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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「どん底 部落差別自作自演事件」という本

2015年06月14日 22時48分16秒 | 〃 (さまざまな本)
 ノンフィクション作家高山文彦氏の「どん底 差別自作自演事件」(小学館文庫、750円+税)を読んだ。単行本になったとき(2012年)に書評で知って、読みたかった本。その時は買いそびれたが、今回文庫に入った。ものすごい内容の本だと思うから、紹介しておく。今まで、旧石器捏造事件を描いた「石の虚塔」や「ヘイトスピーチ」の本について書いたけど、それらも人間性への疑問を呼び起こす本ではあった。人間には驚くべき暗い側面もあるということは、もちろん知っているから、この程度で驚くわけではない。でも、やはり読んでいて、辛くなるような本に違いない。と同時に(こういう言葉はふさわしくないかもしれないが)、「面白くてやめられない」ような側面もある。それほど「驚くべき事件の記録」で、考え込んで立ち止まる時間もあるが、知っておくべき事柄のように思う。

 2003年12月から約5年間にわたって、福岡県南部の町で被差別出身の嘱託職員に44通もの「差別ハガキ」が送りつけられるという事件が起こった。本人は悪質な差別として、解放同盟とともに人権啓発運動に乗り出す。行政も動き、警察も本格的に捜査した結果、2009年に逮捕されたのは、なんと当の本人だった。これは本当か、冤罪ではないのかと当初は思った人もいたが、結局は間違いなく本人の書いたものだった。どうしてそんなことが起こったのか。本人を呼び、悪質な差別事件として糾弾も行われ、そこまでを渾身の取材で追及したのがこの本である。

 しかし、この本に書かれているのは、単に「差別ハガキ事件」だけではない。その前に同じ町であった出身の教師に対する差別ハガキ事件。結局それは解決することなく、本人が異動していってしまった。そういう「前史」があったのである。また、この地域の解放運動の歴史、事件を追及する側にたつ何人かの人物の生き方も大きく扱われている。つまり、「差別ハガキ事件」を中核にして、横(地域のさまざまな事情や人々)と縦(差別と解放運動の歴史、関係者の人生)が織りなす複合的な世界を描いている。そこには苦沁みながらも連帯を求めて闘ってきた姿も描かれるが、同時に「差別を直視できずに逃げてしまう」という人間の姿も出てくる。

 それはまあ当然で、逃げてはいけないなどと人を裁けるほどのことは言えない。だけど、そのことと「差別ハガキを送る」、それも自分に対してだけではなく、最後の頃には違う人物にも送ったりしている。自分ばかりに来ると疑われるということらしいが、考えがたいことである。しかも、だんだん凝ったつくりになったり、「愉快犯」的な側面も出てくる。支部の会計もしていた彼のところには、空き巣が入って多額のカネが奪われるという事件も起きている。それを「予告」するようなハガキもあるので、今となっては空き巣も本人の仕業で、遣い込みがばれないための行為ではないかとの疑念も浮かぶわけだが、あくまでも否定するので警察の捜査も終結している。だけど、何十万もの金を家に保管していたということ自体が、理解に苦しむ行為だろう。

 本を最後まで読んでも、この人物の内面は測りがたい部分が多く、どうしても理解できないところが多い。解放運動内部の人間であれ、自己保身のために「差別事件の自作自演」を作り上げるということは、まあ絶対にないわけではないだろうと思う。それでも、自分で作り上げておいて、差別ハガキ事件被害者として全国で講演して講演料をもらうという。断りようがない迷路に自分で入り込んでしまったのかもしれないが、ありえないことだと思う。しかも、いったん終了宣言までしながら、またもハガキを送ってしまう。そのことで警察が本格的に捜査を始めて、自分の仕業と判ってしまう。では、憑き物が落ちたように晴れ晴れするかというと、そうではない。反省していると言いつつ、自己を顧みることができないまま時間が経っていく。こういう人がいるのである。

 そういうこともあるんだということを知識で知るということも必要かと思う。だけど、ここまでする人は少ないだろう。注意しておかないと、「だから問題は厄介だ」などという感想を持つ人もいるかもしれない。この本をちゃんと最後まで読めば、そんな感想を持つ人はいないだろう。未だに結婚差別が無くならないという日本の現実。それが背景にあってこその「差別ハガキ事件」であり、本末転倒した読み方をしてはいけない。それにしても、石器を自分で埋めておいて、自分で掘り出す人物も不思議だが、この本で出てくる差別ハガキを自分に向けて書く人物というのも実に不思議な人物だった。
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アホウドリが飛んだ-阿奈井文彦さん追悼会

2015年06月14日 00時24分25秒 | 追悼
 3月7日に亡くなった阿奈井文彦さんの事は、当時ブログで「阿奈井文彦さんの思い出」を書いた。通夜や葬儀が東京であれば、僕も参列したのではないかと思うが、通夜は静岡県で、葬儀は故郷の大分県で行われたので出られなかった。そのことを残念に思う人はたくさんいたようで、このたび追悼会が行われた。僕はそれほど深いかかわりがあったとも言えず、今日も端っこにいたようなもんだから、書こうかどうしようかと思ったんだけど、自分の記憶力など全く当てにならない。書いておかないと、あれ、いつだっけということになるから、やはり書いておきたい。

 5月上旬に、カタログハウスの封筒に入った本橋成一さん(写真家、映画監督)名義の封書が届いた。何だろうと思ったら、これが阿奈井さん追悼会のお知らせだった。その前から、そういう企画をしたいという動きがあるのは聞いていた。どうしようかと思ったんだけど、6月13日(土)午後3時~6時頃 場所/カフェ「ポレポレ坐」という時間と場所の出席しやすさ。それに「アホウドリが飛んだ」という追悼会の名前に心惹かれて、やっぱり行こうかなと思った。もっとも、サンハウス所長の平野夫妻も行くといっていたので、一緒に出るという感覚でもあったけど。お知らせ通知はこれ。

 3時過ぎに会が始まり、吉岡忍さんがべ平連の脱走兵支援時代の思い出。続いて木村聖哉さんが同志社を単位が足りず退学して東京で屑家を始めた経緯、その後の東京での那須正尚さん(思想の科学社)を含めて三人で句会を作ってよくあっていた話などを披露した。当時の句をいくつか紹介して、なかなか句才もあったかに思われたが、メモしていなかったので思い出せない。確か「赤とんぼ 瞬時滝の音を消す」といったようなのがあったか。ビール片手に聞いているから、記憶が定かではないが。写真スライドや映像も流されたが、やっぱり顔を見ると懐かしい。弟さんや姪御さんから見た阿奈井さん像も新鮮なもので、また出版関係のさまざまな人から見た、原稿が遅かったり、モランボン料理学校に通って本を作った時のエピソードなど、さまざまな話が面白かった。

 でも、まあ僕が知ってるのはキャンパー関係。FIWC関西委員会の韓国キャンプに毎年のように参加していたことからのつながりである。阿奈井さんは確かにあちこちに韓国キャンプの思い出を書いていた。それで来た人も大勢いるんだという。(僕は「思想の科学」と「80年代」という、今はなき雑誌の広告で連絡先を知ったのである。その頃ハングルを学んだりしていたから、行く素地はあったのだけど。)韓国キャンプの中心で今も活躍する柳川義雄さん(四日市)、東日本大震災直後の唐桑キャンプでも再会した井木沢さん(栃木)、あるいは80年代初期に朝日の「天声人語」に紹介されるきっかけとなった芦崎治さん、韓国キャンプの写真をいっぱい撮ってた若手の写真家だった奥野安彦さん(写真家)…。そう言えば、司会を荒川さんが担当していた。FIWCは関東でまた違った流れがあるのだが、関西委員会の韓国キャンプに参加してないと阿奈井さんとの接点がない。だからFIWC関係でも関東系、あるいはその後のフィリピンキャンプ、中国キャンプからの人とは会えない。最後に、本橋さん写真、阿奈井さん文の「サーカスが来る日」がお土産に配られてオシマイ。事情があって、大量に残ったらしい。

 どうも疲れ気味で、その後はさっさと帰る。最近はそういう時が多い。今週は火曜日に「水の声を聞く」「祖谷物語」の長い二本立てを見て、木曜夜に「明治の柩」を見たから疲れてしまった。昨日は2本ブログを書くつもりだったが無理だった。だから今日の昼間、女子サッカーワールドカップを見てる合間に「明治の柩」を書いて、それが終わって東中野に出かけた。そんなことはどうでもいいんだけど、昔に比べれば無理がきかないなあと思う。
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