千葉泰樹(1910~1985)は1950年代、60年代に東宝で娯楽映画を支えた監督である。ジャンルを超えた数多くの作品を残したが、映画作家としてはあまり評価されなかった。神保町シアターで2011年に「一年遅れの生誕百年 千葉泰樹」が行われ、その時初めていくつかの作品を見た。その時点で一度「千葉泰樹監督の映画」を書いたが途中になっていた。その後2014年にフィルムセンターで、2016年にシネマヴェーラ渋谷で特集上映が行われ、さらに多くの作品を見ることが出来た。
(千葉泰樹監督)
千葉泰樹監督は特に獅子文六原作、加東大介主演の「大番」シリーズの大ヒットで有名だ。宇和島に生まれた株屋のギュ-ちゃんの波瀾万丈の戦前戦後を描いて、4部作となった。愛人として支える淡島千景、憧れの君の原節子なども印象的だし、仲代達矢、東野栄治郎などの助演も忘れがたい。娯楽映画作家としてのピークをなした。他にも「へそくり社長」は社長シリーズの原型となり、香港シリーズで海外ロケによるメロドラマを成功させた。
(「大番」)
キャリアは長くて、1930年に早くも監督作品がある。日活で活躍した後、南旺映画で尾崎士郎原作で馬込文士村の人びとを描いた「空想部落」(1939)を作った。続く「煉瓦女工」(1940)は、紹介をコピーすれば「横浜・鶴見を舞台に、女工として働く貧しい少女と長屋の人々や朝鮮人の家族との交流を温かく描く佳作」。戦中の映画で朝鮮人が出てくるのは貴重で、朝鮮語のセリフもある。検閲で非公開となり、戦後の1946年にようやく上映された。
戦後すぐに作られた「幸福への招待」(1947)、「生きている画像」(1948)はベストテンの下位に入った。佳作ではあるが満足度は小さい。それよりも、戦争直後の焼け跡や銀座を都電が走る場面のロケがある映画の方が面白い。「東京の恋人」(1952)がまさにそれ。勝鬨橋(かちどきばし)が開閉される場面があって、それがドラマの筋立てにも絡んでいる。1968年まで都電が走っていて、橋の開閉は70年が最後だという。この「勝鬨橋の開閉と都電」を見られるだけで価値がある。
(「東京の恋人」)
銀座で靴磨きと似顔絵描き(原節子)と売春をする男女の青春物語。社長(森繁久弥)の宝石店と贋宝石つくり(三船敏郎)が絡む。東京には焼け跡があり、銀座も高層ビルが少ない。日本は貧しく、戦争や病気に苦しんでいる人がたくさんいる。でも、みんな明るい。希望と連帯がある。「私たちは貧しくても、正しく生きているんです」と原節子が言い切るが、セリフがが映画の中で浮いてなくてみんな感動できる。これが「戦後」なんだと僕は思う。ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめ」た人々である。
石坂洋次郎原作の「山のかなたに」(1952)は、戦災を免れた東北の地方都市(横手?)の中学に赴任した青年教師・池部良とその周りの生徒、家族を描く。生徒の姉は疎開して洋裁を教えているが、頭にターバンをして煙草を吸うので家主の靴屋から出て行ってくれと言われている。ある日、洋裁の教え子がみんなで集まり、家主は頭が古い、先生を守ろう、女が煙草を吸ったからといって、なんで家を追い出されれなくちゃいけないんだ、みんなで談判しようと女だけで靴屋に押し掛ける。彼女たちのバックボーンにあるのは「新憲法をなんと考えているんでしょう」「男と女は平等になったのよ」という強い思いである。地方の女性も「敗北と新憲法を抱きしめ」たのである。
また予科練帰りの年上上級生が下級生をいじめていると、下級生たちは最後に「団結しよう」と語って全員で反抗に立ち上がる。スターを使った娯楽映画の文法ではハッピーエンドに終わるが、現実にはそれほど明るくない。同時代の独立プロ映画を見ると、その事が判るが、それでも娯楽映画で「時代の希望」が描かれていた。村上龍は「希望の国のエクソダス」で登場人物に「日本には何でもあるが、希望だけがない」と言わせた。これらの映画にあるのは、その正反対の「日本には何もなくなっちゃったけど、希望だけはいっぱいある」という時代の空気が伝わってくる。
「香港の真珠」と呼ばれた尤敏 (ユー・ミン)を主人公にした香港シリーズは3本作られた。ユーミンはこんな美女だったのか。60年代末期に実業家と結婚して引退、もう亡くなっているが、宝田明と共演した素晴らしいメロドラマシリーズである。最初の「香港の夜」(1962)はアメリカの「慕情」の影響が強いが、よくできたメロドラマで飽きない。香港は当然だけど、東京や柳川、雲仙の風景もロケされている。「香港の星」(1962)はシンガポール、マレーシアも登場し、ユーミンは医者となる。第3作「ホノルル・香港・東京」(1963)ではハワイの魅力も描かれ、加山雄三・星由里子の若大将コンビも助演している。とにかく楽しく見られるシリーズで、ユーミンの魅力にはまること請け合い。
尤敏 (ユー・ミン)
東宝が中編シリーズを作っていた時期がある。「鬼火」(1956、46分)、「下町」(1957年、58分)など1時間もないが、瞠目すべき傑作。「鬼火」はガス会社の集金人加東大介が払えない人妻に迫るが…。ホラー系傑作。「下町」は戦争から返ってこない夫を待つ山田五十鈴、シベリア帰りの三船敏郎、戦争の傷を負う二人が結ばれそうになるが…。短いからこそ深い余韻を残す傑作だが、まだまだ貧しかった東京の風俗描写も興味深い。
多くのエンタメ映画を残した千葉泰樹の生涯の代表作は「二人の息子」(1961)だと思う。一流企業に勤める兄の宝田明、タクシー運転手の弟加山雄三。父の失職を機に、二人の溝が深くなってゆく様を厳しく見つめる。松山善三の脚本で、そのあまりに厳しい現実凝視に思わずたじろぐような映画だ。木下恵介「日本の悲劇」のような感触。他にも甲州商人と農民のばかしあい「狐と狸」(1959)、フランキー堺が落研出身の落語家を演じる「羽織の大将」(1960、桂文楽が出ている)、菊田一夫原作の大ヒット劇「がめつい奴」(1960)、瀬戸内晴美「夏の終り」を映画化した「みれん」(1963)、ホームドラマ風喜劇の「沈丁花」(1966)など、実に多彩な作品を残した。(2020.6.3全面改稿)
(千葉泰樹監督)
千葉泰樹監督は特に獅子文六原作、加東大介主演の「大番」シリーズの大ヒットで有名だ。宇和島に生まれた株屋のギュ-ちゃんの波瀾万丈の戦前戦後を描いて、4部作となった。愛人として支える淡島千景、憧れの君の原節子なども印象的だし、仲代達矢、東野栄治郎などの助演も忘れがたい。娯楽映画作家としてのピークをなした。他にも「へそくり社長」は社長シリーズの原型となり、香港シリーズで海外ロケによるメロドラマを成功させた。
(「大番」)
キャリアは長くて、1930年に早くも監督作品がある。日活で活躍した後、南旺映画で尾崎士郎原作で馬込文士村の人びとを描いた「空想部落」(1939)を作った。続く「煉瓦女工」(1940)は、紹介をコピーすれば「横浜・鶴見を舞台に、女工として働く貧しい少女と長屋の人々や朝鮮人の家族との交流を温かく描く佳作」。戦中の映画で朝鮮人が出てくるのは貴重で、朝鮮語のセリフもある。検閲で非公開となり、戦後の1946年にようやく上映された。
戦後すぐに作られた「幸福への招待」(1947)、「生きている画像」(1948)はベストテンの下位に入った。佳作ではあるが満足度は小さい。それよりも、戦争直後の焼け跡や銀座を都電が走る場面のロケがある映画の方が面白い。「東京の恋人」(1952)がまさにそれ。勝鬨橋(かちどきばし)が開閉される場面があって、それがドラマの筋立てにも絡んでいる。1968年まで都電が走っていて、橋の開閉は70年が最後だという。この「勝鬨橋の開閉と都電」を見られるだけで価値がある。
(「東京の恋人」)
銀座で靴磨きと似顔絵描き(原節子)と売春をする男女の青春物語。社長(森繁久弥)の宝石店と贋宝石つくり(三船敏郎)が絡む。東京には焼け跡があり、銀座も高層ビルが少ない。日本は貧しく、戦争や病気に苦しんでいる人がたくさんいる。でも、みんな明るい。希望と連帯がある。「私たちは貧しくても、正しく生きているんです」と原節子が言い切るが、セリフがが映画の中で浮いてなくてみんな感動できる。これが「戦後」なんだと僕は思う。ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめ」た人々である。
石坂洋次郎原作の「山のかなたに」(1952)は、戦災を免れた東北の地方都市(横手?)の中学に赴任した青年教師・池部良とその周りの生徒、家族を描く。生徒の姉は疎開して洋裁を教えているが、頭にターバンをして煙草を吸うので家主の靴屋から出て行ってくれと言われている。ある日、洋裁の教え子がみんなで集まり、家主は頭が古い、先生を守ろう、女が煙草を吸ったからといって、なんで家を追い出されれなくちゃいけないんだ、みんなで談判しようと女だけで靴屋に押し掛ける。彼女たちのバックボーンにあるのは「新憲法をなんと考えているんでしょう」「男と女は平等になったのよ」という強い思いである。地方の女性も「敗北と新憲法を抱きしめ」たのである。
また予科練帰りの年上上級生が下級生をいじめていると、下級生たちは最後に「団結しよう」と語って全員で反抗に立ち上がる。スターを使った娯楽映画の文法ではハッピーエンドに終わるが、現実にはそれほど明るくない。同時代の独立プロ映画を見ると、その事が判るが、それでも娯楽映画で「時代の希望」が描かれていた。村上龍は「希望の国のエクソダス」で登場人物に「日本には何でもあるが、希望だけがない」と言わせた。これらの映画にあるのは、その正反対の「日本には何もなくなっちゃったけど、希望だけはいっぱいある」という時代の空気が伝わってくる。
「香港の真珠」と呼ばれた尤敏 (ユー・ミン)を主人公にした香港シリーズは3本作られた。ユーミンはこんな美女だったのか。60年代末期に実業家と結婚して引退、もう亡くなっているが、宝田明と共演した素晴らしいメロドラマシリーズである。最初の「香港の夜」(1962)はアメリカの「慕情」の影響が強いが、よくできたメロドラマで飽きない。香港は当然だけど、東京や柳川、雲仙の風景もロケされている。「香港の星」(1962)はシンガポール、マレーシアも登場し、ユーミンは医者となる。第3作「ホノルル・香港・東京」(1963)ではハワイの魅力も描かれ、加山雄三・星由里子の若大将コンビも助演している。とにかく楽しく見られるシリーズで、ユーミンの魅力にはまること請け合い。
尤敏 (ユー・ミン)
東宝が中編シリーズを作っていた時期がある。「鬼火」(1956、46分)、「下町」(1957年、58分)など1時間もないが、瞠目すべき傑作。「鬼火」はガス会社の集金人加東大介が払えない人妻に迫るが…。ホラー系傑作。「下町」は戦争から返ってこない夫を待つ山田五十鈴、シベリア帰りの三船敏郎、戦争の傷を負う二人が結ばれそうになるが…。短いからこそ深い余韻を残す傑作だが、まだまだ貧しかった東京の風俗描写も興味深い。
多くのエンタメ映画を残した千葉泰樹の生涯の代表作は「二人の息子」(1961)だと思う。一流企業に勤める兄の宝田明、タクシー運転手の弟加山雄三。父の失職を機に、二人の溝が深くなってゆく様を厳しく見つめる。松山善三の脚本で、そのあまりに厳しい現実凝視に思わずたじろぐような映画だ。木下恵介「日本の悲劇」のような感触。他にも甲州商人と農民のばかしあい「狐と狸」(1959)、フランキー堺が落研出身の落語家を演じる「羽織の大将」(1960、桂文楽が出ている)、菊田一夫原作の大ヒット劇「がめつい奴」(1960)、瀬戸内晴美「夏の終り」を映画化した「みれん」(1963)、ホームドラマ風喜劇の「沈丁花」(1966)など、実に多彩な作品を残した。(2020.6.3全面改稿)