九州の関ヶ原ー別府石垣原の合戦

2012-09-13 08:27:42 | Weblog

(石垣原古戦場跡)

9月13日は後に「九州の関ヶ原」と呼ばれた別府石垣原の戦いで黒田軍と大友軍が激突した日である。

9月9日中津城を出陣した九千余の黒田如水軍は自領の宇佐時枝城、宇佐高森城を経て豊後高田城から国東半島を横断し別府湾に面した豊臣方の富来(とみく)城、安芸(あき)城を巡り大友軍に攻められていた細川家の飛び地である木付(杵築)城の救援に向かう。黒田軍来るの報を受けた大友軍は一旦兵を退き別府立石山に本陣を敷いた。

9月13日、大友軍の大将大友義統(大友宗麟の嫡子)と別府加来殿山・実相寺山に本陣を敷いた黒田軍が一斉に坂を下りて激突したのがここ石垣原であった。激闘の末、大友軍は大敗し退却した。石垣原の中ほどを流れる境川が真っ赤な血で染まったという。

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