尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

アイスランドのミステリー「声」

2016年02月07日 23時03分48秒 | 〃 (ミステリー)
 アイスランドアーナルデュル・インドリダソン(1961~)という作家がいる。近年北欧ミステリーが世界的に評判になってきたが、アイスランドの作家はこの人だけである。日本でも「湿地」「緑衣の女」という作品が翻訳され、高く評価された。「湿地」は映画化され、日本でも映画祭で上映され、僕も見に行ってブログでも書いた。2015年7月に3冊目(作家にとっては5作目)の「」(2002、柳沢由美子訳、東京創元社)が刊行され、年末のミステリー番付でも高順位を獲得している。(「このミス」5位、週刊文春4位)前の2冊は地元の図書館にあったので読んだが、最近行ったら「声」も入っていたので、さっそく借りてきて読むことにした。僕がリクエストしたわけじゃないんだけど。

 最近ここでも書いた映画「ひつじ村の兄弟」を見て、年末には村上春樹の紀行文集でアイスランドの旅の話を読んだ。ちょっとアイスランドづいていると思い、「声」も読んでみようと思ったのだが、これは今までの本よりもさらに面白い傑作だった。「犯人あて」の作品ではないが、犯行トリックや叙述トリックではないのに、犯人探しから気持ちが離れているすきに、真犯人が指摘される。だけど、「何だ」という気持ちが起こらず、人間と社会への思いを深めさせられるのは作者の手腕である。

 クリスマスも近いある日、アイスランドで2番目のホテルの地下で、中年のドアマンの刺殺死体が発見される。その男は長年ドアマンをしていただけではなく、ホテルのクリスマスパーティでは毎年サンタクロースをしていた。そして、長くホテルの地下室に住みついていた。ほんのちょっとというつもりで部屋を貸して、そのまま十何年も居付いてしまったらしい。だけど、ホテルでも修理や警備など便利屋的に使っていたらしい。しかし、そんなに長くいるのに私生活は誰も詳しく知らない。しかも最近、ドアマンをクビになったという。家族として姉と車いすの父が来るが、ほとんど悲しがっている様子がない。

 そんな謎めいた死者の過去を警察は探り始める。例によって、捜査の中心はエーレンデュルで、他の二人も前作と共通。問題を抱えたエーレンデュルの娘エヴァ=リンドの動向も要注意。さらにサイドストーリイとして虐待が疑われる父親と子どもの話が出てくる。人口30万ほどのアイスランドで、大々的な銀行強盗やカーチェイスは起きないと作者自ら語っている。だけど、人が住む以上、「家族」が抱える問題は世界中どこでも同じで、だから家族関係をめぐるミステリーを書くというのは、ここでも同じ。

 犠牲者グドロイグルの部屋にあった「ヘンリー」という書き付けから、ホテルの客のヘンリーを一応調べてみると、二人いるうちの一人のヘンリーが、まさに求めていた人物だった。そして彼の話から、驚くべき事実が明らかになる。グドロイグルはほんのちょっとした子供時代の一時期、非常に注目されたスターだったのである。天使の歌声を持つボーイ・ソプラノで、父が厳しくしつけていた。レコードも出し北欧ツァーが企画された、その直前の地元の公演会のまさにその日、12歳の彼は早すぎる声変わりに見舞われ、運命は変転し、彼の人生は失墜する。

 本当はそのことも書かない方がいいんだけど、そのぐらい書かないと何も書けない。このような彼の人生はその後どうなって、ホテルの地下にたどり着くのか。彼を取り巻く家族やレコード収集家の世界。そして謎めいたホテルの腐敗(?)やホテルで働くさまざまな人々の実情。そして、捜査官エーレンデュルの過去の傷が語られていく。アイスランドは犯罪が少ない国だが、それでも麻薬も暴力集団も児童虐待もある。当たり前といえば当たり前だが。こういう風に捜査官が一人で聞きまわるのは、どうも日本からすると違和感があるが、きっとアイスランドではそういう捜査が普通なんだろう。

 アイスランドは小国とはいえ、北海道より大きい。(面積は約102,828㎢で、世界18位。ちょうどフィリピンのルソン島とミンダナオ島の間である。北海道は78,073㎢で世界21位。)日本人の感覚だと、世界の北の果てみたいな感じを受けてしまうが、頭の中を地球儀にすると(地図で言えば「正距方位図法」にすると)、ちょうどアメリカとロシアの間。ワシントンとモスクワを結ぶと、大体アイスランドの上である。イギリスも近いから、第二次世界大戦中は、対独戦争中の英米ソど真ん中にあったわけ。デンマークの下で立憲君主国だったアイスランドはデンマークをドイツが占領した後で、英米軍が駐留した。戦後は「米ソ冷戦の最前線」になり、米軍が駐留した。冷戦を終結させたレーガン、ゴルバチョフの会談は、1986年に首都レイキャビクで行われた。

 日本では火山と温泉の国というイメージだが、実は世界的な戦略的重要性を持つ国だったわけである。冷戦後、米軍が撤退したが、ロンドンにもニューヨークにも近い特性を生かし、金融立国をめざし、1998年の金融危機で破たんした。今はまた経済が立ち直っているとのことだが、なかなか複雑な歴史を持っている。また、「姓を持たない」ことでも有名。「名前+父の名」で表す。エネルギーも7割強を水力、2割強を地熱でまかなうなど、とにかく興味深い国である。1955年にノーベル文学賞を受けたラクスネスという作家もいるが、読んだことがある人は普通いないだろう。アイスランドという興味深い社会を反映したアーナルデュルのミステリーは、読み応え十分。特にこの「声」は傑作だと思った。
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芦川いづみの映画再び①

2016年02月07日 00時01分00秒 |  〃  (旧作日本映画)
 神保町シアターで、「恋する女優 芦川いづみ アンコール」を上映中。性懲りもなく再び通って見ているが、そうすると他の新作映画や演劇、美術などのヒマが取れない。のみならず、市川崑監督や田中登監督などの特集も行われていて、そっちも行くつもりが時間が取れない。まあ、家から近い神保町シアターを優先させるが、ボケッと芦川いづみを眺めているのもいい。

 あまり書くつもりもなく、趣味で見ているだけでいいと思ったのだが、いろいろ見ていると書きたくなってくる。第2週の6日には「春の夜の出来事」など3本見てしまった。その映画の事をちょっと書きたくなった。まあ、映画としてはちょっとしゃれた小品というだけで、それほど大した映画ではない。1955年の西河克己監督作品。西河監督は後に吉永小百合主演で「伊豆の踊子」「絶唱」などをいっぱい作ったが、さらに70年代になると、百恵・友和主演で「伊豆の踊子」「絶唱」をまた作った。僕が同時代で知っているのはそっちの方だが、日本を代表する職人監督の一人。

 「春の夜の出来事」は大富豪の財閥当主が偽名で自分の会社の懸賞に応募したら当たってしまい、身分を隠して雪の赤倉観光ホテルに出かけていく。家族は心配して、執事の吉岡(伊藤雄之助)が社長と偽って付いていくことになる。まだ心配なので、身分を偽っていく客がいるから配慮して欲しいとホテルに電話してしまう。ところで、もう一人懸賞の当選者がいて、そっちは若い失業青年なんだけど、ホテルはこっちの青年を富豪と勘違いし、本当の富豪には粗雑な扱いをしてしまう。そこでドタバタがいろいろあり、吉岡が家族を呼んでしまう。そこで娘の芦川いづみが女中頭の東山千栄子と赤倉にやってくるが、娘と青年が運命的に出会ってしまい…という軽いコメディである。

 脚本は中平康河夢吉とクレジットされていて、河夢吉はペンネームだろうが、このソフィスティケート感覚は中平の持ち味だろう。西河監督のごく初期作品で、富豪は若原雅夫、青年は三島耕だから、それほど重視された作品ではないだろう。だから赤倉観光ホテルとタイアップして作っているのかと思うが、この実在ホテルがよく名前を使わせてくれたような設定。でも、あの特徴的な建物が出てくるからロケしている。パーティ場面などはセットだろうが。当時は妙高高原駅が「田口」と言ったが、その駅も出ている。だけど、この日本を代表する名ホテルをチラシは「山間のリゾートホテル」、某サイトは「赤倉グランドホテル」と表記している。
(赤倉観光ホテル)
 1930年代、日本政府は1940年東京五輪に向けて国際観光立国を目指してもいた。日本各地に外国人も宿泊できるような本格的な国際観光ホテルを相次いで作るというのも、その国策による。そこでできたのが、赤倉観光ホテル、琵琶湖ホテル、蒲郡ホテル(現・蒲郡クラシックホテル)、雲仙観光ホテル、川奈ホテル、日光観光ホテル(現・中禅寺金谷ホテル)などである。それ以前からある、日光金谷ホテル、箱根宮ノ下の富士屋ホテル、軽井沢万平ホテル、奈良ホテルは有名だけど、1930年代に作られたホテルを知らない人が結構いる。その中でも赤倉観光ホテルは温泉と展望の素晴らしさは日本有数。ちょっと高いけど、ここに泊らないで日本の温泉は語れない。泊らないでも、夏にカフェテラスで日本一おいしいフルーツケーキを食べるのは最高。

 ホテルの話が長くなってしまったが、仮装パーティが開かれるという、日本ではありえないような設定で、芦川いづみがピーターパンの扮装で出てくるという、とびきりキュートな場面が見逃せない。でも、ニセ富豪の青年に言い寄るご婦人連が多く、芦川いづみはホテルを飛び出し、ゲレンデに青年が追っていく。東山千栄子もコメディエンヌの才能を発揮していて楽しい。俳優座の大女優にして、小津の「東京物語」の母という印象が強すぎるんだけど、木下恵介作品ではコミカルな役柄が多い。また、ホテルの客として、作曲家黛敏郎がニセの黛敏郎役で出ているのもご愛嬌。即興で作ってと言われ、不思議な現代音楽を作ってしまう。小品ならでは楽しさである。

 もう一本、同じ西河監督の1958年作品、「美しい庵主さん」は、芦川いづみが尼さん姿で出てくるファン必見の作品。ペ・ドゥナが警官姿出てくる(「私の少女」)も良かったが、その不可思議な魅力において、芦川いづみの尼僧こそ忘れがたい。

 有吉佐和子原作の映画化で、小林旭と浅丘ルリ子が夏休みに、ルリ子が昔疎開していた地方の尼寺に卒論の勉強と称して転がり込む。そこに芦川などがいる。東山千栄子はこっちでも出ていて、受け入れる寺の尼僧。旭・ルリ子の初めての本格共演だというが、後々の運命を思わせるような、親しくもあり、溝もあるような役柄。そこに清涼剤のように芦川いづみが出てくるが、まあ映画としてはまとまりがない。お寺は伊豆でロケされたらしい。伊豆大仁の随昌院というところだとある。
コメント (6)
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