黒田長政愛用兜

2008-02-09 12:01:03 | Weblog
中津ひな祭りに黒田如水・長政と黒田24騎の甲冑行列を企画しているがその中でも一番人気があるのがこの黒田長政の兜だ。これは「黒漆塗桃型大水牛脇立兜」といって若かりし長政が最も愛用した兜であり、逸話に残るものだ。長政は何頭かの替えの大水牛脇立て兜を持っていた。文禄の役で日本軍は一時休戦となり朝鮮より帰国した。当時中津藩主であった黒田長政は伏見城下の福島正則(清洲城主)の屋敷に母里太兵衛を名代として挨拶に遣わした。そこで有名な天下の名槍「日本号」の呑み取りー後に民謡黒田節~酒は呑め呑め呑むならば日の本一のこの槍を~のモデルとなるーがあった。大酒豪の福島正則に無理強いされた大杯の酒を見事飲み干した母里太兵衛は約束どうり名槍「日本号」をもらって帰ったのだがそれは正親町天皇が足利将軍に与え、後に織田信長が拝領し後太閤秀吉から福島正則へと下賜された「日本の三名槍」と称される素晴らしい槍で、福島家の家宝として大事にしていたものであった。翌日酔いから醒めた正則は槍が無いことに気付き直ぐに母里太兵衛のもとへ返してくれと懇願したが「武士に二言は無いはず」と言って返さなかった(母里太兵衛は愛すべき頑固者であり、誇り高き黒田武士であった)ので福島正則と黒田長政の間が不仲に成った。これを憂えた黒田如水は竹中重利(半兵衛の従兄弟/初代豊後府内藩主)を介してこの大水牛兜の替え分と正則の一の谷形兜(竹中半兵衛より譲られたもの)を交換し仲直りさせた。脇差を交換するのが普通であったが兜の交換は当時珍しくそれだけこの兜が名兜としてとても有名であったからである。さて当日この兜を装着する幸せ者は一体どなたでしょうか?見ものですね。
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