国立映画アーカイブで「1980年代日本映画ー試行と新生」という特集をやっていた。今度の緊急事態宣言で突然終わってしまったが、ちょうど最後の24日に「魔女の宅急便」(1989)の上映があって、31年ぶりに見直した。映画アーカイブはコロナ禍により当日券販売がなくなった。チケットぴあで前売券を買うのが面倒だけど、見直したかったから買っておいたのである。
(「魔女の宅急便」)
宮崎駿監督のアニメは、2020年の緊急事態宣言明けにスタジオジブリ4本がリバイバルされたときに宮崎駿作品を3本見て感想を書いた。それは以下の記事である。
「風の谷のナウシカ」の予言性(2020.7.4)
「もののけ姫」の反人間主義(2020.7.5)
「千と千尋の神隠し」のアニミズム(2020.7.6)
僕はテレビやDVDで見直す気はないので、他に見直した宮崎アニメは「天空の城ラピュタ」だけ。数年前に映画アーカイブ(当時は近代美術館フィルムセンター)の追悼特集で上映された時がある。だから「となりのトトロ」も「紅の豚」も公開当時に見たまま。ジブリ作品は名画座に下りてこないし、「午前10時の映画祭」などでもやらない。日本テレビが製作に参加しているからテレビでは時々ジブリ作品をやっている。でも若い世代にも大画面でジブリを見る体験を与えて欲しいと思う。なんで高畑勲監督追悼上映をやってくれないのだろうか。
「魔女の宅急便」は今見ても本当に素晴らしい作品だった。何より躍動する画面に気持ちが乗り移る。映画全体に爽やかな風が吹きすぎてゆくような気がして、心が晴れ晴れする。こういう映画をすべての若い世代に見て欲しいと思った。プロットやテーマも素晴らしいが、何よりも画面がきめ細かくて主人公のキキの髪の毛が常に揺れている。この丁寧な作りに感動してしまう。
ウィキペディアで宮崎駿作品を調べると、「風の谷のナウシカ」から「もののけ姫」まで「上映データ」という欄があって、作画枚数が記載されている。そこで各作品の1分間あたりの作画数を比較してみたい。
・「風の谷のナウシカ」(1984) 116分 5万6078枚 1分あたり483.4枚
・「天空の城ラピュタ」(1986) 124分 6万9262枚 1分あたり558.6枚
・「となりのトトロ」(1988) 86分 4万8743枚 1分あたり566.8枚
・「魔女の宅急便」(1989) 103分 6万7317枚 1分あたり653.6枚
・「紅の豚」(1992) 93分 5万8443枚 1分あたり628.4枚
・「もののけ姫」(1997) 133分 14万4043枚 1分あたり1083.0枚
「もののけ姫」がいかに突出したていたか判るが、それ以前では「魔女の宅急便」が1分あたりの画数が一番多い。自らの身体で空を飛べてしまうという設定の「魔女」だから、作画数も多くしなければ不自然な動きになる。そこで「ナウシカ「ラピュタ」「トトロ」を越える画数になったんだろうし、作品の信用が増してきて予算的にも可能になったのだろう。(以上の6作品は、いずれもキネマ旬報ベストテンに入選していて、アニメ作品として稀有の高評価だった。)この作画数の多さは画面を見ていれば一目瞭然で、映画の躍動感に惚れ惚れする。
(トンボを助けに行くキキ)
細かいプロットはほとんど忘れていて、やはり30年は長いと思った。簡単に調べられるのでここでは細かく書かないが、「13歳で自立しなければならない」という「魔女」の家に生まれたキキの思春期の揺らぎを描いている。「飛べる」のは「血筋」(遺伝)の問題で、キキは幼い頃から練習して飛べるようになった。この幼い時代の「全能感」が自立の過程で一度失われる。「飛べなくなる」し、いつも一緒で言葉が通じた黒猫ジジの言葉も判らなくなる。
しかし、飛行船の遭難事故で友だちのトンボが危機にあることを知って、自分が助けに行くのだと街角の清掃人が持つデッキブラシを借りて飛ぼうとする。そこで「飛ぶ能力」を取り戻すのである。これは幼い日々の「魔法」が解けて自信喪失した経験を持つすべての人に届く設定だ。あるとき「あなたが必要だ」という時が来て、「今でしょ」と後押ししてくれる。そこで揺れ動きながらも、何とか自分の力を取り戻していくわけである。これはなんて素晴らしい「飛ぶ教室」だろう。
「飛ぶ」という言葉は、「勇気を持って生きていく」とでもいった感じで使っている。昔から「清水の舞台から飛び降りる」とか「見る前に飛べ」という言葉があった。昔エリカ・ジョング「飛ぶのが怖い」という小説がベストセラーになったことがある。それは青春期の多く人に起こることだろう。「飛ぶ教室」はドイツの作家ケストナーの児童文学で、その劇中劇の題名だが、ここではもっと広い意味で使いたい。多くの青春ドラマは思春期の危機を乗り越えて「飛ぶ」までの波瀾万丈を描く。ただし多くの場合、「飛ぶ」は比喩だけどキキは魔女だから本当に飛べる。
(キキが住むコリコの町並み)
もう一つ魅せられてしまうのは、キキが住むコリコの町の魅力。先頃なくなった安野光雅の「旅の絵本」シリーズでもヨーロッパの町並みは美しく描かれて僕らを魅了した。そんなヨーロッパの美しさはどこから来るのか。広告や電柱がなく、屋根の色が美しい。モデルはあるのかというと、そういうサイトがたくさんあってモデルの街へ行ってきたという写真は多い。特にスウェーデンのストックホルムやゴットランド島が挙げられることが多い。またエストニアなども挙げられる。ここではバルト海最大の島ゴットランド島の写真を載せておく。最大都市ヴィスビューは世界遺産に指定されている。タルコフスキーの「サクリファイス」の舞台でもある。
(ゴットランド島)
原作者の角野栄子が国際アンデルセン賞を受賞し、出身の江戸川区に記念館が作られることになっている。原作は読んでないのだが、今度読んでみたいと思った。この映画は今後も生命を失わないと思う。是非再び一般上映されることを期待したい。
(「魔女の宅急便」)
宮崎駿監督のアニメは、2020年の緊急事態宣言明けにスタジオジブリ4本がリバイバルされたときに宮崎駿作品を3本見て感想を書いた。それは以下の記事である。
「風の谷のナウシカ」の予言性(2020.7.4)
「もののけ姫」の反人間主義(2020.7.5)
「千と千尋の神隠し」のアニミズム(2020.7.6)
僕はテレビやDVDで見直す気はないので、他に見直した宮崎アニメは「天空の城ラピュタ」だけ。数年前に映画アーカイブ(当時は近代美術館フィルムセンター)の追悼特集で上映された時がある。だから「となりのトトロ」も「紅の豚」も公開当時に見たまま。ジブリ作品は名画座に下りてこないし、「午前10時の映画祭」などでもやらない。日本テレビが製作に参加しているからテレビでは時々ジブリ作品をやっている。でも若い世代にも大画面でジブリを見る体験を与えて欲しいと思う。なんで高畑勲監督追悼上映をやってくれないのだろうか。
「魔女の宅急便」は今見ても本当に素晴らしい作品だった。何より躍動する画面に気持ちが乗り移る。映画全体に爽やかな風が吹きすぎてゆくような気がして、心が晴れ晴れする。こういう映画をすべての若い世代に見て欲しいと思った。プロットやテーマも素晴らしいが、何よりも画面がきめ細かくて主人公のキキの髪の毛が常に揺れている。この丁寧な作りに感動してしまう。
ウィキペディアで宮崎駿作品を調べると、「風の谷のナウシカ」から「もののけ姫」まで「上映データ」という欄があって、作画枚数が記載されている。そこで各作品の1分間あたりの作画数を比較してみたい。
・「風の谷のナウシカ」(1984) 116分 5万6078枚 1分あたり483.4枚
・「天空の城ラピュタ」(1986) 124分 6万9262枚 1分あたり558.6枚
・「となりのトトロ」(1988) 86分 4万8743枚 1分あたり566.8枚
・「魔女の宅急便」(1989) 103分 6万7317枚 1分あたり653.6枚
・「紅の豚」(1992) 93分 5万8443枚 1分あたり628.4枚
・「もののけ姫」(1997) 133分 14万4043枚 1分あたり1083.0枚
「もののけ姫」がいかに突出したていたか判るが、それ以前では「魔女の宅急便」が1分あたりの画数が一番多い。自らの身体で空を飛べてしまうという設定の「魔女」だから、作画数も多くしなければ不自然な動きになる。そこで「ナウシカ「ラピュタ」「トトロ」を越える画数になったんだろうし、作品の信用が増してきて予算的にも可能になったのだろう。(以上の6作品は、いずれもキネマ旬報ベストテンに入選していて、アニメ作品として稀有の高評価だった。)この作画数の多さは画面を見ていれば一目瞭然で、映画の躍動感に惚れ惚れする。
(トンボを助けに行くキキ)
細かいプロットはほとんど忘れていて、やはり30年は長いと思った。簡単に調べられるのでここでは細かく書かないが、「13歳で自立しなければならない」という「魔女」の家に生まれたキキの思春期の揺らぎを描いている。「飛べる」のは「血筋」(遺伝)の問題で、キキは幼い頃から練習して飛べるようになった。この幼い時代の「全能感」が自立の過程で一度失われる。「飛べなくなる」し、いつも一緒で言葉が通じた黒猫ジジの言葉も判らなくなる。
しかし、飛行船の遭難事故で友だちのトンボが危機にあることを知って、自分が助けに行くのだと街角の清掃人が持つデッキブラシを借りて飛ぼうとする。そこで「飛ぶ能力」を取り戻すのである。これは幼い日々の「魔法」が解けて自信喪失した経験を持つすべての人に届く設定だ。あるとき「あなたが必要だ」という時が来て、「今でしょ」と後押ししてくれる。そこで揺れ動きながらも、何とか自分の力を取り戻していくわけである。これはなんて素晴らしい「飛ぶ教室」だろう。
「飛ぶ」という言葉は、「勇気を持って生きていく」とでもいった感じで使っている。昔から「清水の舞台から飛び降りる」とか「見る前に飛べ」という言葉があった。昔エリカ・ジョング「飛ぶのが怖い」という小説がベストセラーになったことがある。それは青春期の多く人に起こることだろう。「飛ぶ教室」はドイツの作家ケストナーの児童文学で、その劇中劇の題名だが、ここではもっと広い意味で使いたい。多くの青春ドラマは思春期の危機を乗り越えて「飛ぶ」までの波瀾万丈を描く。ただし多くの場合、「飛ぶ」は比喩だけどキキは魔女だから本当に飛べる。
(キキが住むコリコの町並み)
もう一つ魅せられてしまうのは、キキが住むコリコの町の魅力。先頃なくなった安野光雅の「旅の絵本」シリーズでもヨーロッパの町並みは美しく描かれて僕らを魅了した。そんなヨーロッパの美しさはどこから来るのか。広告や電柱がなく、屋根の色が美しい。モデルはあるのかというと、そういうサイトがたくさんあってモデルの街へ行ってきたという写真は多い。特にスウェーデンのストックホルムやゴットランド島が挙げられることが多い。またエストニアなども挙げられる。ここではバルト海最大の島ゴットランド島の写真を載せておく。最大都市ヴィスビューは世界遺産に指定されている。タルコフスキーの「サクリファイス」の舞台でもある。
(ゴットランド島)
原作者の角野栄子が国際アンデルセン賞を受賞し、出身の江戸川区に記念館が作られることになっている。原作は読んでないのだが、今度読んでみたいと思った。この映画は今後も生命を失わないと思う。是非再び一般上映されることを期待したい。