黒田如水による小田原城開城

2008-07-27 12:08:50 | Weblog
かねてからの懸案であります小田原城の開城の際に如水が鱧を贈ったことに対して多くの歴史学者先生の説が幾つかあるようですので真実のところを知るべく小生も首を突っ込んでみたいと思います。戦国時代の末期、九州征伐を終えた秀吉は天下統一まで残すところ小田原城の北条氏のみとなった。秀吉は20万を超す大軍にて小田原城を囲み、配下の子飼い武将に城攻めを命じるも中々城は落ちず焦っても居た(軍内には呼び寄せた家族を始め芝居小屋や遊女といったおよそ戦たらざる態のーある面余裕の小田原攻めであったが、時間がかかりすぎても居た)。有る時、徳川家康に相談するも諸都合(家康と北条は姻戚関係/家康の二女督姫は北条家当主氏直の正室、また家康は秀吉と小田原城落城後は北条氏の領土を徳川のものとすると約束ができていた)により断られる。仕方なしに秀吉は如水に相談するといともたやすく如水は小田原城を開城させたのだ。その様子が「武徳編年集成/徳川家康の伝記」に載っている。如水は北条氏の籠城の誉れを讃えるために良酒2樽と糟漬けの鱧10尾を贈ったとある。その鱧であるが本文では多少読みずらく崩し字のようでもあり「魴」とも読める。鱧か魴かちなみに魴は魴鮄(ほうぼう)のことであれば「カサゴ目の海魚食用にして美味、日本各地の沿岸の砂泥底に分布し、殿様が愛でた魚「君魚」とも呼ばれる、味は淡白で鯛にも匹敵する旨い白身魚」とある。安藤英男先生の「史伝 黒田如水」の1987年版には魴と載っていたが2001年版には鱧と訂正されている。小和田哲男先生の最新の本には魴となっている。その歴史的な背景を考察せねばならないが(例えばその当時よく食されていたのか,
又は贈答に相応しい魚という意味があったのかにもより鱧か魴鮄かが分かるというものだが)書体から言えば魴に近い。今後の研究を待たれるところだ。さてこのブログを読まれている貴方は何とお読みになるでしょうか?
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