尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

村田兆治、普久原恒勇、渡辺徹他ー2022年11月の訃報①

2022年12月06日 22時13分03秒 | 追悼
 2022年11月の訃報特集。映画監督の大森一樹崔洋一を別に書いたので、他の日本人の訃報を1回目に書きたい。最初に元プロ野球投手の村田兆治。11日に自宅の火災で亡くなったというニュースに驚いた。72歳。「マサカリ投法」と呼ばれた独自の投球フォームで知られ、通算勝利数217勝をあげた。1967年にドラフト1位で、東京オリオンズ(現ロッテ)に入団。最優秀防御率3回(75、76、89)、最多勝利1回(1989)、最多奪三振4回などのタイトルを取った。もっとも通算勝利数は17位で、最多の金田正一の400勝どころか、同僚だった小山正明の320勝(3位)などには全く及ばない。
(マサカリ投法)
 それは1982年に肘を痛めて活躍出来ない年が続いたからである。82年4勝、83、84年は0勝だったが、当時の日本人投手には珍しくアメリカに渡って「トミー・ジョン手術」を受け、85年になって17勝5敗という鮮烈な復帰を成し遂げた。(カムバック賞受賞。)それ以後は日曜日ごとに登板し、「サンデー兆治」と呼ばれ、1990年まで22年間に渡って選手を続けた。なお、148暴投というプロ野球記録を持っている。引退後は子どもたちへの野球教室を続けていた。特に試合の機会が少ない離島の子どもたちのために「離島甲子園」を開催したことで知られる。
(晩年の村田兆治)
 猛練習、「人生は先発完投」というモットーで知られ、無骨な男として有名だった。1990年には「昭和生まれの明治男」が新語・流行語大賞の特別部門で妻とともに表彰されたぐらいだ。それだけに訃報のちょっと前に、飛行機に乗る際に暴行容疑で逮捕されたというニュースにはビックリした。新聞切り抜き用のナイフを持っていたと語っていたが、野球教室や講演に急いでいたんだろう。自分が曲がったことをするはずがない、俺のことを知らないかと思ったりもしたと思うが、それは通じなかったということか。火事で亡くなるとは痛ましいことだった。

 沖縄を代表する作曲家、普久原恒勇(ふくはら・つねお)が11月1日に死去、89歳。1965年に作曲した「芭蕉布」は「民衆の琉球国歌」などと呼ばれるほど有名になった。大阪で生まれ、レコード会社を経営していた伯父の養子になった。実父母の住む沖縄に戻って沖縄戦を体験し、戦後大阪に戻って西洋音楽を学んだ。60年代以降、多くの曲を作曲して全国的に親しまれた。「海の青さに 空の青」で始まる「芭蕉布」は多くの歌手にカバーされている。芭蕉布を戦後に復興させた平良敏子も9月13日に亡くなった。
(普久原恒勇)
 俳優の渡辺徹が11月28日に死去、61歳。1980年に文学座演劇研究所に入ったが、81年にテレビ「太陽にほえろ!」に出たことで知られるようになった。その後も大河ドラマ(『秀吉』の前田利家、『徳川慶喜』の西郷隆盛など)やバラエティ馬組にも出演し人気者となった。1987年には榊原郁恵と結婚して、明るいおしどり夫婦として知られた。最後まで多くの舞台に出ていた演劇人で、2001年菊田一夫演劇賞受賞。文学座の他、多くの商業演劇で活躍していた。30歳の時に糖尿病を発症し、以後も体重管理など大変だったようである。死因は敗血症だった。
(渡辺徹)
 俳優の白木みのるが2020年12月16日に亡くなっていたことが明らかになった。86歳没。1960年代のテレビ番組『てなもんや三度笠』で、藤田まこと、財津一郎らと掛け合いをして人気者になった。身長140㎝と非常に背が低かったので、子役に見えたけど実は大人で「そういう病気」みたいなものだと子どもながらに理解していた。吉本新喜劇などでも活躍していたというが、東京のテレビにはほとんど出なくなっていたので、訃報を聞いて思いだした。
(白木みのる)
 ノンフィクション作家のドウス昌代が11月18日に死去。1977年に『東京ローズ』を発表してデビュー。太平洋戦争下に米軍向け宣伝放送に携わった日系2世の女性を描き大きな話題となった。他に『ブリエアの解放者たち』、『日本の陰謀 ハワイ・オアフ島大ストライキの光と影』(大宅賞)や『イサム・ノグチ 宿命の越境者』(講談社ノンフィクション賞)など多数。夫のスタンフォード大名誉教授ピーター・ドウス(歴史学)もちょっと前の11月5日に亡くなっている。
(ドウス昌代)
 福音館書店の編集者(後、社長、会長)として多くの絵本、児童文学を送り出した松居直(まつい・ただし)が11月2日死去、96歳。絵の素養を生かして、いわさきちひろ、田島征三、安野光雅らを送り出すとともに、朝倉摂、丸木俊、堀文子らを児童書に起用した。また、寺村輝夫「ぼくは王さま」や中川里枝「ぐりとぐら」など多くのロングセラーを生み出した。自らも絵本を書くとともに、絵本に関する多くの研究書を残している。
(松居直)
 経済学者の小宮隆太郎が10月31日に死去、93歳。戦後を代表する近代経済学者で、東大で多くの教え子を持つと同時に、各種審議会などを通して政府の経済政策にも大きな影響を与えた。2002年に文化勲章。50年代にアメリカに留学し、ハーバードでレオンチェフの下で産業連関分析などを学んだ。スタンフォード大各員教授を経て、1969年から東大経済学部教授、定年後は青山学院教授を勤めた。日本の高度成長の基本には、異例に高い資本蓄積率と個人貯蓄率があったと説明した。1073年の「狂乱物価」や80年代の日米貿易摩擦などにも独自の主張を行っている。
(小宮隆太郎)
 外交評論家の加瀬英明が11月15日に死去、85歳。外交官加瀬俊一(初代国連大使)の子で、若い頃から保守政治家と親しく交わっていた。アメリカ留学後にブリタニカ百科事典の編集長を経て、言論活動を展開した。ものすごく多くの著書、翻訳があるが、当初の昭和天皇秘話みたいな路線から、次第に韓国批判や「ユダヤ人の知恵」的な本が多くなった印象がある。記録映画「主戦場」で右翼の首魁のように印象付けられていたが、多くの右派系団体に担がれていただけということだと思う。
(加瀬英明)

松原千明、10月8日死去、64歳。俳優。カネボウ化粧品のキャンペーンガールに選ばれ80年代にタレントとして活躍した。石田純一と結婚し、長女がタレントのすみれ。
松本一起(いっき)、4日死去、73歳。作詞家。中森明菜「ジプシー・クイーン」など80年代アイドル全盛期を支えた。
山本進、4日死去、91歳。芸能史研究家。6代目三遊亭圓生、8代目林家正蔵らの聞き書きなど落語関係の本が多い。
早野透、5日死去、77歳。ジャーナリスト。朝日新聞記者として、田中角栄の番記者を務め、田中派を初めとする自民党政治家に関する多くの本を残した。『田中角栄と「戦後」の精神』、『田中角栄 戦後日本の悲しき自画像』など。
村上芳正、6日死去、画家、100歳。三島由紀夫、澁澤龍彦、沼正一『家畜人ヤフー』などの装飾を手掛けた。
斑目春樹、22日死去、74歳。福島第一原発事故当時の原子力安全委員会委員長だった。
佐川一政、24日死去、73歳。「パリ人肉事件」犯人で、不起訴後に帰国し『霧の中』などの著作を執筆した。
中村邦夫、28日死去、83歳。元松下電器社長。「ナショナル」ブランドを廃止し、「家族的経営」の社風に抗して希望退職を断行した。その結果、落ち込んでいた業績が「V字回復」して注目された。
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