黒田如水の石垣

2007-01-30 11:30:15 | Weblog
中津城に黒田の石垣があります。近江に穴太(あのう)衆という石垣造りを専門にするすごい集団がありました。その築垣方法がこの中津城に施されています。当時、門外不出の技で何故中津城の石垣にその方法が使われたのか想像するに面白いことではないでしょうか?如水が近江や各地を戦で駆け巡っていたときに素晴らしい石垣を見る機会がありひそかに研究していたとか、穴太衆に知り合いがあって頼み込んだとか、、、、。どなたかご存知の方があったらお教えください。穴太積の石垣は一つ一つの石が奥深くまで埋め込まれ、とても強固に積まれている石垣です。九州最古の石垣と先日の発掘調査で判明しました。この写真の右奥がその石垣で看板と説明板があります。傍を流れる山国川の上流から運んできたものもあったようです。当時、黒田如水は当代一の築城名人とよばれ各地の縄張り(設計)に名を残しています。中津城をここ丸山の地に選んだのも如水の時代を見据えた判断でした。
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