チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

借り物の肉体

2011年12月21日 09時40分38秒 | 日記
長いこと使っている肉体
あるときチャコちゃん先生ぴぴぴぴー
と分かったことがある
それは日々顔の皮膚がいやそればかりではなく
体中の皮膚というか筋肉がたるみ始めたとき

この肉体からいつかはなれなくてはならない
この肉体は睫一本(最も最近は付け睫ちゅうもんがある)
私が作ったものではなーーい
そうすると誰が作った?
それは神様じゃぞ

そうするとチャコちゃん先生は借家に住んでいるということ
肉体は神様のものお返ししなきゃあ
出る時は飛ぶ鳥跡を濁さず
だから綺麗にしなければいかん

使っているんだからオーバーホールしなければならん
動く五体を一生懸命動かしさび付かないように
働きがオーバーにならないようせいぶした食事
傷をつけていかん

だって借家は釘一本打てないからね
元通りにして返すのが礼儀とされているもん
だけどチャコちゃん先生盲腸の手術しちゃった
アアお腹もーーー
傷つけてしもうた
お許しください
これからはしっかり磨いてお返しします所存

あるとき有名なデザイナーが整形したばかりの顔で現れた
「神様に貸して頂いてる肉体をそんな風にしては
いけないんでなないの?」
「でもたるんでる方がもっといやでしょう?」
「誰がいやなの・?」
「----」
「手を加え始めたら限がなくなるわよ」

それ以来口利いてもらえない

ある著名な女優さん
「顔吊り上げたりしないんですか?」
「耳に穴開けることもしていないのよ」
「これから先きも?」
「多分だあーて不自然でしょう?」
「立派」

顔だけではなく五臓六腑全て借り物
許可無くまた貸ししてはいけません

借り物は大事に使って
綺麗に返すというのが礼儀ですわね
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金生日急死

2011年12月20日 08時11分29秒 | 日記
銀座からの帰り地下鉄に乗ると
「金生日急死」という大きな文字の躍った新聞を
サラリーマンが読んでいた

盗み見すると「心筋梗塞か」とかかれていた
げっそりとやせた顔と一緒に「視察途中の列車の中で」
とサブタイトルが読めた

お父さんの金日成がなくなったとき
まだその頃元気だった社会党の面々が
盛んにその死を悼んでいた

農業が発達し町が美しくて国民がつつましく清く暮らし
政府が国民のために政治をしている理想の国だとも言っていた

「ふーーん」と聞いていたが
蓋を開けると胡散臭い国であった
「天」がこういう国の存在を許していることが
チャコちゃん先生には分からない

トップが替わってもこの国は「国民のための政治」
ということが始まるのだろうか
「拉致事件」はどうなるのだろう
武器をちらつかせて欲しいものを分捕っていく国
トップの交代で普通の国になれるのだろうか

よその国のことに気を廻さなくても
わが国も同じように「国民の生活が第一」から
「国民の生活が最後」になっている

2014年までに
世界の政治はがらりと変わると思う
今政治家が一番混乱しているようだモノ

賢い国民は一歩一歩確実に足を地につけて暮らそうとしている
そういう人が多くなっていることを感じる

北朝鮮は農業国になれず軍事国になった
日本は踏ん張って農業国になり
「地産地消」の生活になれるよう頑張りたい

人の新聞を盗み見しながらつくづく思ったのじゃあよ
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私流「風姿花伝」 3

2011年12月19日 08時24分23秒 | 日記
今チャコちゃん先生が気になっていることは
「おむつ」のこと
いまはほとんどの赤ちゃんが紙おむつ
汚れればポイッと捨てられるし
浸透率も高いということで
ますます重宝されている

東京オリンピック前後はまだ庭先で洗濯竿に古い浴衣で作った
オムツが風にヒラヒラしていた風景があった
オムツは木綿のものを使っていた

浴衣の真岡木綿は繊維が細く
浸透率も高くお母さん達は其れを何回も洗っては使っていた
着古した浴衣を使わない家庭は
晒しのオムツまたは真岡の白生地のものを使う
余所行きの子はこの白いオムツを使う
赤ちゃんにも外出用と家庭用が会ったのだ

こういうの何だか可愛い

生まれて初めて下半身につけるものが
紙や化合繊のもので本当にいいのだろうか
科学者の中でも
そのオムツを使い続けると肌の感覚が弱くなり
自分の皮膚に何が起こったかを認知できないような
人間になってくるという
でもそういう研究は公にはならない

木綿のオムツをすると
汚れがすぐわかるので母親はいつもわが子の様子に気を配る
子供も「気色が悪い」という感覚を肌で感じる
コレが新生児に必要な風姿花伝だと思う

「時流」というものがあるがその「時流」が果たして
人にとって良いのか悪いのか
大人はもっと神経質になる必要がありそうだ

友人の中には初孫に対して真剣にオムツのことで
お嫁さんと話し合っている

その二人
お宮参りのときから木綿のオムツに替え
新おばあちゃんは、むかしお宮参りのときに
姑から作っていただいたきものを新しいママ用に作り変え
きものはお宮参り二代のお勤めとなった

木綿のオムツに替えたら
子供がすぐに尿意を母親に告げるようになったという
こういう自然の感覚を大事にすることが
生きていく上でとても大事だとも思う

布のオムツにするとお母さんは大変だ
いつも子供様子を見ていなければならない
それはまた子供とのふれあい時間を多くすることでもあるが

親が楽をするために手軽でほっておいても平気だという
オムツが出来たとしたら
本末転倒だ

柔らかい肌を持った新生児の気持ちになって
モノが作られるような世の中になるといい


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引っ越しました

2011年12月18日 08時17分36秒 | 日記
京都に工房を持つ女流染織家から
「引っ越しました」
というはがきが届いた
「へー工房全て引っ越すのは大変だったでしょうねえ」
と真面目なチャコちゃん先生は
工房内の荷物を思い浮かべながらおお大変
と思って後を続けて読むと

新居の場所は
天界、星の家
つまりその方のお父さんが引っ越して逝かれた
と書いてあり
「私どもはそのまま留まっていますーー」

80歳を超えたお父様だったのでこのようなユーモアで
逝去の案内を下さったのだろうが
暫くハガキを手にして考えこんだ

いま浅田真央ちゃんが目の前の試合を蹴って
お母様の枕辺に駆けつけたといって
非難をしている人もいる

多分あのまま試合に臨んでいたら金メタルが取れただろうと
人それぞれ色んな考え方がある
親の死に目に会えないのが当たり前の世界に居る人たちも居る

真央ちゃんはアマチユアでありお母様との絆が深い
自分がそういう場面になったらと考えたとき
人の行動にアレコレいえない
その人の選択をただ黙って受け留めるしかない

くだんの京都の染織家のように
ユーモアでご自分の悲しみを和らげている人も
それもその方の選択

男友達のお母様がなくなったとき
「白い花もって枕辺に来て」と電話があり駆けつけた
学生時代の友人だったからそのお母様とは
もう何十年もお会いしていない

お庭にはいつの季節にも白い花が咲いていた
お母様が風邪をこじらせて入院されたとき
白い花を持ってお見舞いに行った
そのとき看護婦さんから
「白い花を病院に持ってくるなんて非常識でしょう」
と付き返されそうになったとき
「そうじゃあないのよチャコは私が白い花が好きだということを
知ってて持って来てくださったのよね」

病院とか病人とかそんなことに考えが回らず
お母様お好きな白い花を持っていけばきっと元気になる

そういう一途な思いしかなかった
思いが至らなかったのだ其れが若さというものかも知れない
なにかそれ以来妙に気兼ねしてその家に足が向かなくなった

しかしそのお母様がなくなったとき
家族は白い花を持っていったチャコちゃん先生の
心情を理解してくれていたのだと嬉しかった

何を思うかはそのときのその人の心のありよう


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佇まい

2011年12月17日 09時25分52秒 | 日記
昨夜フト見たテレビの番組に
佇まいの美しい女性の姿があった
まだお若いそのひと
歯並びが綺麗で目に慈愛を滲ませていた

ゴミの山の中に菩薩のような表情で座っていた
今はほとんど見かけない「佳人」という感じの女性だ
その人に引き込まれてその番組を見た

「金スマ」とか言っていた
片づけ方を教えていたが
その教え方が柔らかいのに凛としていた
確固たる信念を持って指導しその主張に揺るぎが無い
しかしあくまで表面は優しく愛に満ちている
相手の幸せを願うただそれだけの表情で
責めもせず妥協もせず淡々と愛だけを注いで導いていっている
こういう人が本当の指導者だ

アアこの人
チャコちゃん先生も本を読んだ「近藤麻真理」さん!
「人生がときめく片付けの魔法」
という本がついに100万部を突破したとは聞いていたが
「アアこういう方なの」
5歳のときから片づけを天職と思えたと
そのご本の中に書いてあった

ご自分の仕事、生き方に誇りを持っていると
このように菩薩のような佇まいになるのだと思って見ていたら
その番組の司会者が文字通り彼女を拝んでいた

こういう方が登場する日本はいいなあ
片付けは自分と向き合うことが重要視される
其れが出来るようになると生き方が変わってくる
自分の存在に確信を持ち
自分の行き方に責任を持てるようになる

食卓から日本を変えていこうとする美人の食卓
片づけから確実に日本は変わっていく
こういう人たちの働きを精一杯応援しよう

ここで忘れてはいけないのが
東京オリンピック前、そして少し後の日本の家庭
貧しい家でも家の中は片付いていた
たたみにゴミは落ちていないしモノは散らかっていなかった

ある長屋に住む人の取材に行ったとき
玄関の格子戸はもちろんお風呂の木の蓋までピカピカに磨かれていた
戸口においてある植木鉢の花も生き生きと手入れされていた
その周り全てがそういう暮らしぶりであった

大きな家に住んでいる人はもちろんのことすっきりと

日本人は本来美しく住むことが上手なのだと思う

チャコちゃん先生は親にいつも叱られていた
出しっぱなし、置きっぱなし、いつも何か探している

親が躾けるべきことが仕事になる世の中なのだと思った



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私流風姿花伝 2

2011年12月16日 10時04分25秒 | 日記
「知的な女性はきもの好き」の著書に書いた
「きもの風姿花伝は」は自賛したいほど面白い
其れを更に膨らませてみたいと思った

誕生
生まれた瞬間いまは病院でのお産なので
その病院が定めた布で新生児を受け取る
チャコちゃん先生記者現役の頃新宿日赤病院で
お産の瞬間を取材したことがあるが
そのとき両親は白の羽二重の布でわが子を迎えていた

「うあー」と泣いたがその布の柔らかさに安心した顔が印象的
この世に現れた瞬間絹に包まれる赤ちゃんはなんと幸せ
また其れが当時はあたりまえだったようだ

いつの頃からかガーゼや化学繊維のもの不織布など
柔肌にあまりにも負担がかかるのではないかと思ってしまう
生れ落ちたときの親の歓迎の態度は
まずこのはじめて体を包むものから推し量られる

親は子供が五体満足で生まれることが一番の望み
其れを確認し感謝の気持ちで絹の布でわが子をくるむと
其処から親と子の強い絆の付き合いが始まるように思う

三島由紀夫さんだったか
生まれる瞬間を覚えているというようなインタビューを聞いたように思う
チャコちゃん先生の友達の志村クンも
「生まれた瞬間に男の顔を見てその人が父親だと思ったけど
声が違ったので不思議だと感じた」
医者の顔ですわね
やはり絹の布に包まれて気持ちよかったのを覚えているという
「ほんとなの?」

と周りで茶化したけど
多くの人の中にはその瞬間を覚えている人も居るだろう

そのようなことがあると
矢張り最初が肝心となる
子供にとってどれだけ親に歓迎されたかは
其れからの人生にとても大きな影響を与えると思う

幼児の頃の
お宮参りは肌着から絹を着せたい
いまは写真が証拠となって残るが子供が肌で感じることのほうが
将来にいい影響を及ぼす筈
お食い始めもまたしかり
矢張り本物の塗りの食器に口をつけて欲しい

お金がかかるというが
次の代いえまたまた次の代に引き継ぐことの出来る
モノをもつことを大事にすべきだ
其れが文化を伝えていくことになるのと思う

一人の子供の誕生は人類の宝として考えるべきで
粗雑にいい加減に付き合ってはいけない
口は利けないが
肌はきちんと覚えていて潜在意識の中に蓄積されていることは
最近の科学でも立証済み
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美人の食卓

2011年12月15日 09時26分48秒 | 日記
小さな食卓から小さな幸せを日本中に広めたい
そういう趣旨のもと
毎日食事つくりをする主婦達が
もっと健康な食事を作りたいということで始まった

昨日その「美人の食卓」でランチをした
普通に暮らしている主婦の台所で
無農薬はあたりまえ遺伝子操作をしていない食品
添加物の一切無い調味料

あたりまえに健康な食材を使ってフルコース
美味しかった

食事の後プチセミナー
「食」の改善だけでアトピーが治ったり腰痛が治ったり
断食をしてデトックスして美しい食材を入れる

麻の油や麻の実もここでは当然のごとくご出演

美人の食卓は全国をホームパーテイしながら
本当の健康を取り戻そうとというお役を担っていた

肉は食べない
乳製品は食卓には出ない
薬は飲まない
たったコレだけのことで一気に体調がよくなっていく

チャコちゃん先生20年前アーユルベーダーを勉強してから
食のことには気を使っている
それとEM農法に出会ったこともよかった
それでもおかしなものも口にする
そのときは猫のように調子が元に戻るまで食を抜く

放射能汚染の食材のことをテレヴィで詳しく
取り上げていたがもちろんそれも大事だが
チャコちゃん先生は
普通に口にする野菜や果物をもっと無農薬にすべきだと思うし
動物もやたら太らせるための変な薬を飲ますべきでないと思うし

普通に口にするモノにもっと目を凝らして注意しないと
人間が病漬けになっていく

美人の食卓では砂糖やジュース、油のほとんどが
ブラジルで生産されていた
コレは少しがっかり
というより日本にそういういい野菜や果物が出来ない
土壌になっているのかもしれないと思うと
哀しい

しかしEM農法や自然農法の人たちも増えている
近い将来その食卓が日本産にあふれるだろう
各地の農家は今とても努力しているもの
そして若い人たちが希望もって農業や酪農をやりたい
という人も居る

私達の歯は平べったい歯が多く
穀物を中心に食べるような体になっている
とがった歯である犬歯は二本しかない
コレが肉や魚の歯

穀物5・野菜果物3・5肉魚1・5という配分かな
美人の食卓が主婦の生活を変えると思う

ナイトコスモスの食事の材料も無農薬なのよ



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私流「風姿花伝」

2011年12月14日 10時56分02秒 | 日記
昭和57年ー1982年今から29年前
チャコちゃん先生は婦人生活社から
「知的な女性はきもの好き」
という本を出版している二冊目の本であった

ずいぶん気取ったネーミングだが
そのころ「きものを着る」ということは
なんとなく古い女の見本のような風潮があった
さらに「着物はこの世から消えていっても良い」
みたいな考えの人も多く

洋服からきものに入ったチャコちゃん先生としては
きものが内蔵している日本の文化に目覚め始めていたので
「それはならじ」
と世の風評被害に立ち向かおうと
肩肘張っていたのよね
365日きもので過してみて
いろんなことが見えてきて
「知的なーーーーー」という題名

さてその中で恐れ多くも「風姿花伝」をきものにあわせたページがある
まだこの時代は大人の婦人の多くも
また殿方たちも気軽にきものを着ていた
そのとききものの着方は年代によってこんなにも違うのか
と驚いたものである

洋服は決まった形の中に自分の体を入れるので
形を選んだ時点で年代が決まる

きものは形が同じなので柄や色の違いはあっても
着方によって年代が大きく変わってくる
コレがとても興味深かった

わが母などは帯の前がよれよれ
「もっときちんと帯板入れて着なさいよ」
「わたしの歳だと帯板は邪魔なの」と70歳でそういう

その当時まだ50歳前の長姉も襟がぐずぐず
「衿芯入れてピシットしたら?」
「12時間以上着ているとね衿が柔らかい方が楽なの」
茶道を教えていてずっと座っているのだからそうなのかーー

その頃お仕舞いを習っていたチャコちゃん先生
「風姿花伝」はお稽古事だけではなく
その年代の生き方考え方行動
そしてきものの着方にも当てはまるなあと
夢中で風姿花伝を読んだ

そして
この「知的な女はきもの好き」の中で
20代の肌はゴム毬のようすべすべとしてピンと張っている
アゴの線は鋭角的で引き締まっている
こういうとき襟は抜きすぎないほうが調和が取れる
若さを包み込むという着方が美しい

お尻もツンと上を向いているので
帯位置は高い方がいい
そうすると足が長く見えるので大胆ながらのきものが合う

若いことを認識しながら
柔らかな色に身を包んだほうが可愛い

続く
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日本人の典型

2011年12月13日 09時43分20秒 | 日記
わが野田総理を見ていると
丁寧
腰が低い
反対をしない
いつも笑みを浮かべている
言葉が優しい
何を言いたいのか分からない
自己主張が無い
慇懃無礼
興奮しない
波風立てない

日本人ってこの野田総理のような人多くありませんか

演説が旨いと評判らしいが
心が無く人の言葉を借りて丁寧に話す

どうぞどうぞ
おっしゃるとおり
実は私もそう思っていたんです

自己主張は絶対出来ない民族なのかもしれないと
彼を見ていると思う
自立なんてとんでもなく
いつも誰かの目を気にし
他人の目で自分が生きている

こんな日本人になったのは明治時代からだと
チャコちゃん先生は思う
つまり明治維新から官僚が力を持つようになり
「御上の言うとおり」にしておけば難無く生活できる
そういう考え方が染み付いた

野田総理を「安心だ」という人も居る
主張がないから安心なのだけどーー
あの姿が日本人なのですよ

一方橋下大阪市長は「独裁者」という名を冠に戴いている
改革を次々に行うし
それは大阪市民にとって良かれと思うことを
其れを信じて実行している

つつがなく平和に暮らすことは
みんなが自立した生活をしなければいけないと思うが
亀のように首を縮めて生きるのが平和とは思えないが
でも日本人の多くがそういう生活をしている
だから穏やかに映る

野田総理が長く続くことを良しとしている人も多い
そうしたら
私達の生活はどうなるのだろうか

自分の生活は自分の責任の中でしっかりやろう
そして仲間と大きく輪を作って
自然と調和していこう
そういう人たちも多く生まれている

そのような人にはもう政治家など関係ない
一人ひとりが体の細胞のように働き
自分の役目は胃だ腸だ心臓だ血液だと定めて
その機能生かす生活をはじめている

わずかだがそういう日本人も居る
その日本人が多くなったとき日本は世界の指南国になると思う

指南というのは磁石を見たら分かるように
針は南を指し、北の玉座を決めている
其処から指南という言葉が生まれた

玉座を指し示すには南を正確に知らなければならない
日本が指南国になる日も近いと感じる
そのときは腹話術人形の総理はいらない






中谷比佐子を知る→中谷比佐子の粋モダン

お買い物はこちら→KOSMOS屋
             自然素材のオリジナル商品 
             湯文字、絹の帯まくらなど
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ガンジー七つの社会的罪

2011年12月12日 08時21分05秒 | 日記
ガンジー思想と全くま反対に居る人たちが
ガンジーの七つの社会的犯罪を
自分の語録にくわえて
いかにも豪そうに話す

チャコちゃん先生がこのガンジーの七つの社会的罪
の言葉を知ったのは恥ずかしながらそんな昔ではない
著書「きものという農業」の原稿をまとめるとき
木綿の取材の中でであった

ガンジーが生存していた頃
インドは木綿の産地で手紡糸の木綿糸が生産されていた
ガンジー自身が糸をつむいでいたりもした

その頃イギリスの産業革命で
インド綿はいきなり機械化され紡績綿として
イギリスが買い上げ其れをまたイギリスが世界に売り儲けた
インドには富は落ちなかった

多分その頃ガンジーが書いたのが
この七つの社気的罪だと思う
この罪を犯すと国は滅びの道を行くという

1 理念無き政治
  今の日本の政治状態みたいだなあ
2 労働無き富
  キーを叩いているだけで何億いや何十億お金が動く
  今の世界の経済危機はこうしておきた
3 良心無き快楽
  昔高級官僚の「ノーパンしゃぶしゃぶ」なんて言うのがあった
  援助交際とか不倫とかーー
4 人格無き学識
  放射能汚染でこういう学者が一杯マスコミに出て
  チヤホヤされていた
  私達は人格無き肩書きにだまされることが多い
5 道徳無き商業
  だまし商品の売り方、情に訴えての売り方
  いまでも目を凝らせばたくさんある
6 人間性無き科学
  科学者のエゴ、原発などはこのさいたるもの
  遺伝子の組み換えなどもーー
7 献身無き信仰
  何処かの政党と組んでいる宗教団体などーー

先日放り出された桑畑を見に行った
昭和40年代農協が率先して土地の開拓を進め養蚕やりんご、
栗作りを奨励した
しかし農機具や農薬の値段が高すぎ収穫の買い上げ金より
それらの器具にお金がかかりみんなやめてしまった

農協では天下り役人がのんびりとタバコをくゆらしている
まさしくガンジー語録の2番だ

でもいまはもう農協も見放しているので
私達がその土地をよみがえらせることが出来る
「農業をやりたい」という若い人が居る
そういう若い人たちと
次なる農業を真剣に考えようと行動を起こした

一人ひとりの思いがきっと国をよみがえらせることにもなる






中谷比佐子を知る→中谷比佐子の粋モダン

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