チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

勇猛心

2011年05月14日 09時52分05秒 | 日記
昨日大和古流21世当主友常貴仁先生に
勇猛心について伺った
詳しくは「剣道日本」で連載中の第27話を読んでいただくとして

チャコちゃん先生は
勇猛心というのはどちらかといえば
後先考えず思いつきで勇敢に行動すること
字が示すように猛々しく火中の栗を拾う心と考えていた

しかし全く違う
当主の勇猛心は勇ましく励み
其れを決定するときの心を言うとおっしゃいます

まず励まなければならない
努力と言っていいかもしれない
己の言動に責任を持ちそのことを実行する

恥知らずな責任逃れや裏切りは
勇猛心のかけらも無いのでこの世から消えて欲しいとまでーー

こういう勇猛心は
幼少の頃から鍛えないと身にも付かない
我が日本は戦後66年かの国に骨抜き教育を進められ
勇猛心を育てる親や師匠がほとんどいなくなり
今日のようなふにゃふにゃ人間ばかりになってきているーーと

またチャコちゃん先生のマチガイを質していただいたのは
「頑張る」ということ
チャコちゃん先生はがんばるは「我を張る」ということで
肩に力が入り何も見えなって力むだけのもの
だから頑張るより「楽しく行動しよう」という方がいい
と思ってきた

でも「楽しんでやりましょう」「ワクワクしましょう」
という言葉にも一本筋が入っていないような
腑に落ちないような気持ちでいた

お互いに我を張っていても
いなしたり、すかしたりして調和点を見つけ解決をする
だから頑張ることは
自分の道、相手の道がよく理解できていいのだと
我を張るから達成も或る

大和古流の「がんばる」は「顔(がん)を張る」という
己を己としてしっかりと確立して己を主張すること
顔を張ると気を張る
そうすると自分の構えーー自分らしさーーーがでる
深いですなあ

がんばるの反対は「面倒」
チャコちゃん先生常に「そんなのめんどくさい」
といっている。ハイ反省
面倒くさいは面が倒れる、つまり顔がなくなるのですぞ
顔がつぶれるのだ
疲れるのは勇猛心が無いからだ

「きものを通して国づくりをする」
と今年の初めに大見得切ったのだが
面倒くさがってはいけない。つらを伏せてはいけないのじゃあよ
ピリリ、キリッ、シャキッ

やりたいことは自分で決めることも勇猛心

日本語というのはとても意味が深い
日本語を話しながらも間違った解釈も多いと気がつく

6月3日のナイト・コスモスでは
「戦後の日本教育」と題して
日本語教育の研究家大島楯臣さんにお話を伺うことにした
コメント
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