慶長五(1600)年、関ヶ原の合戦の武功で、黒田家は豊前中津12万3千石から筑前福岡52万石の大大名として、大躍進しました。
入れ替わって豊前中津には細川家が入封しましたが、その際黒田家との軋轢があり、国境沿いに黒田家は六端城を築き、重臣を城代として統治させました。
この図の29が母里太兵衛が当初城代として預かっていた鷹取城、22が後藤又兵衛の益富城で、後に又兵衛出奔の後、母里太兵衛が治めました。
*明けましておめでとうございます。本年が皆様にとって、今まで生きてきた中で一番素晴らしい年となりますように、祈念申し上げます。中津城には軍師官兵衛放映後も、多くの歴史ファンが訪れています。戦国最強の軍師黒田官兵衛の人気もまだまだ続きそうです。
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