尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ピーター・チャン監督「最愛の子」

2016年02月13日 23時41分09秒 |  〃  (新作外国映画)
 中国で起こった児童誘拐事件を扱う、ピーター・チャン監督の「最愛の子」。見始めたら画面に引き入れられてしまい、決して逃れることができな緊迫した映画である。辛く重い映画だけど、中国社会の状況という枠を超えて普遍的に心を打つ映画で、必見の問題作だと思う。

 2009年7月18日、香港に隣接した広東省・深圳。そこに離婚した夫婦がいる。下町のネットカフェを営む元夫のもとに、元妻が息子のポンポン(3歳)を連れてきた。仕事に忙しいまま、地元の子と遊んでいるように父は子どもに言う。ポンポンは遊びに行く途中で、母の車に気付いて追っていく。そして、そのままポンポンは家に帰らなかった。警察に行くが、24時間は事件扱いできないと言われる。駅を探し回るが、見つからない。その後、警察で防犯カメラを見せてもらうと、ポンポンを連れて逃げていく男が映っていた。このような誘拐事件が中国では年間20万件もあるのだという。

 ピーター・チャン(1962~)は、香港の映画監督で「君さえいれば/金枝玉葉」(1994)などの恋愛映画で売出した人である。「ラヴソング」(1997)の素晴らしさは忘れがたい。テレサ・テンの歌声に乗せて、レオン・ライとマギー・チャンの10年に及ぶ恋愛模様を描くこの映画は、香港返還を背景に大陸とアメリカに引き裂かれる香港人の心情をも反映していた。最近は「ウォーロード/男たちの誓い」や「捜査官X」といった大陸で撮影した歴史アクション映画を手掛けた。経歴的にはエンターテインメント系の監督だから、そうした期待でこの映画を見ると、あまりに重い現実にとまどうかもしれない。だけど、語り口のうまさのようなものは共通していて、難しい点はどこにもない。

 ただし映画的には、どこにも難しいところはないんだけど、誘拐という現実に向かい合うということが難しい。もともとは実話で、ドキュメント映像を見た監督が映画化を考えたという。子どもがいなくなるというのは、とても耐えられそうもない出来事だが、ここで描かれるのは黒澤明監督「天国と地獄」のような営利誘拐ではない。また、性犯罪でもない。恐らくは中国の奥深い農村部で、男児のいない農家に連れて行かれた(または売られてしまった)と考えられる。残された夫婦の方には、他の子どもはいない。「一人っ子政策」により、子どもは誘拐された一人だけである。では、もうひとり作ろうかと言えば、誘拐された子どもの死亡届を出さないと認められない。

 父親はネットに情報を求めるサイトを作り、チラシも作って活動する。時には報奨金目当てのニセの情報もある。母親は初めは元夫を責めるが、元夫が「子どもが誘拐された親の会」に連れて行くと、突然自分を責める発言をする。その会は驚くべきもので、同じ状況に置かれた親たちが集って、励まし合っているのである。時には誘拐犯が捕まったと聞き、バスを仕立てて会いに行ったりする。そうした活動にもかかわらず、子どもは見つからず3年がたつ。そして、安徽省の農村にポンポンらしき子どもがいるという情報が入るのである。

 こうして、この事件は表面上「解決」するのだが、物語はそこで終わらずに思わぬ展開をしていく。連れ戻したポンポンは実の親を忘れてしまい、養親になついてしまっていた。そして、もうひとり「妹」がいたのである。「子どもができない」養母のホンチンは、夫はもう死んでいて夫が子どもを連れてきたと語る。「妹」のジーファンは「捨て子」だったと言うが、当局は深圳に連れて行き養護施設に入れることにする。それに対して、せめてジーファンだけでも取り戻したいとホンチンは深圳までやってきて、施設に行くが相手にされない。そこで弁護士を頼んで裁判を始める。一方、実母もジーファンを引き取りたいと考えるが、そのことから再婚した夫との関係も悪くなる。こうして、すべての人々の人間関係が引き裂かれてしまうのである。ほんとうの意味での「解決」がないまま、映画は皮肉な終わり方をする。

 誘拐をテーマにした映画は世界にかなりある。日本でも、「誘拐」「大誘拐」と言う名の映画もあるが、児童誘拐ではない。この映画を見て思い出すのは、角田光代原作、成島出監督の「八日目の蝉」だろう。この物語は、不倫相手の子どもを誘拐するという設定で、後半は大人になった被害児童が事件を振り返るという特異な構成になっている。外国映画では、30年代のロスを舞台にしたクリント・イーストウッドの「チェンジリング」が思い浮かぶ。その他、現実の誘拐事件と言えば、中東や中部アフリカに多い政治がらみ、宗教がらみの事件がある。これは「テロ事件」というほうがいいだろう。この事件で扱われているのは、「中国の特別事情」が背景にある。しかし、その問題をテーマにした社会批判映画ではないというのは、監督のいう通りだろう。もちろん、あからさまな政治批判映画は作れない国情だが、それ以上に「人間というものの性(さが)」を描きたいという思いは一貫している。

 中華圏の映画にそれほど詳しくないので、俳優はよく知らない。いくつかの映画賞を取っているのは、養母役のヴィッキー・チャオ(趙微、1976~)で、「少林サッカー」や「レッド・クリフ」に出て人気の女優。見ているが思い出せない。最近は監督にも進出している。この映画ではノーメイクで安徽省の無知な農民を演じて、強い印象を与える。メイクした若い写真と比べると全く違う。
 
 父親はホアン・ポー(黄渤、1974~)という人で、「西遊記~はじまりのはじまり~」などに出ている大人気俳優だという。日本でいえば、古田新太に似ていると思う。
 
 実母のハオ・レイは、ロウ・イエの「天安門、恋人たち」や「二重生活」に出ている人。親の会の中心となるハンを演じたチャン・イーが素晴らしいが、皆自分の実生活でどこかで会ったような顔立ちと人柄で、感情移入しやすいが、逆に他人事と思えない感じもしてくる。しかし、この「つくられた兄妹」のお互いに思い合う様子はどのように解決可能なのだろう。また、自分たちだけ子どもが見つかった後で、親の会とどのように関わるべきか悩む姿も、とても心揺さぶられるところである。とにかく、非常な力作だけど、単なるフィクションではないという現実に心痛む。重いけど、ぜひ見て欲しい映画。
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