黒田如水大名となる

2008-07-03 18:04:52 | Weblog
今日7月3日は黒田如水が初めて大名になった日である。天正15年(1587年)7月3日、赤間ヶ関(下関市)で行った秀吉の九州(島津)征伐の論功行賞により黒田如水は豊前6郡12万3千石を賜った。秀吉からの朱印状には
京都(みやこ/福岡県苅田町、勝山町、行橋北部)郡、
築城(ついき/福岡県築上郡築城町、椎田町、豊前市角田町)郡、
仲津(なかつ/福岡県京都郡犀川町、豊津町、行橋市南部)郡、
上毛(こうげ/福岡県吉富町、新吉富町、大平村、豊前市)郡、
下毛(しもげ/大分県下毛郡、中津市)郡、
宇佐(うさ/大分県宇佐郡、宇佐市)郡
・・・いずれも分かり易い様に旧町村名にて表記・・・の6郡であるが豊前1国にはあと2郡ある。また宇佐郡のうち大友氏の旧領は除かれた。九州征伐の前に秀吉は如水に1国を与えると約束していた。けれども備中松城の水攻め、中国大返しによる光秀との山崎の合戦、中国征伐、四国征伐、そして九州征伐と秀吉の天下取りの為に勲1等の働きをした如水であるが、その智謀を恐れた秀吉は大国を与えなかった。しかしそのお陰で天下の名軍師黒田如水が初めて大名となりこの中津の地に入部し中津が城下町として発展した礎となったのである。
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