尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

定通はかえって「損」なのかー高校授業料問題を考える④

2011年10月13日 23時31分18秒 |  〃 (教育行政)
 高校授業料問題が実はまだ終わっていないので、書き終えてしまうことにする。一番最初に書いたように、「後期中等教育」を無償にするというのは人権問題であり、逆戻りしてはならないと考える。しかし、実際にどのような政策が実施されているかというと問題がある。 
 
 そもそも、高校授業料はいくらだったのだろう。東京の場合を例に実際に確かめてみたい。
  全日制高校  12万2400円
  定時制高校   3万3360円
  定時制単位制 1単位あたり1800円 卒業74単位を3年で取ると計算すると、1年あたり4万4400円
  通信制     1単位あたり900円  卒業74単位で3年で取ると計算すると、1年あたり2万2200円

 政府は授業料無償化措置に伴い、16歳から18歳の子供を扶養する家庭に対する「特定扶養親族控除」を廃止した。それまでは「63万円」の特定扶養親族控除だったが、「38万円」の「扶養親族控除」になったのである。(なお、「こども手当」の創設に伴い、16歳未満の子供に対する扶養控除も廃止された。)(もう一つ言っておくと、扶養される子供の方に38万円以上の所得があるとダメなので注意。なお、「所得」=「収入」ではない。)

 各自治体はそれまでも低所得世帯に対して、高校授業料の減免制度を持っていた。だから、低所得家庭の場合は、全日制高校の場合でも、ある一定の所得以下だとかえって損になっている場合があると言われている。(家族構成や所得額によるので、いくらから「損」かはよくわからない。)ましてや、もともと2、3万円程度の授業料だった定時制や通信制の場合は、家庭単位で計算すると多くは負担増になっているのではないか。

 今「家庭単位」と書いたが、この問題はもう少していねいに見る必要がある。全日制進学高校などの場合、生徒が自分で学費を払っていることはほとんどないだろう。また、制服代も高いし、教科書の他に資料集や問題集を学校で買うことも多い。一方、定時制、通信制の場合は、自分で学費を払っている生徒がとても多い。(学校に通う時間が少ないからアルバイトしていることが多いし、自費で払える程度の額でもあった。しかし、それより家庭が大変だったり、不登校や中退で少し遅く入ってきたため、できるだけ親に負担をかけたくないという気持ちの場合が多い。)また制服はないことが多く(ある学校もある)、問題集を買うこともまずない。一方、夜間の課程の場合、給食費もかかる。(どこかで自費で食べるより安くて栄養バランスがいいのは間違いないが。)そういうことを総合的に考える必要がある。定通の場合は、生徒を直接支援する意味が大きく、この無償化措置はもう元には戻せないし、絶対に戻してはいけないと思う。だけど家庭単位で負担増になっていたとしたら、やはり何らかの措置がいるのではないか。

 ところで、この「高校授業料無償化」という制度は、それ自体、一定のイデオロギーとして機能するのも間違いない。つまり、「学校化社会を徹底する」という役割である。高校へ行かず自宅で高卒認定試験に向けた勉強をして、大学を目指してもいいはずである。しかし、その場合、何の恩恵も得られない。僕が経験してきて、一番大変な思いをしているのは、「ひきこもり」で高校へ行けない子供を抱える家庭ではないかと思う。そういう家庭は子供が高校へ行ってないから、恩恵は受けずに増税になるだけである。それでいいのか。いや、それは「ひきこもり」や発達障害などの子供のいる家庭への、また別の支援政策で対応するべき問題なのか。

 歴史を振り返ってみると、そもそも戦後に中学まで義務化されたとき、校舎も不十分で農繁期には生徒も学校に行けない場合が多かった。高校まで行かせるのは難しく、特に女子は行かなくてもいいと言われることもあった。高度成長期には中卒は「金の卵」と言われ、「三丁目の夕日」のように、あるいは「連続射殺魔」永山則夫のように「集団就職」で大都市に出てきた。この時代に授業料が無償だったら、ずいぶん多くの生徒が恩恵を受けたのではないか。しかし、日本経済は発展し、今も貧困の問題はあるけれど、高校生ならアルバイトもできるので、高校授業料だけだったら本人でも払えないというほどでもなかった

 だから、今の問題は、大学や専門学校の授業料が高すぎて奨学金を得ても返還も大変で、高校以後のキャリアアップが難しい実態になっていることだ。高校授業料無償化は遅すぎたが、それは良かったと思う。ただ、定通にはかえって負担増になるのなら、何らかの「措置」がいると書いた。その「措置」とは何がいいのか?一つは、「こども手当」を18歳まで拡大するというやり方も考えられる。しかし、現実の高校生にとっては、毎月1万程度家庭への補助があるよりも、大学や専門学校へのゲートを広げることの方が意味があると思う。大学だったらまだ、向学心が高い生徒が奨学金を得て進学することは多い。(でも今は有利子の奨学金ばかりで卒業後の負担が重く、いずれアメリカのように大量の大学中退者が社会問題化するのではないか。)しかし、大学まで進学して勉強する気はないけれど、将来の職業のために資格が取れる専門学校には行きたい、でも100万、150万と言われると、とても親が出せないという高校生がとても多い。アルバイトしてお金をためて、いずれ専門学校に行くと言って当面「フリーター」になる生徒も多いけど、実際に数年後進学できた生徒はあまり見たことがない。高校授業料無償化の次は、高校以後のキャリアアップを社会としてどのように支援していくか、つまり諸外国に例があるように「高等教育の無償化」に問題が移っていくと考えている。

 高校授業料問題は、今まで3回書いて、今回で終わり。
高校無償化は人権問題である
朝鮮高級学校の場合
留年してはいけないのか
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グル・ダット監督「渇き」

2011年10月13日 00時27分19秒 |  〃  (旧作外国映画)
 先週アテネ・フランセ文化センターで見た映画。インドの巨匠(と今は認められている)グル・ダット(1925~1964)については、紀伊國屋レーベルからDVDボックスが出ていて、代表作「渇き」「紙の花」「55年夫妻」が入っている。しかし、劇場で見られる機会はほとんどないので、僕は「渇き」は3回目になるんだけど出かけていった。最初に見たのは、1988年の大インド映画祭、二度目は国際交流基金でやった2001年のグル・ダット映画祭。もう10年前なんだ。その時はいつも軽妙な助演者をグル・ダット映画で務めていたジョニー・ウォーカーが来日して監督の思い出を語っていた。(「ジョニー・ウォーカー」って芸名のインドの俳優です。)

 日本でのインド映画はATGや岩波ホールでサタジット・レイをやるぐらいで、昔はほとんど見られなかった。その後アラヴィンダン「魔法使いのおじいさん」などが紹介され、98年には「ムトゥ 踊るマハラジャ」が日本でもヒットして、一時「マサラ・ムーヴィー」なんて言われた。最近はあまり公開されないし、インドそのものへの関心も昔より衰えているのかもしれない。グル・ダットは最近評価がものすごく高くなってきて、タイムズが世界映画100選に「渇き」を選んでると言う。ロンドンのパキスタン系少女を描いた「ベッカムに恋して」という映画(題名を見ただけでは判らないが、英国のパキスタン系家庭で生きる少女が女子サッカーに夢中になる佳作)でも、確かグル・ダットの映画が引用されていた。

 「ボリウッド」(インド映画の中心地ボンベイ(現・ムンバイ)にハリウッドをかけて、そう言う)映画では、突然歌と踊りが画面を乱舞するのがお約束で、アクション映画でも恋愛映画でも社会派映画でもそれは皆同じ。ミュージカルと言ってもいいけれど、そういうジャンルがあるというより、一部の芸術映画を別にして、すべてがそうなっている。グル・ダットの映画も同じなんだけど、「渇き」は売れない詩人の映画ということで、歌の歌詞が素晴らしい。自作の詩を歌うという設定で、愛を歌い、社会を歌う。詩的な映画にして、社会的、哲学的な映画という稀有な映画体験ができる。素晴らしい詩とダンスというのは、見ていて実に快い。筋は案外簡単で、売れない詩人、心やさしい娼婦、捨てられた昔の恋人、金持ちの出版社の社長(昔の恋人の夫)と言ったタイプ分けとしては紋切型。でも、詩人役を監督グル・ダット本人がつとめ、彼を世界の中でただ一人評価してくれる娼婦グラーブ役のワヒーダー・ラフマーンが美しい。この映画のラフマーンは「聖なる娼婦」というタイプの代表を作ったと言える。そのあまりのはまり役に、現実世界で監督と「不倫関係」になってしまった。グル・ダットの苦悩の人生は、作品を生み出せなくなり、39歳にして自ら命を絶つことになった。しかし、この映画を見ればわかるが、詩人と娼婦、つまりはグル・ダットとラフマーンの恋は宿命的としか思えない

 愛を歌うロマンティックなムードにも満ちているが、それよりも階級社会において真実を守り通すことの難しさ、そして「自分」を利用されることへの激しい拒否が印象的である。「世界を燃やし尽くせ」と最後に歌う奇跡のようなシーンが素晴らしい。あらすじは他のサイトで見られるので書かないけど、筋立てを書いてもご都合主義にしか見えない。そういう娯楽映画の文法で書かれている。偶然に次ぐ偶然で、主人公は人々と出会い事件に巻き込まれる。しかし、そういう筋が大切なのではなく、歌に込められた詩的なメッセージが語る、人間の誇りへの思いがこの映画を傑作にしている。そういう意味で映画的快楽の本質とは何かと考えさせてくれる。

 内田吐夢(とむ)監督「たそがれ酒場」(1955)も同じ日に見た。これも「歌謡映画」だった。こんな日本映画を見たことがないというような不思議な映画で、酒場に中二階みたいな歌を歌うコーナーがあって(この酒場のセットを作った美術がすごい。日本映画を支えた技術陣に目を見張る)、そこでリクエストに応じていろいろと歌ったり、レコードを掛ける。のど自慢大会もあれば、ストリップもやる。そんな酒場でグランドホテル形式でいろんな人々を描き分ける。歌謡曲だけでなく、革命歌からオペラまで出てくる。オペラは「カルメン」の「闘牛士の歌」。革命歌は「若者よ」で、西沢隆二(ぬやま・ひろし)がゾルゲ事件追悼集会のために書いた歌。製作された55年と言えば、「六全協」の年だが教授と学生と思われる一団が立ち上がって歌いだすと、東野英治郎演じる元軍人が止めろと怒鳴りだす。そういう、歌をめぐって社会の分裂をあぶりだす、珍しい趣向。内田吐夢と言う監督も、重厚な時代劇や大作「飢餓海峡」の印象が強くなってしまったが、異色作がたくさんあり再評価が必要。「若者よ」という歌は「日本の夜と霧」で印象的に使われているが、今読むとすごい歌詞である。「おけら」というサイトで聞くことができる。歌詞は次の通り。「若者よ 体を鍛えておけ 美しい心が たくましい体に からくも支えられる日が いつかは来る その日のために 体を鍛えておけ 若者よ」。その日って、革命に立ち上がる日のことで、革命のために体を鍛えろという意味だと解説しておかないと、今では判らないだろう。
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