黒田八虎・黒田美作守一成(1571~1656)

2007-12-25 15:02:50 | Weblog
黒田美作一成は幼名玉松、長じて三左衛門と名付く。筑前に来て美作と改む。父加藤又左衛門は如水を牢に入れた荒木村重の家臣で、如水が1年ほど有岡城の牢に幽閉された時、牢番だったが如水の面倒を良く見たので「自分がもし運よく生きてこの牢から出られればお礼としてそなたの息子をわしに養育させ給え」と約束した。有岡城落城の後如水は助け出され、息子玉松に黒田姓を与え懇ろに遇す。岸和田の陣、四国陣、筑紫陣、日向耳川、豊前国一揆、城井宇都宮攻め、朝鮮出兵に高名を挙げる。其の性格は謙虚にして「日本朝鮮にて度々の戦功多し。然れども天生武功にほこらず、只長政の下知にて戦に利を得たるのみ語る」と黒田家臣傅にある。筑前入国後、三奈木(甘木市)城代一万千石を賜る。身の長六尺に及び其の力人にすぐれたり。鹿角を引き裂くほどの大力であった豊前国城井中務(宇都宮鎮房)の剛弓を引けるほどの強力であった。明暦2年福岡城下にて没。行年86歳。其の人となり寛容にしてせまらず、温柔にしてはげしからず、、、隠居しては客を好んで日夜笑談する者前につらなれり。花月景物を愛し、和書記録を好み自適安閑にして身を終わりける。幸せな一生というべきか。

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