尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

田中甲と村越祐民ー二人の市川市長をめぐって

2022年12月15日 22時37分56秒 | 政治
 2022年12月4日に東京都品川区長選の再選挙が行われた。10月2日の最初の選挙でいずれの候補者も法定得票(有効得票総数の25%)を獲得できなかったのである。そういう場合、日本の選挙法では「再選挙」が行われることになっている。これは「決選投票」(一度目の上位2人による選挙)ではないので、1回目に出た全ての候補者だけでなく、新たな候補者も含めて誰もが立候補出来る。これは不自然な制度だと思うけど、今はそのことを論じたいわけではないので、これ以上触れない。品川区長選では「再々選挙」になるのではとも言われたが、1回目でトップだった候補に票が集まって当選となった。

 今まで「再選挙」は7回あって、最初が1979年の千葉県富津市長選。さすがに昔のことで覚えていない。僕が覚えているのは、2003年の札幌市長選2017年、18年の千葉県市川市長選の2回である。市川と同じ2017年に鹿児島県(奄美大島)の西之表市長選も再選挙になっているが、そっちは全く覚えていない。何で市川を覚えているかというと、昔住んでいたからである。僕は人生の大部分を東京都足立区に住んでいるが、1985年から91年にかけて千葉県市川市の一軒家に住んでいたのである。

 その市川市長選の再選挙(2018年4月22日)で当選したのは、村越佑民(むらこし・ひろたみ)だった。次点は田中甲(たなか・こう)。そして4年後の市長選(2022年3月27日)では現職の村越が落選し、今度は田中が当選した。村越は市長時代にいろいろと「話題」になったので、覚えている人もいるかもしれない。それは後で触れるが、結局その問題が「命取り」になったようである。全国的には、この2人の名を知っている人は少ないと思う。実はどちらもかつて民主党衆議院議員だったのである。そして、僕はこの二人に関しては、小さな縁があってずっと注目してきた。市長選をめぐって、そこには深い人間ドラマがあった。
(田中甲現市川市長のポスター)
 まず、現市川市長の田中甲(1957~)から書きたい。画像を検索したら、今回の市長選のポスターが出て来た。「こう!と決めたら田中甲」とある。懐かしいな、まだこのキャッチフレーズでやってるんだ。この言葉が書かれた選挙ハガキが僕の家に送られてきたのは、1987年のはずだ。その年、田中甲は新人として市川市議会議員選挙に立候補して当選した。まだ30歳という若手だった。なんで僕の所にハガキが来たのかと言えば、大学が同窓だということ以外考えられない。学年は一つ違うようだが、ほぼ同年代である。同窓会名簿を見て、市川在住者に軒並み送ったんだろう。自民党所属だったから、投票はしてないはず。

 その新人議員はあっという間に「出世」していった。まず、1990年に任期途中ながら、県議選補欠選挙に出馬して当選。続いて、1993年の衆院選に、またも任期途中で出馬。この時は自民党を離党して「新党さきがけ」から出て、旧千葉4区がこの時から定数が5人に増員されていたおかげで、最下位の5位で当選した。同じ選挙には日本新党から長浜博行(現参議院副議長、立憲民主党)が当選している。僕はその時はもう市川市民ではなかったので、入れるも入れないもないのだが、市議から県議、国会へとホップ、ステップ、ジャンプで転身した田中甲という人には注目していた。

 その後、1996年の「民主党」結成に参加し、小選挙区(千葉県第5区)で千葉県唯一の民主党当選者となった。2000年にも当選したが、2001年に労働組合の支援を受ける民主党に反発して、離党の動きを見せた。現在の立憲民主党、国民民主党を見ても、労働組合と政党の関係は昔から揉めてきたのである。民主党は旧社会党、旧民社党、保守系グループが合体して発足したから、複雑な内情があったのだろう。しかし、僕は「今は自重して、まずは政権交代を目指すべき」と考え、まだ使い始めて間もなかったインターネットでメールした覚えがある。だが結局田中は離党して、「政党・尊命(たける)」という政党を立ち上げた。

 2003年の衆院選には、現職田中がその一人政党から出たが、自民と民主はもっと若い候補を立てた。それが自民党の薗浦健太郎(31歳)と民主党の村越祐民(29)だった。田中も立つから自民有利かと予想していたら、村越が1万2千票差で薗浦に勝ち、田中は4万票余りで第3位で落選した。以後、村越、薗浦が交互に当選することになる。05年は薗浦、09年は村越、12年は薗浦という具合である。そして、お互いに落選したときは比例区でも当選出来なかった。9回の選挙すべて、比例当選者がいない珍しい選挙区である。なお、12年以後の総選挙はすべて薗浦が勝って4連勝中だが、現在、政治資金の過小報告疑惑で東京地検の捜査を受けている。
(村越祐民のポスター)
 村越は青山学院大卒業後、外資系企業に1年勤めて早稲田大学大学院に入った。在学中に民主党の公募に応じて、千葉県議選に立候補。半年後に田中離党後の衆院議員候補に選ばれ、29歳で国会議員となった。結局、03年と09年の2回しか当選しなかったのだが、それでも僕が村越の名をよく記憶しているのは、死刑廃止議連の事務局長をしていたからである。死刑廃止を目指す議員連盟は、長く亀井静香会長、保坂展人事務局長で活動していたが、保坂が落選したため村越に代わったのである。僕は死刑廃止の集会で何回か村越のあいさつを聞いたが、余り一般向けしないテーマに取り組む姿勢に好感を覚えていた。

 この間、田中甲は2009年には「みんなの党」から、12年には「日本維新の会」から比例単独で出たが、いずれも落選した。以後は国政選挙は出ていないようである。村越は12年に落選後、14年も出馬したが落選し、17年は民進党から出馬を予定していたものの「希望の党」をめぐるゴタゴタで公認が取れず出馬しなかった。この二人が再び相まみえたのが、2017年11月26日に投開票された市川市長選だった。その時は野党統一の村越が2万8109票で首位に立ったものの、得票率23.61%で法定得票に達しなかった。2位は自民推薦の坂下茂で2万7725票、3位が田中で2万6128票、4位が元市議の高橋亮平2万0338票、5位が元県議の小泉文人の1万6778票という僅差だった。1万2千票ほどの間に5人の候補がいる稀に見る大接戦である。

 そこですぐに再選挙になるはずが、選挙の異議申立てがなされたため選挙が出来なかった。その間に現職の大久保市長が12月4日で任期満了。再選挙は4月22日投開票となった。市長が4ヶ月以上も不在だったのである。再選挙には村越、田中、坂下の3人が立候補、結局は1回目1位の村越が4万6141票と2万近く伸ばして当選し、田中甲が4万2931票で次点になった。再々選挙になると、首長不在が長くなる上に選挙予算がかかる。再選挙では前回1位候補に票が集中して、再々選挙を避けようという有権者の意向が働くようである。それを考えると、法定得票の基準を下げて「20%で当選」などとする変更も考えるべきではないか。

 さて、それで終われば良かったのだが、この村越市政が非常に評判が悪かった。いや、子育て政策など一生懸命やっていたと評価する声もあったようだが、一般的には失敗と受けとめられた。2019年7月、公用車にテスラの電気自動車を選んだ。地球温暖化を考慮したというが、それまでの公用車に比べてリース代が月14万円も高くなったという。国産の電気自動車でも良かったのではと批判された。さらに2021年4月に市長室のトイレにシャワーを取り付けていたことが判明した。すでに市役所には3つのシャワーがあり、工事費が360万円したとか。それ自体の問題もあるが、僕はそれ以上に「説明責任」がうまく果たせなかったことが大きいと思う。市長が専断して議会に批判されることになった。
(当時使われたテスラ)
 ということで、2022年3月27日に行われた市川市長選では現職の村越市長が惨敗した。もともとの支持層である野党系も別の女性候補を立て、田中甲は今度は自民党に復党申請して保守系をまとめた。その結果、田中甲が6万5567票で完勝。次点は守屋貴子の4万6253票で、村越は1万5159票しか取れず、有効投票の9.9%なので供託金没収になってしまった。田中甲は2001年に民主党を離党して以来、出る選挙すべてで負けてきたが、22年ぶりに選挙で当選したのである。かつての若手議員も今や65歳。このように田中甲と村越祐民という二人の政治家は、不思議な運命で絡み合ってきた。全国的には知られていないかもしれないが、どこか人生上の教訓のようなものもあるかもしれない。
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