チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

体験

2011年05月30日 16時51分07秒 | 日記
同じ体験は二度と持ち得ない
今体験が日本の財産になっていると思う
昨日菓子作りのTさんがいらして
「家内とうまくいかなくなって別に部屋を借りるのもお金がないので」
事務所で「寝袋」に寝て過しているという

「この時期この体験は本当に貴重だと今ビックリしているんですよ」
彼は世の中がどう変化しようが
寝袋の中でちゃんと眠ることが出来る体験をした
と胸を張る(なんだかーー)
「そういう風に思えることに感謝です。彼女に」

食事も玄米と昆布をたくさん入れた漬物でまかなっている
「ねえ昆布をたくさん食べるとヨウ素体内の中で育てられるんですよ」
このヨウ素が放射能を防ぐことにもなるのだから

どこで聞いていらしたのか
「日本人以外の人種は腸にヨウ素をとどめることが出来ずに体外に出してしまうらしいですよ」
日本人は特別な国民で今回の災害も其れを乗り越えて
さらにいい世の中にするための先鞭をしているのだという

「うちの親父くらいの年配者ー昭和7年生まれー」
この年代の人がもっともっと自分の体験を話すべきだと思うとも
「何もしゃべらないで生きることに積極的ではなく車椅子生活に甘んじている」
「どうなさったらいいわけ?」
「バンバンリハビリして社会に焼く立つことを考えて欲しいですよ」
其れがすっかり病気に逃げているように思うのだと

「しかしねえその年代の男の方は世の中の価値観が全くひっくり返った少年時代を体験しているので、それでも一生懸命頑張って日本国を立て直し、もう疲れ果てているのではないかしら」
「そういう体験を今こそ次の世代に話すべきなんですよ」
「あなたがいろいろとお聞きになったらいいでしょう?」
「ああそうですね、今まで何も聞かなかった、あそうですね」

それぞれの体験が今後の日本に役立つ
遠くのボランテイアもいいけど
近くの昭和一桁生まれの人たちの体験にこそ
耳を傾けるべきだと思う

日本人が日本国のために「がんばろう」と躍起になった人たちは
昭和一桁生まれの方々ではないかしら
何もかもなくなりどの方向を向いてよいかわからないとき
一筋の光は彼らにとってやはり天皇陛下の存在であったのではないだろうか

今上天皇陛下もそのことが良くお分かりなので
あのように真摯な態度で被災者と接していらしたのだと思う

そういう話を大雨の中で進めていたら
彼の顔がドンドン明るくなった

彼は悩みの中にいたのだろう
「何か足りないお味ですよね」と加奈子のオナマ
持参なさった和菓子の味がいまひとつ

今日からはきっといい味だ
コメント
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