尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

真の世界遺産とはー「明治日本の産業革命遺産」への疑問④

2015年06月18日 21時34分42秒 |  〃 (歴史・地理)
 「明治日本の産業革命遺産」問題も長くなった。問題をまとめた上で、最後に残された一番大きな疑問について書きたい。今回の「世界遺産」は、「1850年代~1910年」と時期を区切って、日本の「製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」に関する遺産を「稼働資産」を含めて構成したものである。

 これに対する僕の疑問は、
①1850年代の「韮山反射炉」「鹿児島集成館」などは「産業革命」と直接の関連がない。(広義の「近代化遺産」ではある。)
②「明治日本の産業革命」と言うならば、アジアで最初に近代的産業革命を達成した製糸、紡績産業を取り上げないのはおかしい。(日本の歩みに与えた影響が非常に大きい。近代的労働者は製糸、紡績の「女工」が圧倒的に多かった。)
重工業の発展を考えるなら、本格的に発展していく1910年以後を対象に含めないとおかしい。(それは日本の重工業が朝鮮、中国への侵略とともに発展していく過程である。近隣諸国の反発をそらすために、あらかじめ不自然な時期区分にしたのか。)

 例を挙げてみると、「軍艦島」とも呼ばれる「端島(はしま)炭鉱」の事例。確かに明治時代になって採掘が始まった。1890年に三菱が買い取って、以後本格的な採掘が始まる。しかし、この島の何が「世界遺産」に当たるのだろうか。「軍艦島」と呼ばれた独特の高層住宅の存在、そして1974年の閉山後に一種の「廃墟遺産」になっていることではないのだろうか。ところで、この独特な住宅などは、大正期以後に作られたものだとされる。「明治日本」の遺産ではない。
(軍艦島)
 「旧八幡製鉄所」関連遺産の評価も疑問がある。確かにそれは「日本史」の上からは非常に重要な遺産である。でも、「世界遺産」とまで言えるのだろうか。日本がアジアで初めて近代化に成功したことは間違いない。ある時点では、それは「非西欧世界で唯一の」と言っても良かった。だが、21世紀の現在から見れば、それは「他の非欧米諸国に先駆けて」という位置づけになる。八幡製鉄所は技術的に何か新発明をしたわけではなく、西欧諸国の技術を移転することに成功した場所である。それ自体に人類的価値があるのだろうか。日本が鉄鋼を自給できるようになったことは重要だが、その近代化は世界に何をもたらしたのだろうか。

 近代日本は絶えざる戦争の歴史だった。日本の産業革命は、果たして自国及び世界の人々を幸福にしたのだろうか。戦争を支える技術が発展しただけではないのか。いや、橋や駅やトンネル、港湾やダムなど、中には今も使われている建造物も多く作られ、日本人の生活を向上させたというかもしれない。だけど、それならそういう施設を「世界遺産」の候補にするべきではないか。横浜港や神戸港のさまざまな施設東京駅琵琶湖疏水木曽川の読書発電所や大井ダム…候補はたくさんある。

 明治時代には、炭鉱、鉱山が重要だ。特に炭鉱は1970年頃まで、日本のエネルギーを担ってきた。今回の候補にある三池炭鉱の宮原鉱、万田鉱などは、明治末期の資産がそのまま残っているものが多い。「明治日本の産業革命遺産」にふさわしいと僕も認める。だけど、なぜ筑豊炭鉱など他の炭鉱が入っていないのだろうか。さらに、足尾(栃木県)や小坂(秋田県)、生野(兵庫県)、別子(愛媛県)などの金属鉱山が入っていない。これは足尾鉱毒事件などの公害事件、戦時中の朝鮮人、中国人の強制労働問題を避けるためなのか。それとも三菱、三井が重視され、住友、古河、日立などのより小さい財閥を軽視しているのか。

 今回の世界遺産は二つの方向で問題がある。一つは「近代化にともなう負の側面」を無視していること。単に戦時中だけの問題ではない。産業革命の進展による「労働者問題」への目配りもない。重工業の発展が戦争と結びついていたこと。軍事産業が優先され、民生面の産業がおろそかになったこと。その結果、明治では足尾鉱毒事件などの公害問題を起こした。「明治の重工業の遺産」という中で、足尾関連が抜けているのは致命的な間違いだと思う。
(足尾銅山)
 日本の近代化・産業革命を世界に紹介するなら、足尾水俣を抜きにして、「明治の日本はすごかった」などと言ってはいけない。その悲惨な歴史を語り継ぐことこそ、「世界遺産」の価値である。その中に鉱山労働者の悲惨な労働も含まれる。もちろん、戦時中の朝鮮人、中国人労働者問題も含まれる。問題を無視して、「時代が違う」と切り捨てるのは歴史に誠実とは言えない。

 もう一つは「軽工業の無視」である。多くのアジア・アフリカ地域では、やはり繊維産業から発展する国が多い。日本が非西欧社会で初めて工業化した時、まず最初に発展し海外進出もした紡績業を抜きに語れない。戦前には大阪は「日本のマンチェスター」と呼ばれて、アジアの紡績業の中心だった。大坂はじめ、西日本には紡績業の遺跡もある程度残っているようだ。それらは世界遺産にふさわしい。その時にも「負の側面」を無視できない。「女工哀史」と言われた悲惨な労働。今の世界で問題になっている女性、少年労働の問題を考える時に日本が世界に伝えるべきことだろう。

 「民生面の遺産の無視」もある。食品産業(日本酒や洋酒の醸造、しょう油等)、デパートやホテル(三越百貨店や日光金谷ホテル、箱根富士屋ホテルなど)なども忘れてはならない。特に最後に書いたデパートやホテルは、日本人が「近代化」を考える時に非常に重要だと思う。本当の意味での「明治日本の産業革命遺産」は我々が自分の手で作っていくしかないようだ。
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