をするというのも、リスクが大きすぎると著者は考えている。僕も同じだが、それを言えばこのような大規模侵攻作戦も難しいと著者も考えていた。結局、プーチンの頭の中をのぞけない以上、誰も確定的なことは言えない。

 最後に未だに「マイダン革命はアメリカによるクーデタだった」とか「ウクライナ政府はネオ・ナチだった」「ドンバスではウクライナ軍による親ロ派住民の虐殺が起こっていた」など、極度に偏ったロシア(というかプーチン大統領)の主張を日本でも主張する人は、本書の最後にある「プーチンの主張を検証する」を熟読玩味するべきだろう。本書の中にはロシアの軍事思想など難しい部分もある。しかし、おおむね判りやすく、公平な叙述になっていると思う。ウクライナ、あるいはゼレンスキー大統領側の問題点も指摘している。だが本質はロシアの侵略戦争なのである。
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