黒田官兵衛と菅原道真

2015-04-25 22:51:03 | Weblog

官兵衛は文武に優れ神と崇められている菅原道真を崇敬していた。

福岡城が出来上がるまで滞在しようと選んだ場所が太宰府天満宮の一隅である事からも分かります。

当時、太宰府天満宮は戦禍で焼け落ちていたので、心を痛めた官兵衛は社殿を再興した。

菅原道真は讒言により左遷され都から太宰府に流されたが、その途中に防府(山口県)から門司経由で太宰府を目指すも、旧暦二月の海流の流れが激しく海が荒れ豊前国下毛郡中尾の浜に漂着した。

そこは丁度官兵衛が築城した中津城の東二里ほどの所で、道真は二十一日間中尾の村に滞在した。

村長はじめ村人たちに大事に迎えられたことは想像に難くない。

道真の薨去後、都に天変地異が起きその怒りを鎮める勅命が出て、五十五年後道真の孫文時が訪れて犬丸八満宮が建立された。

それから数百年の後、官兵衛が豊前国に入部し十四年ほど領国とし治政したのです。

いま、その地に「菅公御着舩旧跡」碑が建ち往時を思い起こすよすがとなっていますが、暫し眼をつぶり遥かに時空を超えて接点のあった官兵衛と道真を偲ぶのも一興かと思います。

*道真公一行は二艘の舩(小さな船)でお供を入れても七名ほど(途中立ち寄り先には国府より道真を援助すべからずとのお触れが出ていたほどの淋しい左遷の旅であった)で中津中尾の浜を出立し門司を目指しましたが、途中嵐で船が破損し築上町高塚の浜(福岡県)に漂着(後に綱敷天満宮建立さる)し暫し逗留した。

船の修理が終わり、無事海路門司を経て太宰府へ向かった。

 

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-04-06 19:45:08
海路長府に向かっています。

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