安倍首相言うところでは、「60年安保闘争の時に反対派は安保条約があると、アメリカの戦争に巻き込まれると言ったけれど、現実には巻き込まれなかったじゃないですか。今回も反対する人は、この法案が成立するとアメリカの戦争に巻き込まれると言っているけれど、そんなことはありえない」ということである。いやあ、この人は歴史を反対側から見ているんだなあとつくづく思った。でも、どう考えても理解が不十分だとしか思えないので、今回はこの問題を。(7.1追記 「60年」と言えば「安保闘争」と反応するので、上記の記述に「安倍首相の言ったこと」を示すカッコ内に「安保闘争」という用語を使ってしまった。でも安倍首相が「安保闘争」なんて言うわけないですよね。まあ、残しておくけど。)
第二次大戦後に起こりうると考えられた戦争は、大体三つあった。第一は「米ソの本格的核戦争=第三次世界大戦」である。これはキューバ危機など瀬戸際事態もあったけど、幸いにも実際の戦争は起こらなかった。今からすると想像できないかもしれないが、当時一番心配されていたのが、この米ソ核戦争だった。でも、起こらなかったんだから、巻き込まれようがない。米ソ核戦争が起きなかったのは、別に日米安保があったからではない。全然関係ない。もし本当に起きていたら、当然のことながら日本も巻き込まれていただろう。日本には米軍基地があるんだから。
米ソの対立が本格戦争にならなかったのは、お互いに人類を破滅させられるほど大量の核兵器を持って、「恐怖の均衡」が成り立ったからだという人もいる。それもあるかもしれないが、結局大量に作った核兵器も限定戦争、地域紛争、対テロ戦争なんかでも使用できない。全人類を滅ぼすかもしれない兵器を先制使用すれば全世界で大非難が沸き起こる。攻められたら使うと言っても、自国領で使用すれば領土が汚染されてしまう。つまり、持っているけど事実上使えない兵器なのだ。世界中の反核世論が核兵器の使用が難しい状況を作り出してきたわけである。
戦争の第二のタイプは「代理戦争」で、第三のタイプが「地域紛争」「民族紛争」のような戦争である。これは現実に起こった。国連に集団的自衛権行使として報告されたケースはいくつかあるが、ソ連によるハンガリー事件(1956)やチェコスロヴァキア事件(1968)もそうだけど、むろんこれには日本は巻き込まれてない。ソ連グループの「ワルシャワ条約機構」の軍事行動だから、当然である。一方、アメリカが大規模な軍事行動を起こした朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争には、日本は全部巻き込まれてきた。それが中立国ではなく、アメリカと安全保障条約を結んでいるという意味なのである。以上のうち、朝鮮戦争、湾岸戦争は国連安保理決議がある武力行使なので、集団的自衛権の行使ではない。イラク戦争も、ブッシュ・ドクトリンに基づく「自衛権の行使」だった。
そのような細かい違いはあるものの、日本は戦後にアメリカが関わった戦争はすべて何らかの形で支えてきた。アメリカがアメリカ大陸で行ったドミニカ出兵(1965)、ニカラグア内戦への介入(1981)、グレナダ侵攻(1983)なんかだけは、米州内のことは米国だけでいいということで、日本は直接の関係はない。でも、アジアで起こった戦争は日本にも応分の負担が求められてきた。ベトナム戦争では、韓国、オーストラリア、タイ、フィリピン、ニュージーランドがベトナムに派兵した。日本は確かに自衛隊を送ったわけではない。憲法9条がある以上、それはできない。日本国内では反戦運動が盛んで、アメリカ批判が強かったが、当時の佐藤栄作首相は米国を支持し、当時の南ベトナムを(大反対デモを押し切って)訪問し、経済援助を与えた。日本(本土)および復帰前の沖縄の米軍基地は、戦争の最前線となった。当時の国内情勢からして、できる限りの対米援助を佐藤政権は行ったのである。
その後の戦争でも同じで、その当時の法的な解釈で、政府は特例法を作って米艦に給油したり、自衛隊をイラクに派遣したりした。それも憲法違反ではないかという反対運動が起こり、裁判も起こされた。イラク派遣では名古屋高裁での違憲判決が確定している。ところで、それらの対米協力をどう評価するかは別にして、とにもかくにも直接の軍事行動に自衛隊が参加したことはない。日米安保があって、米国陣営にいるから、その時点で可能と思われる最大限の米軍支援を日本は求められてきた。しかし、憲法9条があるから、どう「柔軟な解釈」をしたとしても、直接的な軍事行動への参加はできなかったのである。これが歴史の正しい見方だろう。安倍首相が語るのとは違って、日本は安保条約の下でアメリカの戦争にいつも協力を求められてきた。しかし、憲法9条が歯止めになってきたのである。
その歯止めをなくそうというのが今度の安保法制である。さらに、今回の解釈変更で済まず、憲法9条の改正そのものを考えているのは周知のことである。イラクで「非戦闘地域」で「人道支援」を行ったという枠組みを変えようというんだから、「戦闘地域」で「軍事的支援」をしたいのかと思われても仕方ないではないか。そんなことはない、そんなことはないとしきりに首相は答弁しているわけだけど。納得せよと言われても、歴史が反対に見えている人の言うことだからなあ。正直、できない相談ですよ。
*「朝鮮戦争」と「湾岸戦争」は、重要な一方の旗頭を米軍が務めたわけだから今は「アメリカの戦争」として一括りにした。しかし、その直接の原因は、金日成(及びスターリンと毛沢東)やサダム・フセインが作り出したものである。だから、「サダム・フセインの戦争に巻き込まれた」と言った方がいいのかもしれない。でも、アメリカが乗り出してきたことから、「対米関係としての戦争貢献策」という問題が生じたわけである。日本にとっては「アメリカ問題」に他ならない。なお、安保理決議があった以上、何もしないというわけにはいかないだろう。
第二次大戦後に起こりうると考えられた戦争は、大体三つあった。第一は「米ソの本格的核戦争=第三次世界大戦」である。これはキューバ危機など瀬戸際事態もあったけど、幸いにも実際の戦争は起こらなかった。今からすると想像できないかもしれないが、当時一番心配されていたのが、この米ソ核戦争だった。でも、起こらなかったんだから、巻き込まれようがない。米ソ核戦争が起きなかったのは、別に日米安保があったからではない。全然関係ない。もし本当に起きていたら、当然のことながら日本も巻き込まれていただろう。日本には米軍基地があるんだから。
米ソの対立が本格戦争にならなかったのは、お互いに人類を破滅させられるほど大量の核兵器を持って、「恐怖の均衡」が成り立ったからだという人もいる。それもあるかもしれないが、結局大量に作った核兵器も限定戦争、地域紛争、対テロ戦争なんかでも使用できない。全人類を滅ぼすかもしれない兵器を先制使用すれば全世界で大非難が沸き起こる。攻められたら使うと言っても、自国領で使用すれば領土が汚染されてしまう。つまり、持っているけど事実上使えない兵器なのだ。世界中の反核世論が核兵器の使用が難しい状況を作り出してきたわけである。
戦争の第二のタイプは「代理戦争」で、第三のタイプが「地域紛争」「民族紛争」のような戦争である。これは現実に起こった。国連に集団的自衛権行使として報告されたケースはいくつかあるが、ソ連によるハンガリー事件(1956)やチェコスロヴァキア事件(1968)もそうだけど、むろんこれには日本は巻き込まれてない。ソ連グループの「ワルシャワ条約機構」の軍事行動だから、当然である。一方、アメリカが大規模な軍事行動を起こした朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争には、日本は全部巻き込まれてきた。それが中立国ではなく、アメリカと安全保障条約を結んでいるという意味なのである。以上のうち、朝鮮戦争、湾岸戦争は国連安保理決議がある武力行使なので、集団的自衛権の行使ではない。イラク戦争も、ブッシュ・ドクトリンに基づく「自衛権の行使」だった。
そのような細かい違いはあるものの、日本は戦後にアメリカが関わった戦争はすべて何らかの形で支えてきた。アメリカがアメリカ大陸で行ったドミニカ出兵(1965)、ニカラグア内戦への介入(1981)、グレナダ侵攻(1983)なんかだけは、米州内のことは米国だけでいいということで、日本は直接の関係はない。でも、アジアで起こった戦争は日本にも応分の負担が求められてきた。ベトナム戦争では、韓国、オーストラリア、タイ、フィリピン、ニュージーランドがベトナムに派兵した。日本は確かに自衛隊を送ったわけではない。憲法9条がある以上、それはできない。日本国内では反戦運動が盛んで、アメリカ批判が強かったが、当時の佐藤栄作首相は米国を支持し、当時の南ベトナムを(大反対デモを押し切って)訪問し、経済援助を与えた。日本(本土)および復帰前の沖縄の米軍基地は、戦争の最前線となった。当時の国内情勢からして、できる限りの対米援助を佐藤政権は行ったのである。
その後の戦争でも同じで、その当時の法的な解釈で、政府は特例法を作って米艦に給油したり、自衛隊をイラクに派遣したりした。それも憲法違反ではないかという反対運動が起こり、裁判も起こされた。イラク派遣では名古屋高裁での違憲判決が確定している。ところで、それらの対米協力をどう評価するかは別にして、とにもかくにも直接の軍事行動に自衛隊が参加したことはない。日米安保があって、米国陣営にいるから、その時点で可能と思われる最大限の米軍支援を日本は求められてきた。しかし、憲法9条があるから、どう「柔軟な解釈」をしたとしても、直接的な軍事行動への参加はできなかったのである。これが歴史の正しい見方だろう。安倍首相が語るのとは違って、日本は安保条約の下でアメリカの戦争にいつも協力を求められてきた。しかし、憲法9条が歯止めになってきたのである。
その歯止めをなくそうというのが今度の安保法制である。さらに、今回の解釈変更で済まず、憲法9条の改正そのものを考えているのは周知のことである。イラクで「非戦闘地域」で「人道支援」を行ったという枠組みを変えようというんだから、「戦闘地域」で「軍事的支援」をしたいのかと思われても仕方ないではないか。そんなことはない、そんなことはないとしきりに首相は答弁しているわけだけど。納得せよと言われても、歴史が反対に見えている人の言うことだからなあ。正直、できない相談ですよ。
*「朝鮮戦争」と「湾岸戦争」は、重要な一方の旗頭を米軍が務めたわけだから今は「アメリカの戦争」として一括りにした。しかし、その直接の原因は、金日成(及びスターリンと毛沢東)やサダム・フセインが作り出したものである。だから、「サダム・フセインの戦争に巻き込まれた」と言った方がいいのかもしれない。でも、アメリカが乗り出してきたことから、「対米関係としての戦争貢献策」という問題が生じたわけである。日本にとっては「アメリカ問題」に他ならない。なお、安保理決議があった以上、何もしないというわけにはいかないだろう。